1939年前後の世界の鉄道時刻表をたどるバーチャル旅行も、いよいよ最後。
東京を出発し、シベリア鉄道を経由してヨーロッパ各国へ向かうルートを紹介してきたが、締めは花の都・パリへのルートである。
ロンドンでのルートで、ワルシャワから乗車した北急行は、ベルギーに入国した直後、ヘルベシュタール駅で車両が切り離され、オースデンテ行きの列車に併結された。ヘルベシュタール駅で別れた車両の行き先はパリである。この列車の足取りを追ってみよう。
- #1 プロローグ
- #2 Day 1/東京 - 下関
- #3 Day 2/下関 - 釜山
- #4 Day 2/釜山 - 安東
- #5 Day 3/安東 - 新京 - ハルビン
- #6 Day 4/ハルビン - 満州里
- #7 Day 5/満州里 - チタⅡ
- #8 Day 6, 7, 8/チタⅡ - ノヴォシビルスク
- #9 Day 9, 10, 11/ノヴォシビルスク - モスクワ ヤロスラフスキー
- #10 Day 11/モスクワ ベラルースキー - ストルブツィ
- #11 Day 12/ストルブツィ - ワルシャワ
- #12 Day 12/ワルシャワ - ズボンシン
- #13 Day 12/ズボンシン - ベルリン - ハノーバー
- #14 Day 13/ハノーバー - アーヘン
- #15 Day 13/アーヘン - ブリュッセル - オーステンデ
- #18 まとめ
- ルートマップ(Google Maps)
アーヘンからリエージュへ
#9 ワルシャワ中央 - (アーヘン) - パリ北
dep: arr: Nord Expreß 55列車/180列車 パリ北 行き
ドイツからベルギーに入国した直後、ヘルベシュタール駅でオーステンデ行きの車両を切り離し、少し身軽になった北急行はブリュッセル・オーステンデ方面と、パリ方面の線路が分岐するリエージュに向かうところから始めよう。(#15 Day 13/アーヘン - ブリュッセル - オーステンデ参照)
このリエージュがパリ行き列車最後の停車駅で、リエージュを出たあとはノンストップでパリ北駅を目指す。
リエージュからパリ方面のナミュール間の時刻表を見ても、リエージュの出発時刻である6時39分の時刻しか載っていない。
ナミュールから先国境のエルクリンヌ駅までは、まだ50キロ以上あるのだが、そこから先の時刻表には北急行の表示はない。
パリ北駅へ
国境の駅に止まらずに走り続ける来た急行に乗っていると、おそらくはいつの間にかフランスに入国してしまっていたのではないだろうか。1931年にシベリア鉄道でパリに向かった林芙美子の手記(下駄で歩いた巴里)にもベルギーに関する記述がなく、あるいはベルギーという国の存在に気がついていなかったのではないかとも思われる。
フランスの時刻表を見てみよう。フランスの時刻表は1970年代まで発行されていたCHAIX(シャイ)という時刻表の1938年1月号である。縦25cm、横20cm程度の正方形に近い大判の書籍で700ページ前後もある。ドイツに負けずとも劣らない膨大な量の時刻表が詰め込まれている。
フランスは1937年に鉄道の国有化が行われ、現在も存在しているSNCF(Société Nationale des Chemins de fer Français)が設立された。それ以前は5つの鉄道会社がフランス全土に路線網を張り巡らせていたのだが、その名残なsのか、時刻表は東、西、北、南東、南西の5つのセクションに分かれて編集されている。それぞれ地域別の分冊も発行されていたようで、全国版のCHAIXも通しのページ番号は振られておらず、地域別のページ番号しかない。(ただし、路線ごとにつけられている番号は全国の通し番号)
くっきりとした読みやすいフォントで印刷されており、主要路線には路線ごとに路線図が書かれていて、この時代のどの国の時刻表よりもわかりやすく、実用的になっている。
時刻表の段組の体裁は現代の日本の時刻表にとても近いので、日本の時刻表にも少なからず影響を与えているのではないだろうか?
さてフランス最初の駅ジュモンからパリまでの時刻表を確認してみよう。
といってもパリまでノンストップなので特に何の情報もなく、終点のパリ北駅の到着時刻が書かれているだけである。
当時、フランスは夏時間を採用していたのだが、直通先のドイツ、ポーランドは夏時間を採用していなかったため国際列車は夏、冬異なる時刻で運行されていた。HIVERと書かれている方が冬時刻で、d'ETEが夏時刻である。1939年8月15日は夏時間であり、北急行は10時45分にパリ北駅に到着する。
パリ北駅は、SNCFの発足前に、北部鉄道のターミナルとして1846年に建設された。駅舎が完成したのは1865年。フランス北部だけでなく、北急行を始めとするドイツ、ワルシャワ方面からの国際列車のターミナルとして現在までフル活用されている。
この時代フランスに訪れた日本人の多くもこの駅からヨーロッパの地を踏んだと思われる。
東京から9本の列車と船を乗り継いで、12泊13日でパリにたどり着いた。モスクワのところで書いたように満州里からの列車はストルプスまで直通しており、北急行も時期によってはストルプスまで直通していたため、タイミングを選べばあと2本少なく、わずか7本でパリにたどり着くことができた。長いシベリア鉄道を除けば、その前後はあっという間だったのではないだろうか?
CHAIXのヨーロッパ路線図
CHAIXには四つ折りの大きな路線図が挟み込まれており、表面がフランス全土、裏面がヨーロッパ全土の時刻表となっている。
このヨーロッパ全土の時刻表は当時の主要国際列車を網羅した四色刷りの大変美しいい時刻表になっていて、もちろん、今回乗車したソ連からパリまでのルートも、もちろん辿ることができる。
しかしながら、今回掲載した部分は大きな地図の北東部のみ。南にはイタリアやギリシャがあり、西にはスペインやポルトガルがある。これらの地域へも線路は続いている。
当時、日本からローマに向かう人々は、ワルシャワで列車を乗り換え、ウィーン経由でローマに向かっていた。
いつの日か、ローマへいたる南欧のルートも、資料を揃えて掲載したいと思う。
北急行 パリ行きの通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。
# | 乗車 | 下車 | 列車 | 記事 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8/3 15:00(GMT+9) | 東京 | 8/4 9:25(GMT+9) | 下関 | 特別急行ふじ 下関行き | #2 |
2 | 8/4 10:30(GMT+9) | 下関 | 8/4 18:00(GMT+9) | 釜山 | 関釜連絡船 | #3 |
3 | 8/4 19:00(GMT+9) | 釜山 | 8/5 21:45(GMT+9) | 新京 | 急行 ひかり 新京 行き | #4 #5 |
4 | 8/5 22:35(GMT+9) | 新京 | 8/6 6:20(GMT+9) | ハルビン | 603列車 三果樹 行き | #6 |
5 | 8/6 10:30(GMT+9) | ハルビン | 8/7 10:55(GMT+9) | 満州里 | 701列車 満州里 行き | #6 |
6 | 8/7 14:34 (GMT+9) | 満州里 | 8/13 13:30(GMT+3) | モスクワ ヤロスラフスキー | 1列車 ストルブツィ 行き | #7 #8 #9 |
7 | 8/13 17:10(GMT+3) | モスクワ ベラルースキー | 8/14 6:27(GMT+1) | ストルブツィ | 3列車 ストルブツィ 行き | #10 |
8 | 8/14 7:23(GMT+1) | ストルブツィ | 8/14 13:13(GMT+1) | ワルシャワ中央 | 702列車 ワルシャワ西 行き | #11 |
9 | 8/14 13:23(GMT+1) | ワルシャワ中央 | 8/15 10:45(GMT+1) | パリ北 | L1301/L12/55/180列車 北急行 パリ 行き | #12 #13 #14 #15 |
総乗車距離:13,386km 総乗車本数:9本 所要時間:12日3時間31分 |
- 林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 (2003年) 立松和平 編
- INDICATEUR CHAIX SNCF Chaix SERVICE D'HIVER - JANVIER 1938 (1938年)
- BELGISCHE SPOORWEGEN OFFICIEELE REISGIDS VAN 16 APRIL TOT EN MET 7 OCTOBER 1939(1939年) DEUTSCHE REICHSBAHN
- COOKS CONTINENTAL TIMETABLE AUGUST 1939 (1939年) Thomas Cook / 復刻版 (1987年) J H Price
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