1939年8月3日に東京を出発して5日目の朝、4020キロの旅路を経て、満州とソ連の国境の街・満州里(マンチュリ)に到着する。
ここまでは曲りなりとも日本語が通じる世界だったものの、ここから先は名実ともに異国。満州里の隣のオトポール駅(現ザバイカリスク駅)からはソ連である。
- #1 プロローグ
- #2 Day 1/東京 - 下関
- #3 Day 2/下関 - 釜山
- #4 Day 2/釜山 - 安東
- #5 Day 3/安東 - 新京 - ハルビン
- #6 Day 4/ハルビン - 満州里
- ルートマップ(Google Maps)
ソビエト社会主義共和国連邦
ソ連ことソビエト社会主義共和国連邦が成立したのは1917年のロシア革命でロシア帝国が倒れてから5年後の1922年。それから1991年までの約70年間ロシアの地に共産党一党独裁の社会主義国家が成立していた。
ソ連の範囲は広く、現在のロシアだけでなく、東はバルト三国やウクライナ、ベラルーシ、南はカザフスタンやトルクメニスタン、さらには南コーカサスのジョージアやアゼルバイジャンもその範疇であった。
僕の幼少期は冷静の最中で、ソ連は閉鎖的で恐ろしい謎の軍事国家のイメージがあった。
そんなソ連が唯一世界に広くその顔を覗かせるのがオリンピックの舞台で、СССРと刻まれたユニフォームのアスリートたちが数々のメダルを手にしていく様子をテレビで眺めていたものである。ところで、СССРはロシア語でソビエト社会主義共和国連邦を表す「Союз Советских Социалистических Республик」の略でキリル文字である。テレビのテロップでは英語表記のU.S.S.R.(Union of Soviet Socialist Republics)が多く用いられており、なぜCCCPだったりUSSRだったりするのか? ととても疑問に思っていたのだが、キリル文字だという答えを知ったのは、ソ連が崩壊した後だった。
閑話休題。半世紀後に崩壊してしまうソ連ではあるが、この時代は世界で最初の社会主義国家として成長著しい新興国家であった。そんな広大なソ連を横断する鉄道の旅を続けよう。
戦前のソ連の時刻表
今回の旅では、日本、満州、ソ連、ポーランド、ドイツ、ベルギー、イギリスの7カ国を横断するのだが、最も時刻表の入手が難しかったのがソ連である。僕がキリル文字を読めないことも影響しているとは思うが、ともかく中古市場に時刻表が出回っていない。
だが、そんな中でも、2冊の時刻表を入手することができた。
1冊が「РАСПИСАНИЕ ПАССАЖИРСКИХ ПОЕЗДОВ」。全く良くわからないが、おそらく「時刻表」と書いてある。1938年から1939年のダイヤの時刻表なのだが、ページ数が薄く目次なども入れても130ページほど。おそらくは、特急などの主要列車のみが掲載された抜粋版の時刻表なのだと思われる。
抜粋とは言え、今回の仮想旅行で乗車する列車は記載されているので、基本的にはこの時刻表を元に旅をしていくこととする。
そしてもう1冊。国会図書館のデジタルコレクションで見つけたのだが、南満州鉄道調査部が作成した「ソ連研究資料第57号 ソ連邦鉄道旅客列車時間表」という資料である。満鉄のシンクタンク部門であった調査部が、1939年5月現在の時刻表を元に作成した日本語の時刻表である。
前述のソ連の時刻表と掲載されている列車や時刻はほぼ同じ、ページ数も100ページ強とよくにている。しかしながら、時刻表の路線ごとのまとめ方の単位が微妙に異なっており、同一の原資料から別々に編纂した時刻表なのか、満鉄調査部が編集で手を加えたのか、はたまた対象時刻表の1年の違いが影響しているのかは定かではない。いずれにしろ、時期的にはこちらの方が1939年に近いため、こちらの時刻表も参照している。
ちなみにこの資料、発行年月は昭和16年(1941年)7月となっており、編集に2年以上も費やしていることになる。2年も鮮度が落ちた時刻表に何の価値があるのかは微妙だし、この頃には太平洋戦争も開戦直前でソ連への鉄道移動が叶ったのかどうかも怪しい。この資料が当時どれだけ役立ったのかはわからないが、80年の年月を経て、今僕にとってはとても役に立つ資料になっている。ありがとう満鉄調査部。
余談だが、満鉄調査部の「ソ連研究資料」シリーズの第55号がソ連の鉄道網の地図らしく、中国と台湾には4冊ほど所蔵されているのを確認できたのだが、日本国内では所蔵が確認できない。一度現物を見てみたいものである。
満州からソ連へ
#6 満州里 - (チタⅡ) - モスクワ
dep: arr: 1列車 ストルプス 行き
4回目の車中泊を終えて5日目の朝を内モンゴルの地で迎える。午前10時55分終点の満州里(マンチュリ)に到着する。満州里は満州とソ連の国境近い満鉄最後の駅である。
次の列車の発車時刻は14時34分。まだ5時間あるが、出国、税関審査があり、ゆっくりするわけには行かない。
現在の中国ロシア直通鉄道では、満州里の隣のロシア側のザバイカリスク駅(1939年当時はオトポール駅)で台車の交換を行いロシア鉄道に直通するのだが、この時代は満州里駅で、満鉄とソ連国鉄を乗り換えていたようだ。
1931年にこのルートを旅した林芙美子の旅行記「下駄で歩いた巴里」に、満州里の駅でモスクワ駐在の外交官あての書簡を満州里の領事から預かった記述がある。メールもFAXもなかった時代、旅行者に外交文書を託すのが確実で早い手段だったのだろうか?
満鉄の車両から荷物を下ろし、税関検査を受けた後、ソ連の列車へ荷物を運び込むことになる。次の列車はモスクワまでの7日間、6700キロもの間ずっと乗り続けることになる列車である。途中モスクワで降りることになるのだが、列車自体はポーランドとソ連の国境のポーランド側の駅・ストルプスまで8日間走り続けるというのだから、ソ連の長距離列車のダイナミックさは驚くばかりである。
午後14時34分に満州里を出発し、20分後にソ連側の国境オトポールに到着する。ソ連側では鉄道の時刻は全土でモスクワ時間で動くことに決まっており、その結果、オトポールと満州里の間には6時間もの時差があることになる。よって、時刻は一気に遡って、午前8時54分となる。
広いソ連、西はミンスクから東はカムチャッカ半島まで11の標準時(のちに10に統合される)があったのだが、地域の標準時に関わらず鉄道の時刻はモスクワ時間というルールで運用されていた。驚くべきことに、このルール実はわずか2年前の2018年までこの制度が採用されていた。この標準時の問題、モスクワからからウラジオストクまで列車に乗り続ける場合、8つもの時間帯を移っていくのはわかりにくいが、かといって列車から降りたら7時間もの時差があるというのもやっかいで、一長一短ではある。
その時差を踏まえながら、改めて時刻表を眺めてみる。時刻表の先頭部分に、経由地がキリル文字で「満州里 - チタ - イルクーツク - ブイ - ネゴレロエ」と書かれているが、その下にкурьерский No.1との記載がある。これは、この列車が栄えある"急行 1列車"であることを示している。
1列車はシベリア鉄道からモスクワ・ヤロスラフスキー駅を経由してストルプスに向かう長距離寝台列車であるが、全ての列車が満州里発というわけではない。曜日によって、ウラジオストク、ハバロフスク、満州里、イルクーツクⅠと始発駅が分かれていて、終点モスクワにはいずれかの列車が毎日到着するダイヤとなっている。下記表に記したが、満州里からは日曜日と水曜日の週に2便の出発。最速で乗り継ごうとするならばこの曜日に満州里に到着する必要があり、逆算すると東京は木曜日出発となり、今回の旅の出発日は8月3日木曜日となったのである。
なお、"2列車"は逆方向の下り列車に与えられた番号である。
始発駅 | 出発曜日 | モスクワまでの日数 | モスクワ着曜日 |
---|---|---|---|
ウラジオストク | 日・水 | 9日 | 火・金 |
ハバロフスク | 日・水 | 8日 | 月・木 |
満州里/オトポール | 月・木 | 6日 | 日・水 |
イルクーツクⅠ | 火 | 4日 | 土 |
全ての列車が、モスクワの着の翌日にストルプスに到着 |
この時刻表からはオトポールに到着する時刻(8時54分)は読み取れるものの満州里を出発する時刻は読み取れない。後日紹介する1939年版のトマスクックの時刻表に、記載があったのでその時刻14時34分を採用することにする。
乗車する1列車はオトポールからモスクワに向かって出発するのだが、途中のカルィムスカヤの手前までは旧東清鉄道(あるいはザバイカル鉄道)の区間で、そこから先はシベリア鉄道本線に合流し、モスクワに向かうルートとなる。
カルィムスカヤ駅に到着するのは22時48分。さらに次の次の駅チタⅡ駅で6日目に突入する。
1列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。
- РАСПИСАНИЕ ПАССАЖИРСКИХ ПОЕЗДОВ ЖЕЛЕЗНОДОРОЖНОЙ СЕТИ СССР НА ЛЕТНИИ И 3ИМНИИ ПЕРИОДЫ 1938/39 г. (1938年) ТРАНСЖЕЛДОРИЗДАТ
- ソ連研究資料第57号 ソ連邦鉄道旅客列車時間表 (1941年) 南満州鉄道 調査部
- 林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 (2003年) 立松和平 編
- 日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 満州 樺太 (2009年) 今尾恵介・原武史 監修 新潮社
- 日本式 サハリン シベリア 時刻表 2019 (2019年) 樺太庁陸地調査部
- NINTH EDITION Trans-Siberian HANDBOOK (2014年) BRYN THOMAS, ANNA COHEN KAMINSKI
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