2022-12-07

立山砂防工事専用軌道と富山地方鉄道 (前編)

立山砂防工事 専用軌道と 富山地方鉄道 2022/10/5

 鉄輪が鉄のレールの上を走る鉄道。摩擦係数が少ない分高速に走行することができるのだが、その分坂に弱い。
 鉄道は坂を避けるように敷設されるのだが、どうしても峠越えが避けられない場合、スイッチバックと呼ばれる構造を取ることがある。真っすぐが急斜面ならば、斜めに登ればよいと、列車を前後に行ったり来たりしながら少しずつ坂を上る仕組みのことである。
 かつて機関車が客車をけん引していころは全国各地にスイッチバックがあったのだが、パワフルな電車の登場とトンネル採掘技術の向上でその数はどんどん少なくなってきている。
 ところで、そのスイッチバックがなんと38段もある鉄道が日本に一つ存在している。国交省の管轄する立山の砂防工事現場で使われているトロッコ鉄道である。
 当然、一般人は乗車することができないのだが、定期的に立山カルデラ砂防体験学習会と称した見学会を開催しており、その抽選に通れば乗ることができる。当然一度は乗ってみたいと考えていたのだが、富山という立地と平日開催というハードルに阻まれなかなか行く機会がなかった。
 コロナによう行動制限が終わった今年こそと時間を見つけ、抽選に挑むこと2回、意外とあっけなく当選の一報が入った。
 このチャンスを逃す手はないと、意気揚々と富山へ向かった。

富山地鉄の市内電車

エモいぞ! 市内電車の富山駅! まずは駅北側の岩瀬浜へ 岩瀬浜から富山駅を超え、南富山駅へ
富山・富山駅

 立山砂防工事現場の見学は早朝から始まるので、前日に富山入り。
 富山と言えば地鉄こと富山地方鉄道。100キロを超える路線網を有する巨大地方鉄道。これまで、立山黒部アルペンルート関西電力黒部ルート 黒部峡谷地下の旅で本線、立山線などは制覇しているが、市内線などは未着手だった。
 ということで、今晩の内に市内線を制覇しておこうと、富山駅の市内線乗り場に向かったのだが、なに、これ? 超エモい!
 新幹線の改札を出てコンコースを直進すると市電の乗り場がある。JRの駅を貫くように2本の軌道が敷かれ、そこに行き先別の8つのホームが並んでいる。ともかく写真を見てほしいのだが、マジでかっこいい。

富山・富山駅電停

 富山駅から南北に伸びる市内電車のレールのうち、まずは北側の富山港線に向かう。2020年までは富山ライトレールとして運行していた路線だが、富山の新駅舎のオープンに合わせて北側の富山ライトレールと南側の地鉄の線路が繋がり、両路線が富山地鉄として運行されるようになった。
 この路線は富山ライトレール時代に乗車しているのだが、駅名標などが富山地鉄デザインに変更されているようだ。途中から路面電車ではなく専用軌道の鉄道となるのだが、そのとたんガンガン飛ばし始める。飛ばすと言ってもせいぜい60キロなのだが、車体が軽いせいか、車高が低いせいかなんだか車体が跳ねる、というか浮く。もうちょっと抑えて運転してもよいのではないでしょうか? と提案仕掛けたところで駅につくというのを繰り返しながら、終点の岩瀬浜駅に到着した。ここまで約30分である。
 岩瀬浜駅ではフィーダーバスと言われる電車に接続するバスが出ており、電車の到着を待ち構えていた。
 電車は折返し南富山行きとなったので、そのまま乗車して南富山に向かう。

富山・岩瀬浜駅

 岩瀬浜から富山駅に戻り、エモい南北連絡線路を通過する。南側の線路は何か所か分岐があり、配線までエモい。良すぎるぞ、富山地鉄の市内電車!
 富山駅南の分岐は、左手が南富山行き、右手が富山大学行きの線路となる。なので、今回は左側に電車が進んでいく。
 富山地鉄の電鉄富山駅の前を通り、富山の官庁街を抜けて南富山駅を目指す。

 官庁街を抜けると郊外に向かう幹線道路っぽい道に入っていく。天気予報通り段々と雨が降り始め、そのせいか、時間のせいか街を歩く人の数がどんどん少なくなっていく。
 富山港線では飛び立つんじゃないかというぐらい飛ばしていた列車だが、今度は一転ゆっくり走っているにもかかわらず路面が悪く跳ねる跳ねる。特に終点近くの路盤はかなり悪い。逆に言うと、これだけ跳ねるのに脱線しないんだから大したものという気もしてくる。
 富山駅から20分、終点・南富山駅に到着する。南富山駅というのは地鉄の不二越・上滝線の駅である。市内電車は市街地を走行するのに対して、鉄道線は市街地を迂回するように走行し、南富山駅で合流する。
 市内電車は駅の手前50メートルで停車し乗客を降ろす。その後、駅近くの乗車線が空き次第、50メートル前進して次の乗客を乗せるようだ。
 小雨が降る中、降車場から南富山駅に小走りで進むと、ホームに富山大学行の電車が待ち構えていた。この系統は元のきた路線で富山駅に戻り、そのあと、スイッチバックで南富山駅とは反対側の線路に入って、富山大学を目指すルートである。つまり、これに乗れば富山駅南側のもう一つの終点・富山大学まで乗り換えなしで連れて行ってくれるということである。

(左上)北方から富山駅の高架下へ入る 重ね重ねエモい
(右上)味のある佇まいの南富山駅
(左下)南富山からはいぶし銀の市内電車車両に乗る
(右下)富山大学前で唐突に線路が途切れる 南富山から富山駅を経由して富山大学へ
富山・南富山駅

 富山から岩瀬浜を経由して南富山までのっていた電車は新しい低床式の電車だったが、乗り換えた富山大学行きの列車は昔ながらの丸みを帯びた路面電車である。おそらく俺よりも長生きしてそうだと思われる。
 車両がぼろくなった分揺れも増すが、その外観の貫禄のせいかむしろ揺れて当然の安心感がある。
 一度、富山駅に戻りスイッチバックすると、今度は先ほどとは反対に右側へ分岐し、富山の街を南下する。先ほどの道よりも広い道で、建物も新しく、ビジネスホテルやオフィスビルが目立つ通りである。
 途中丸の内電停で環状線と別れ、右折し神通川を目指す。300メートルを超える川幅の神通川の上を走ったのち、1キロ進まない場所で唐突に終点・富山大学となる。富山駅からわずか15分である。
 雨が激しくなる中、折り返し、岩瀬浜行きとなる電車に再度飛び乗って、最後に残った環状線を制覇するため、丸の内電停を目指す。

富山・富山大学電停

 丸の内電停で電車を降り、道を渡って反対側の電停で環状線を捕まえる。環状線は丸の内で富山大学行の線路と別れたのち、ジグザグに1キロ程進み、南富山駅に向かう路線に合流して富山駅に戻るルートとなっている。
 が、しかし、電停にたどり着くと、電光掲示板に衝撃の文字が光っていることに気が付いた。「本日の環状線は終了した」との表示である。
 う~ん、ぬかった。環状線の終電が他より早いこと気が付いてなかった。まあ、しょうがない、環状線は明日乗ることにしよう...。
 いや、環状線に乗れなかったのは仕方がないのだが、であれば、丸の内電停で降りる必要はなく、素直に富山駅に行けばよかった。雨の中、真っ暗な丸の内電停で、20分ほど次の富山大学方面からの電車を待つことになった。無念...。

立山へ

地鉄立山線で立山へ 立山駅徒歩1分の富山県立山カルデラ砂防博物館に集合
富山・電鉄富山駅

 開けて翌朝、いよいよ立山砂防トロッコに乗車である。
 立山砂防工事見学会は、地鉄立山線の終点・立山駅のすぐ隣の富山県立山カルデラ砂防博物館前に現地集合となっている。
 立山に向かうため、朝電鉄富山駅に到着。立派な頭端式のホームからに停車している立山行の2両編成の列車に乗り込む。転換クロスシートの2扉車両というローカル線では珍しい特急スタイル列車。通勤、通学客に加え、登山客も交じりなかなかの賑わっている。
 列車は一駅先の稲荷町で不二越・上滝線と別れ、さらに途中の寺田駅で宇奈月温泉に向かう本線と別れ立山へ向かっていく。
 富山は海と山が近く、町からすぐ目の前に立山連峰の姿が見える。そのため立山線の線路も一貫して登り基調で、特に本線と別れたあとはずっと勾配を登り続けていく。
 富山駅から離れると段々乗客が減っていくのかと思いきや、そうでもなく、学生たちが各駅で乗り降りしているため、むしろどんどん車内がにぎやかになっていった。
 結局、不二越・上滝線と合流する岩峅寺までたくさんの学生を乗せて列車は走り続けた。岩峅寺を過ぎると斜面はますます急になり、線路は森の中に入り山岳鉄道の様相を呈してくる。

立山・立山駅

 富山を出て1時間余りで立山駅に到着。立山駅は立山黒部アルペンルートの乗換駅にもなっていて、黒部へ向かう乗客は改札を出るとそのままケーブルカーの乗り場へ向かっていく。
 黒部に向かう多数の乗客に背を向け、小雨が降る中、立山駅を後にし、駅から徒歩数分の砂防博物館へ向かう。

立山・富山県立山カルデラ砂防博物館

 まだ開館していない博物館の前で、見学会の受付を待つ。雨が降り、標高のせいもあり肌寒い。
 本来、立山カルデラ砂防体験学習会は雨天中止となっていて、催行率は6割程度と聞いていた。よって、雨の天気予報が出ていた今日はてっきり中止だと思っていたのだが、前日に決行ということがわかり、慌ててホテルを取って富山に来た。後でボランティアガイドの方に聞いたのだが、この日のような小雨がぱらつく天気の場合、通常は中止なのだそうな。なぜ見学会を主催する国交省さんが雨天決行を決めたのか不思議だが、まあ、俺のために無理をしてくれたのであれば申し訳ないことをしたものである。

 受付を済ませるとA班とB班に分かれての行動となる。実はトロッコの往復乗車はできず、片道はバスで移動となる。A班は行きがバス、帰りがトロッコ。B班は逆とまっており。俺が割り当てられたのはA班なので、まずはバスへの乗車となった。
 出発の前にボランティアガイドによって博物館のジオラマを使って立山カルデラの概要とこれから見学する場所の説明を受けた。
 カルデラというと火口跡のイメージだが、立山は火口が陥没した陥没カルデラではなく、噴火後に浸食によって山体が崩れた浸食カルデラなのだそうである。よって、阿蘇のようなおわん型カルデラではなく、いわば巨大ながけ崩れのように山の一部が削れている形をしている。
 そのカルデラの縁の頂点にあった大鳶山と小鳶山が1858年の飛越地震によって崩壊し、カルデラ内に土砂が流れ込んだ。その地震以降、この時流れ込んだ土砂がたびたび富山平野に流れ出し、大きな被害をもたらしたそうである。そのため、土砂の流出を防ぐために立山カルデラ各所で砂防工事が行われており、その輸送ルートが今回乗車するトロッコなのである。(という説明をしてくれたのだが、よく理解できず、後でWikipediaを見てようやくわかった。事前にある程度学習をしておいた方がこの見学は楽しめます)
 ちなみにトロッコだが全通したのは1931年と戦前で、かなりの歴史がある。トロッコの歴史でもわかる通り、長年砂防工事を行っているのだが、カルデラに堆積した土砂が膨大なため、工事に終わりは見えないのだそうだ。

まずはバスでカルデラ見物

六九谷展望台から立山カルデラ全体を見渡.....せない....
(右下)本来はこのような景色が見えるらしい (右上)立山温泉の浴槽跡
(左・右下)吊り橋を渡って、泥鰌池へ 吊り橋・天涯の橋から湯川を見下ろす
立山・富山県立山カルデラ砂防博物館

 博物館での事前解説が終わったところで、いよいよ出発である。
 A班は、まずはバスに乗り込んで立山カルデラに向かうのだが、乗車前に全員にヘルメットが手渡された。立山カルデラ一帯は砂防工事関係者以外立ち入り禁止となっており、途中の折立(おりたて)ゲートから先は全員ヘルメット着用が義務付けられている。基本的に見学中はこのヘルメットをかぶり続けることになる。
 立山を出発し、有峰林道と呼ばれる細い山道をひたすら登っていく。途中有峰湖の湖畔で休憩し、いよいよ折立ゲートに到着した。ここからは全員ヘルメット着用である。風雲急を告げるといった雰囲気からかバスの中に急に冷気が漂ってきた。
 振り返ると、何を思ったのか一人のババアが窓を全開に明け外を憂いを持った目で眺めているのだ。旦那が立山で遭難したのかなんか知らねぇが標高考えろよ...寒いだろ。と、車内の誰もが思い後ろを振り返るのだが、ババアの視線には何も映らず、窓全開のまま最初の見学場所に到着した。

富山・六九谷展望台

 最初の見学場所は、六九谷展望台というカルデラのヘリにある展望台である。ここからの景色は、出発前博物館で見たジオラマと同じ景色で、立山カルデラを一望できるのだそうな。そして、カルデラの向こうに雄大にそびえる立山連峰の姿を拝むことができるらしい。
 が、しかし、何も見えない。
 標高が上がるにつれ、視界がどんどん悪くなり、六九谷展望台に着いた頃には、一面靄の中となっていた。
 あちら側に、崩れた大鳶山があったといった説明や、向こうの崖が断層になっているなどの説明を受けたのだが、うん、わからん。

 続いて、かつて立山温泉という温泉街があったという場所の跡の見学に向かう。
 そこまでの道のりの途中で二つ谷を越える。谷底には川が流れていて、立山砂防工事の歴史の古いタイミングで砂防ダムが作られている。中でも戦前に完成した泥谷砂防堰堤群は、今ではすっかり樹木に覆われ自然の谷のように見えている。砂防ダムがなければ深く浸食されていたはずだと思うと、「自然」とは果たして何なのだろうかと考えさせれる。

富山・立山温泉跡

 立山温泉跡に到着。江戸時代からの歴史のある温泉街だったのだが、1969年の豪雨による道路の寸断、1970年の立山黒部アルペンルートの開通により観光ルートから外れたことで1973年に営業が停止された。
 バスから降りると、一時止んでいた雨がまたぱらつき始めてきた。
 まずは、立山温泉の近くの泥鰌池の見学に向かう。立山温泉跡からは湯川谷を挟んで対岸に位置するため、天涯の橋と名付けられた吊り橋で渡る。吊り橋の下を流れる湯川の川の流れは早く、この血が急流地帯であることがよくわかる。なお、湯川は少し下流で真川と合流し、常願寺川となり地鉄の立山駅の近くを通って、富山湾へと流れていく。
 吊り橋を渡り、歩いて数分で泥鰌池に到着。安政の地震で鳶山崩れが発生した際せき止められてできた堰止湖らしい。立山温泉があったころは透明度の高いきれいな池だったらしく、立山温泉があった頃は観光客が訪れていたのだそうな。
 といっても、もちろん。視界が悪くなんも見えない。池があることはわかるが、空がどんよりしすぎて水も淀んで見える...。ボランティアガイドさん曰く、「私もこんな泥鰌池初めて見ましたわ...」とのこと。つらたん...。
 泥鰌池の見学を終え、吊り橋を引き返して、立山温泉跡地の見学。湯船の跡がのこっているが、そんなに大きな温泉ではなさそうである。賑わっていたものの立山の山の中にあり、秘湯ではあったのだろう。

 立山温泉跡の見学を終え、バスに乗り込む。立山温泉跡が通ってきた道のの行き止まりなので、この後は一度来た道を引き返し、折立ゲート付近から分離する少しカルデラを下った場所を通る道に移動する。

白岩砂防堰堤

白岩砂防堰堤 トンネルを抜け、トロッコ乗り場のある水谷平へ向かう
富山・白岩砂防堰堤

 折立ゲート付近まで戻り、Uターンするかのように鋭角に曲がった後、湯川トンネルというトンネルに入る。トンネルを抜けると目の前に湯川が見えてくる。さっき温泉跡で渡った天蓋の橋の下流に当たる場所である。湯川を橋で超えると天蓋の湯という砂防工事関係者向けの温泉があり、ここでバスを降りることになる。
 天蓋の湯ではトロッコでここまで登ってきたB班が待ち構えており、我々A班と入れ替わってバスに乗り込む。A班はいよいよお待ちかねのトロッコに乗車するため、天涯の湯からトロッコ乗り場まで歩いて移動することになる。天蓋の湯に着く前あたりからいよいよ雨が本格的に降り出し、コンビニで買っておいた雨合羽を羽織ることになった。

 天蓋の湯から少し歩いた場所に白岩砂防堰堤という巨大な砂防ダムがある。大正以来四半世紀の年月をかけ完成させた高さ63メートル、7基の副堰堤をあわせるとその落差が100メートル超の日本一の砂防ダムである。立山地域の砂防事業のシンボル的な存在であり、国の重要文化財にも指定されている。
 その白岩砂防堰堤を渡ると、今度は山肌にポツリと開けられた乗用車一台分ほどの小さなトンネルに入る。小さなトンネルのため片側交互通行となっており、信号機が交互に点灯して交通を整理している。となると青信号のうちにトンネルを走りきらなくてはならないかと思ったが、そういうわけではなく、人が通っている間は入口のパトランプを点灯させることで車両の進入を抑止するのだそうな。するってーと、パトランプをつけ忘れたらトラックに追われて偉いことになるじゃんと思ったので、誘導係の人がちゃんとパトランプのスイッチを入れるのを見極めてからトンネルに入った。
 トンネルの長さは300メートルほど途中少し曲がっているのか出口は見えない。トンネルを歩くという機会はなかなかないので、少々不気味ではある。このトンネルなんでこんなに小さいかというと、もともとはこれから乗るトロッコ軌道用に掘られたトンネルなのだそうな。現在はこのトンネルを迂回する道路ができたため、軌道が撤去され小型車両用のトンネルとなったそうだ。
 トンネルを抜けると水谷平という比較的平らな大地が広がっている場所に出る。砂防工事の事務所やトロッコの基地などがある場所である。近年、だんだんと崖が侵食され平地が小さくなってきているらしく、これ以上の崖の崩壊を防ぐため、崖の中にトンネルをほってアンカーケーブルを張って崖を刺させているそうだ。(って、すごいけど、そんな話聞いたら怖くなるじゃん...)

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