2023-04-15

ヨーロッパ横断 駅舎をめぐる旅 (#1 ワルシャワ)

ヨーロッパ横断 駅舎をめぐる旅 2023/3/2-14

 かねてから戦前のヨーロッパを中心とした鉄道による国際連絡運輸に興味があり、収集した時刻表を元に戦前の日本からヨーロッパまでの旅行を再現した1939年 欧亜大陸鉄道の旅なんて記事を書いたりしてきた。
 この記事では今から約80年前の時刻表を辿ってみたのだが、ヨーロッパではこの時代の駅舎が今でも残っていたりする。
 そこで今回はヨーロッパを鉄道で横断して、各地のターミナルを巡る旅をしてきた。
 本来ならばモスクワから旅を始めたいところだが、このご時世ロシアに入るのは難しく、ワルシャワから旅をスタートすることにする。

ワルシャワ・ショパン空港

ワルシャワ・ショパン空港のターミナル
なぜかあまり人気のない空港からの電車
バスより早いのになんでだろう??
ワルシャワ・ワルシャワ ショパン空港

 早朝便でワルシャワに到着したのだがとても寒い。気温はギリギリ0度を超えるあたり。日本から見たら季節が一か月ほど巻き戻された寒さである。
 空港から市街地まではS2線とよばれる鉄道が繋がっており、30分足らずで市街地に到着する。という知識だけを得ていたため、なんとなく鉄道のホームに向かったのだが、あまりの人の少なさに少々たじろぐ。
 ヨーロッパでは一般的に地下鉄、近郊電車、バスなどの市内交通の切符は一元化されていて、共通で乗ることができる。ワルシャワの場合時間制で、時間内ならどれだけ乗り換えてもよいことになっている。きっぷはスマホのアプリからも購入可能。この後市内をいろいろと移動するので、24時間券を購入した。
 ワルシャワの鉄道、バスには改札がなく、ときおり行われる抜き打ち検査で乗車券の保持が確認される。もちろん無賃乗車の場合は罰金を払うことになる。
 購入したきっぷはそのままでは有効にならずアクティベート処理をしなくてはならない。スマホアプリの場合、車内に掲示されているQRコードをスキャンすることでアクティベートされる。
 などなど、そんなことをいろいろ調べていたのだが、肝心なことを調べ忘れていた。どうやらこの空港直通の列車は本数が少ないらしく、バスのほうが断然便利なのだそうな。どうりで人がいないわけである。
 まあ乗ってしまったのはしょうがないので、ひたすら発車まで待ち続け、30分近く経ってから列車はゆっくり出発した。

ワルシャワのターミナル

1938年のポーランドの時刻表

 今回の旅の目的は、鉄道黄金期の戦前に思いを馳せながら各地のターミナルを見て回ることである。さっそくワルシャワの駅舎を見て回りたいのだが、実はワルシャワは第二次大戦での戦禍もあり、戦前のターミナルの駅舎はほぼ残っていない。さらには、駅そのものがなくなったものある。

 1938年のポーランド時刻表を確認しみると、WARSZAWA(ポーランド語のワルシャワ)で始まる駅がいくつかあり、上から Wschodnia, Główna, Zachodnia と書かれている。それぞれ、東、、メイン、西といった意味で、ワルシャワ中心部の三つのターミナルを表している。
 もともとワルシャワには町の中心を流れるヴィスワ川を挟んで Zachodnia (西)、 Wschodnia (東)という二つのターミナルがあった。両ターミナルを直結させるため地下の線路が建設され、1938年に真ん中に Główna 駅ができた。
 この Główna 駅は直後の戦禍でわずか6年で閉鎖され、その後再建されることはなかった。その後、1967年になってこの駅から1キロほど東に、改めて Centralna (中央)駅が建設され、ワルシャワのターミナル機能が集約された。
 そこで、まずは戦間期のわずかな間のみワルシャワの中心的ターミナルだった Główna 駅の跡からみていくことにする。

Warszawa Główna 駅跡

近年新しく作られた 新 Główna 駅 ワルシャワ驛博物館
入口には Warzawa Główna の文字が掲げられている PM3 型 蒸気機関車
Główna 駅

 空港から20分あまり、ワルシャワの中心部の少し西側の Ochota という駅で降りる。この駅のすぐ西側がかつて Główna 駅があった場所である。
 Główna 駅の跡地は1970年代から鉄道博物館として利用されていたのだが、2016年に敷地の半分が新たな Główna 駅として整備されることになり、残りは「駅博物館」として再建されることになった。
 掘割の中にある Ochota 駅の階段を登り、線路を跨ぐ道路を横断すると、「新」 Główna 駅がある。
 かつての Główna 駅は地下駅だったのだが、新しい Główna 駅は地上駅で頭端式のホームになっている。近郊列車が発着しているのだが、駅舎もなく本数はあまり多くないようで駅は閑散としている。ときおり、何らかの自動音声案内が流れのだが、それを聞く人はほとんどいない。周辺の駅はそれなりに賑わっているのだが、この駅はまだ利用客が定着していないのだろうか?

ワルシャワ・駅博物館

 新しい Główna 駅に隣接して、すぐ北側に Stacja Muzeum (駅博物館)がある。
 9時の開館なのだが、10分ほど早く到着してしまった。入り口の外で待って時間をつぶすのだが、じーっとしていると寒さが身にしみてくる。
 開館と同時に入場してやろうと待ち構えていたのだが、9時ぴったりに狙いすましたかのように訪れた客にスルッと先を越された。時間の計算ができるデキる男である。
 入り口で入場料を払う。入場料は18zł。ポーランドの通貨単位はズウォティといい、1złは30円ほどである。博物館の相場観的には日本と近いものがある。

 内部は屋内と屋外の展示があるようである。屋内は2部屋ほどの展示スペースにワルシャワの鉄道網の歴史や古い鉄道の機材などが飾ってある。学校の教室2、3個分程度。あまり広いとは言えない大きさである。
 しかしながら屋外の展示スペースは広大で、新旧様々な鉄道車両が所狭し、というかギュウギュウに詰め込まれている。
 ポーランド国鉄は2万キロを超える路線もを有する隠れた鉄道大国で、時代時代で様々な車両が使われてきている。
 正直なところそれぞれの車両はよくわからないのだが、ひときわ目を引いたのがドイツ製の蒸気機関車PM3(ドイツではDRB Class 03.10と呼ばれる)だ。
 機関車のボディに流線型のカバーがつけられ、その姿と緑色に塗装が満鉄のパシナ号を彷彿とさせる。第二次大戦直前に60両作成され、戦後生き残った車両のうち10第がポーランドに譲渡された。
 最高速度は140キロ。現在の電気機関車と比べてもそん色ないスピードである。戦後復興を遂げるポーランドの大地を駆け抜けていたと思われる。

Wschodnia

市内近郊鉄道のKM線 Wschodnia 駅の駅舎
どこか共産圏のにおいのする建物 Wschodnia 駅は高架駅
現在もターミナルとして健在
ワルシャワ・Wschodnia 駅

   続いては、さきほど降りた Ochota 駅でもう一度電車を捕まえ Wschodnia (東)駅に向かう。
 この区間、同じ線路を SKM と KM の二つの鉄道会社が列車を走らせている。先ほど空港からここまできたのが SKM の列車である。Ochota から Wschodnia に向かう系統はどちらの会社にもあるのだが、今回は先にやってきたKMに乗車することにする。
 Wschodnia (東)駅 と あとで向かう Zachodnia (西)駅は、どちらも戦前とほぼ変わらない場所に駅があり、共にターミナルとして現役ではあるのだが、駅舎は戦争で破壊され跡形も残っていない。
 Wschodnia 駅の現在の駅舎が作られたのは1969年。社会主義政権下にオープンした駅舎であり、いかにも共産主義といった飾り気のない幾何学的な駅舎となっている。
 ヴィスワ川の東にあるため、その当時はソ連方面に向かう列車のターミナルとしても活用されていた。
 高架駅で7つのホーム、14の線路が並んでいる巨大駅である。近郊列車に加えて、国内各地への長距離列車、さらにベルリン方面への国際列車など多数の列車がひっきりなしに発着する。本来はベラルーシ、あるいはその先のロシア方面の列車も発着していたはずなのだが、このご時世なので、東側の国境を超える列車は運行されていないようである。

Śródmieście と Centralna

Śródmieście 駅の入り口
地上にはこのような入り口が二つあるだけだが、異常にかっこいい Śródmieście 駅 のホーム 現在のワルシャワの中央駅 Centralna 広々として徹底的な機能美が美しい地下ホーム
ワルシャワ・Śródmieście 駅

 戦後、Główna 駅は再建されなかったが、やはりワルシャワ中央に駅は必要ということで、社会主義政権下の1975年に別の場所に同じコンセプトの地下駅 Centralna (中央)駅がオープンした。
 その駅を見学するため、Wschodnia から Śródmieście に移動する。Śródmieście は市街地といった意味で、これから向かう Centralna 駅のすぐ隣りにある。なぜ二つの駅があるかというと、近郊列車と長距離列車で駅が分かれているからである。
 Śródmieście 駅は近郊列車専用の駅で、Centralna ができる少し前、1963年にオープンしている。
 線路は2線で真ん中に島式、その横に相対式の乗車と降車が分かれたホームとなっている。
 地上の駅舎は入り口のみで、ワルシャワのシンボル・文化科学宮殿の正面に対してシンメトリックに小さな二つの建物があるのみである。
 この二つの入り口は飾り気が全くないのだが、機能性を追求した美しさがあり、とても印象に残るフォルムになっている。

ワルシャワ・Centralna 駅

 さて、続いてはCentralna 駅に移動する。といっても地上に出たらすぐ隣に駅舎が見え、歩いて数分で到着する。
 駅舎はやはり社会主義様式のシンプルなモダニズム建築で、とても美しい。
 地上には駅機能は無く、地下1階がコンコース。地下2階に4つのホームと8本の線路が並んでいる。
 ホーム階は天井が高く取られおり、規則正しく並ぶ柱と合わせて均整がとれた空間を演出している。この駅からワルシャワ各所はもちろん、多くの国際列車が発着している。

文化科学宮殿

(左)これがスターリン様式だ!
(右)展望台とそこからの景色
ワルシャワ・文化科学宮殿

 さて、Śródmieście 駅の北側にひときわ目立つ、高さ237メートルのいかつい建物がある。
 文化科学宮殿と呼ばれ中身は劇場などの文化施設なのだが、それにしてはデカすぎるし、ごつ過ぎる。スターリン時代にソ連からポーランドへの贈り物という形で、ソ連の労働者を動員して建てられた建物なのだそうな。
 なんだかいかめしい外観は、スターリン様式、あるいはスターリンゴシック様式とよばれる様式で、この時期にソ連圏各地に建てられたバッタもんのゴシック様式だそうな。特徴的なのは外観を彩るさまざまな装飾が、いかにもコンクリートという質感で、とても重くのしかかっているところである。
 共産主義の建物というと、隣の Centralna 駅のような機能的モダニズムをイメージするのだが、その対極にあるような下世話な巨大建築にスターリンが執念を燃やしたところがとても興味深い。理論から導き出される建築様式と、承認欲求を満たすための建築様式の、これが独裁者にとっての理想と現実なのだろうか?

 文化科学宮殿の最上部のテラスは有料の展望台となっていて、ワルシャワ市街を一望することができるようになっている。
 せっかくなのでと25złの入場料を払い見学したのだが、あらためてこの建物はデカい。スターリンすげーわ。

Zachodnia

Zachodnia駅は地上駅 モダンな駅舎
ワルシャワ・Zachodnia 駅

 最後に、Zachodnia (西) 駅を見学する。
 Śródmieście 駅から近郊電車に乗ると、10分足らずで Zachodnia(西)駅に到着する。東は高架、中央は地下ときて、西は地上駅となっている。
 Zachodnia 駅は現在絶賛工事中らしく、駅が南北に分断され近郊列車と長距離列車の乗換は一度駅舎を出て、駅の外の跨線橋を渡らないと行き来できないようになっているようだ。
 プラットフォームは9つあるようだが、真ん中の幾つかは工事のため閉鎖されている。
 ホームは地上だがコンコースは地下にある。コンコースからエスカレータで地上に上がると駅の南側に2015年に完成した駅舎がある。
 透明な屋根を持つモダンな駅舎ではあるが、共産主義時代の建物群をみたあとでは、いかにも普通に見えてしまう。

ワルシャワ宮殿と旧市街

トラムに乗って旧市街へ ワルシャワ宮殿 市場広場
広場にスケートリンクとか欧米かよっ! 夕方、地下鉄にも乗った
ワルシャワ・Śródmieście 駅前

 駅の見学を終えたところで、Śródmieście 駅に戻り、トラムに乗り換えて旧市街の見学に出かける。
 朝購入したワルシャワ市内交通の24時間券はトラムでも有効である。はずなのだが、改札がないので自分の買ったチケットが本当に正しいのか全くわからず不安になる。
 とりあえず乗り物に乗るたびに、アクティベート用のQRコードがどこかにないか確認し、QRコードがあるから多分このチケットで乗ってよいのだろうと言い聞かせながら移動するしかない。
 結局、翌日の最後まで誰も確認にくることはなく、完全なる信用乗車システムであった。まあ、みんなちゃんとお金を払ってるから成り立つんだろうね。日本だと「正しい切符を購入しているかどうかの確認は、ユーザー側ではなく切符の提供者側にある」という意識が高いので、チェックに来ないならお金を張る必要がないという不正乗車が横行しそうな気がしてならない。

ワルシャワ・旧市街

 旧市街の入り口に位置するワルシャワ王宮に到着した。
 もともとは16世紀に建てられた王宮なのだが、ナチスドイツに破壊されたため1984年に再建されたものである。
 中を見学することができ、絢爛な王宮様式や中世の肖像画をを見学することができる。

 王宮前の広場から数分歩くと旧市街の中心・市場広場がある。
 カラフルな建物に囲まれた歴史ある広場に見えるが、この地区全体もまたナチスに破壊されたため、全ての建物は戦後に再建されたものなのだそうな。
 戦後の復興のありかたは様々で、一概に正解は分からないが、戦禍の前の姿に執念で復元するというのも意義のある行いなのだろうなと感じる。

 本日は朝早くから移動していたので、ここらでワルシャワ見学を切り上げ、ホテルにチェックインすることにする。
 明日はベルリンに移動するが、ベルリンに行く前にワルシャワの古都・ポズナンで途中下車し、歴史的な街並みを見学する予定である。

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