1939年、飛行機と言うライバル不在の鉄道黄金期の国際連絡運輸を追う旅。
東京を出発してから各国へ向かう旅を続けているが、今回はオランダ編。
ドイツ南西部の大都市ケルンからアムステルダム行きの急行へ乗り換える。
- #1 プロローグ
- #2 Day 1/東京 - 下関
- #3 Day 2/下関 - 釜山
- #4 Day 2/釜山 - 安東
- #5 Day 3/安東 - 新京 - ハルビン
- #6 Day 4/ハルビン - 満州里
- #7 Day 5/満州里 - チタⅡ
- #8 Day 6, 7, 8/チタⅡ - ノヴォシビルスク
- #9 Day 9, 10, 11/ノヴォシビルスク - モスクワ ヤロスラフスキー
- #10 Day 11/モスクワ ベラルースキー - ストルブツィ
- #11 Day 12/ストルブツィ - ワルシャワ
- #12 Day 12/ワルシャワ - ズボンシン
- #13 Day 12/ズボンシン - ベルリン - ハノーバー
- #14 Day 13/ハノーバー - アーヘン
- #18 まとめ
- ルートマップ(Google Maps)
アムステルダム時間
国を跨ぐ旅行で忘れはならないのが時差。訪問先との時差で混乱し、ちょっとした勘違いを起こしたりもする。
オランダの時刻表の冒頭にオランダの時間である「アムステルダム時間」の説明が書かれているのだが、ちょっと奇妙な内容が書かれている。
要約すると、以下は全て同一の時刻だと書かれているのだ。
- アムステルダム夏時間 12:00
- アムステルダム時間 11:00
- 西ヨーロッパ夏時間 11:40
- 西ヨーロッパ時間 10:40
- 中央ヨーロッパ時間 11:40
- 東ヨーロッパ時間 12:40
ということは、オランダが12時の時、フランスは11時40分、ドイツも11時40分ということになる。時差が20分とはどういうことだろうか?
これは時差と言うものの歴史を紐解く必要がある。もともと世界には標準時と言う考え方はなく、その場所で太陽が頂点に来る時刻が常に12時だった。ヨーロッパでは大体町に一つは大きな協会があり、そこの鐘やら時計台がその町の時刻を表していた。つまり自分の町と隣の町では実は数分時差があったのだ。
19世紀に産業革命が起こり、鉄道が走り出し、時刻表なるものが生まれると、このちょっとした時差に不便が生じるようになってきた。出発から終点まで駅ごとに時差があっては時刻表が成り立たないのだ。
そこで、国ごとに一つの基準時刻を設ける標準時という考え方が生まれた。当然、標準時はその国の東西中央あたり、あるいは首都の時刻が基準となった。
国内の移動はこれでことが足りたのだが、人々は国を跨いで移動するようになってきた。そうなると国と国との時間差が分単位であっては都合が悪い。
この問題が解決されるきっかけになったのが、1884年に開かれた国際子午線会議である。グリニッジ天文台を通る子午線を世界の経度の基準とすることが決められ、それによって暗黙的にグリニッジ標準時が世界の時刻の基準となることになった。
ヨーロッパ各国は20世紀初頭までにグリニッジ標準時から1時間単位の時刻となるよう標準時を定めていったのだが、なぜかオランダだけは頑なにイギリスから20分の時差を貫いていた。
これがアムステルダム時間の正体である。なお、オランダがアムステルダム時間を諦め、西ヨーロッパ時間を採用するのは翌年の1940年である。
ちなみに、アムステルダム時間だが、冬場はオランダが12時の時、フランスが11時40分、ドイツ12時40分ということになる。
ケルンからエメリッヒへ
#10 ケルン中央 - アムステルダム中央
dep: arr: 急行 D255/D290列車 アムステルダム中央 行き
さて、オランダへの旅程だが、ワルシャワから乗車した北急行をケルンで乗り捨てるところ(#14 Day 13/ハノーバー - アーヘン参照)からスタートする。
ケルン中央駅に北急行から降りたったのは、午前4時3分。日の出まではまだ1時間あり、空は真っ暗だったはずだ。
乗り換える列車は、ウィーンからアムステルダムに向かう特急。つまり、次の列車がアムステルダムに辿りつくための最後の列車である。
アムステルダム行きの列車が出発するのは5時40分だが、実は北急行よりも早く3時57分にケルンに到着してホームで乗り換え客を待ち構えている。北急行もまた、ケルンで1時間ほど停車して5時5分に出発するので、相互に乗り換えられるようバッファを取っていたようだ。
ケルンはヨーロッパ各の方面の列車が行きかうジャンクションで、この両列車へ乗るために他の方面からやってきた乗り換え客も多数待ち構えていたはずなので、もしかしたらこの時間、早朝にもかかわらずちょっとしたラッシュ時間になっていたかもしれない。
アムステルダム行きの急行は、北急行がやってきた方向に戻る形でケルン中央駅を出発する。そのままデュイスブルク方面に向かい、オーバーハウゼン駅からオランダ国境方面の線路に乗り入れていく。
8時ちょうどにエメリッヒを出発し、列車はオランダへ向かう。
オランダ入国
さて、オランダの時刻表を確認しよう。
先ほどアムステルダム時間の説明でも確認した時刻表だが、1939年5月のオランダ国鉄の時刻表である。表紙は2色刷り、表紙裏に路線図が織り込んであり(この記事冒頭の地図)、その後説明や広告を挟んで時刻表が始まる。時刻表部分は全て、冊子を90度傾けて読む横長の紙面で、だったら冊子自体横長にすればいいじゃんと思うレイアウトになっている。ページは250ページほどで、国土の大きさを考えればかなり充実した路線網が確立されていたことが想像できる。
オランダはアムステルダム、ロッテルダム、ハーグと大きな都市が並立する分散型の国家であるが、それを反映するかのように路線図も放射線状ではなく、網の目の様に構築されているように見える。
ヨーロッパのどこの国の路線図を見ても、かならず首都が目立つように書かれているものだが、オランダの路線図ではぱっとみどこにアムステルダムがあるのかわからない。
オランダはドイツとベルギーにはさまれた場所に位置しているが、当然、両国への直通列車も多数あるようだ。
オランダに入国し、20分の時差を経て、8時38分にオランダ最初の駅ゼーフェナールの駅に到着する。
ここで普通列車に乗り換えると、このまま急行に乗り続けるよりもアムステルダムに23分ほど早くたどり着くことができるのだが、途中でさらにもう1回乗り換えなくてはならないし、時間も大差ないので素直に急行列車に乗ったまま終点のアムステルダムに向かうことにする。
9時15分にゼーフェナールを出発した後は、アルンヘム、ユトリヒトに停車した後、アムステルダムに到着する。到着時刻は9時50分である。
ケルンからアムステルダムまではわずか4時間弱、あっという間にアムステルダム駅に到着し。
運河に囲まれた人工島の上に建てられたアムステルダム中央駅は、1889年に完成した赤レンガの駅舎が有名。その姿が東京駅に似ていることから東京駅のモデルであるとも言われている。(写真を見る限り赤レンガ以外、似ても似つかないのでかなり適当な奴の流説だと思われる。ネットのある現代なら「色だけやんけ」で済んだ話に思える。)
通過型の駅で、当時、駅舎の裏のホームにはかまぼこ型の大きな屋根が二つ設置されていたようである。ホームの向こうはすぐ運河になっていて、水上交通乗り換えることもできたはずである。
急行 D255/D290列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。
# | 乗車 | 下車 | 列車 | 記事 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8/3 15:00(GMT+9) | 東京 | 8/4 9:25(GMT+9) | 下関 | 特別急行ふじ 下関行き | #2 |
2 | 8/4 10:30(GMT+9) | 下関 | 8/4 18:00(GMT+9) | 釜山 | 関釜連絡船 | #3 |
3 | 8/4 19:00(GMT+9) | 釜山 | 8/5 21:45(GMT+9) | 新京 | 急行 ひかり 新京 行き | #4 #5 |
4 | 8/5 22:35(GMT+9) | 新京 | 8/6 6:20(GMT+9) | ハルビン | 603列車 三果樹 行き | #6 |
5 | 8/6 10:30(GMT+9) | ハルビン | 8/7 10:55(GMT+9) | 満州里 | 701列車 満州里 行き | #6 |
6 | 8/7 14:34 (GMT+9) | 満州里 | 8/13 13:30(GMT+3) | モスクワ ヤロスラフスキー | 1列車 ストルブツィ 行き | #7 #8 #9 |
7 | 8/13 17:10(GMT+3) | モスクワ ベラルースキー | 8/14 6:27(GMT+1) | ストルブツィ | 3列車 ストルブツィ 行き | #10 |
8 | 8/14 7:23(GMT+1) | ストルブツィ | 8/14 13:13(GMT+1) | ワルシャワ中央 | 702列車 ワルシャワ西 行き | #11 |
9 | 8/14 13:23(GMT+1) | ワルシャワ中央 | 8/15 4:03(GMT+1) | ケルン中央 | L1301/L12列車 北急行 パリ/オーステンデ 行き | #12 #13 #14 |
10 | 8/15 5:40(GMT+1) | ケルン中央 | 8/15 10:51(GMT+20min) | アムステルダム中央 | 急行 D255/D290列車 アムステルダム中央 行き | |
総乗車距離:13,386km 総乗車本数:10本 所要時間:12日3時間31分 |
- DEUTSCHES KURSBUCH SOMMER 1939(1939年) DEUTSCHE REICHSBAHN / 復刻版 (1976/1991年) RITZAU KG - Verlag Zeit und Eisenbahn
- COOKS CONTINENTAL TIMETABLE AUGUST 1939 (1939年) Thomas Cook / 復刻版 (1987年) J H Price
- OFFICIEL REIS GIDS DER NEDERLANDSCHE SPOORWEGEN 15 MEI 1939 (1939年)
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