2020-08-24

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#10 Day 11/モスクワ ベラルースキー - ストルブツィ)

 1939年前後の世界の時刻表を元に、当時の国際連絡運輸の仮想旅を行っている。
 オトポールからソ連に入ったのが1939年8月7日の朝9時。それから6日が経った8月13日の午後1時半にようやくモスクワ ヤロスラフスキー駅にたどり着いた。
 だが我々の目的地はロンドン。まだまだ先は長いし、なによりも広大なソ連の領土はまだ続く。
 ヤロスラフスキー駅からベラルースキー駅に市電で移動して、ソ連の鉄道旅を続けよう。

モスクワからポーランド国境へ

#7 モスクワ ベラルースキー - ストルブツィ
dep: arr: 3列車 ストルブツィ 行き
ベラルースキー - ネゴレロエ間(1938年 日本語版は1939年)

 ベラルーシ方面の列車が発着するモスクワのターミナル駅・ベラルースキー駅。この駅は歴史上何度も名前が変わっており、ブレストスキーやアレクサンドロフスキー駅などと呼ばれてきた。Wikipediaなどいくつかの文献によれば1939年時点では現在と同じベラルースキー駅となっていたはずなのだが、ソ連の時刻表にはスモレンスキー、満州調査部作成の時刻表にはベロル・ヴォクズ(恐らく、Белорусско-Балтийскийのこと。ヴォクズの部分のロシア語はバルト、バルチックといった単語なのだが当時、バルトのことをヴォクズと呼んでいたのかは不明)と書かれている。
 真相は不明だが、とりあえず、ここではベラルースキーで統一する。
 当時も今もベラルスキー駅からはポーランド方面やバルト三国のラトビア方面の国際列車が発着している。そしてまた、当時も今もロシアとポーランド以西のヨーロッパでは線路の軌間が異なっている。
 現在はフリーゲージトレインであるスペイン製のタルゴ列車を利用して両軌間を直通する特急も運行されているのだが、それは21世紀になってからの話で、この当時は直通列車は存在していなかった。ポーランド以西のドイツ、フランス、ベルギーなどに向かうためには、少なくとも1回、ソ連とポーランド間の国境かラトビア国内で列車を乗り換える必要があった。
 今回の旅はポーランド経由でドイツに向かうルートなので、ソ連とポーランド間の国境のポーランド側の駅ストルブツィで列車を乗り換えることになる。

モスクワ ヤロスラフスキー駅とベラルースキー駅

 前回書いた通り、満州里から1週間過ごした急行1列車は23時05分にモスクワを出発するのだが、それよりも6時間早い17時10分に出発する急行3列車に乗り換えて、先を急ぐことにする。
 17時10分にモスクワを出発した後、日付が変わって8月14日の0時1分にスモンレンスク駅に到着する。スモレンスクは現在ではロシア国境の州で、駅から70キロほど先でベラルーシと国境を接している。しかしながら、1939年当時は両国はソ連内の国家であり国内扱いであったので、関税も検問もなく列車は何事もなく運行していく。

 一夜明けて、朝5時39分、列車はミンスク駅に到着する。ミンスクは、当時はソ連内の白ロシア共和国の、そして現在はベラルーシの首都である。この当時は石造りの荘厳な駅舎があったそうだが、この後すぐに始まる第二次大戦で破壊されてしまう運命となっている。
 ミンスクを出て50分、6時42分にはソ連最後の駅ネゴレロエに到着する。ネゴレロエでは税関手続きのためか1時間以上停車し7時55分にポーランドの国境駅・ストルブツィに向けて出発する。
 この時代、ソ連ポーランド間の列車はソ連からポーランドに向かう場合は、ソ連の列車がストルブツィまで直行し、逆方面の場合はポーランドの列車がネゴレロエまで直行するという運用が行われていたようである。
 ポーランドとソ連の間には2時間の時差があり、30分後にストルブツィに到着したときには、時間は巻き戻って午前6時27分となっている。
 これにて足掛け8日間に及んだソ連の鉄道旅も完結。次はポーランド国鉄(PKP)に乗り換え先を急ぐことになる。

ソ連時代の モスクワ-ミンスク-ワルシャワ ルート

ミンスク西の国境

 ところで、このソ連とポーランド間の国境だが現在のベラルーシとポーランド間の国境とは随分位置が異なっている。
 この地域は歴史上ポーランドとロシアの間で何度か領土を巡って争いが起きている場所で、時代によって国境線が大きく動いている。この時代はポーランドが大きく領土を広げていた時代で、今よりも国境が東へ約200キロほど動いている。
 この後、ストルブツィでポーランドの鉄道に乗り換え、ビャウィストク経由でワルシャワに向かうのだが、実はこのルートは現在、ロシア・ポーランド間を連絡するルートとはなっておらず、双方の線路は国境の手前で途絶えてしまっている。(現在はビャウィストクから100キロほど南のブレストが連絡駅となっており、ここでフリーゲージトレインはここで軌間を変更している)
 時代とともに同じ場所なのに国家が代わり、言葉も変わっていく。そんな地に住んできた民族は、どのような思いで民族、あるいは国家と向き合ってきたのだろうか?
 きっと、島国に住む僕とは違った、複雑で繊細な思いや考え方をしているのだろうし、そのことを意識しなくては本当の「国家」の意味と意義を理解できないのかもしれない。

 3列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。

参考文献
  • РАСПИСАНИЕ ПАССАЖИРСКИХ ПОЕЗДОВ ЖЕЛЕЗНОДОРОЖНОЙ СЕТИ СССР НА ЛЕТНИИ И 3ИМНИИ ПЕРИОДЫ 1938/39 г. (1938年) ТРАНСЖЕЛДОРИЗДАТ
  • ソ連研究資料第57号 ソ連邦鉄道旅客列車時間表 (1941年) 南満州鉄道 調査部
  • NINTH EDITION Trans-Siberian HANDBOOK (2014年) BRYN THOMAS, ANNA COHEN KAMINSKI
  • 百年の鉄道旅行

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