2020-08-22

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#9 Day 9, 10, 11/ノヴォシビルスク - モスクワ ヤロスラフスキー)

 第二次世界大戦開戦前夜の世界中の時刻表を頼りに、当時の国際連絡運輸の道のりを辿る仮想旅行。
 東京を出発して9日目の朝、シベリア鉄道の鉄路は長く走り続けたシベリアの地へ別れを告げるべく、ウラル山脈の麓の町オムスクへ向かっている。

現在のシベリア鉄道

 満州里からモスクワまで6701キロを6日と5時間弱で走破する急行1列車に乗車してるが、この列車の表定速度は時速45キロほど。お世辞にも早いとは言えない速度で運行されている。
 シベリア鉄道本線の列車はどうだったかというと、モスクワからウラジオストクまで、急行2列車で9336キロを8日と20時間で走っており、表定速度はやはり時速44キロである。

 現在のシベリア鉄道がどのような速度で走っているか調べてみると、実は急行1列車と2列車は今でも健在で、モスクワからウラジオストクまで相変わらず隔日で往復している。両駅の走行時間は6日間の22分であり、80年の年月を経て、約3日近く短縮されている。

РЖД(ロシア鉄道/RZD)のモスクワ-ウラジオストク間の検索結果
現在の急行2列車(ロシア号)の停車時間

とはいえ、表定速度は65キロ、あいかわらずのんびりしている。よくよく時刻表を見てみると停車時間が1時間近い駅がかなりあり、ある意味、さらにのんびり走るようになったとも言えるようである。
 前回の1939年のトマスクックの時刻表の形式でモスクワ時間に合わせて並べてみると、こんな感じである。

シベリア鉄道到達日数比較 (モスクワ時間基準)
1939年2020年
モスクワ火(夕方)火(深夜)
キーロフ
スヴェルドロフスク-
オムスク
ノヴォシビルスク
クラスノヤルスク
イルクーツク
カルイムスカヤ
ハバロフスク
ウラジオストク木(午後)火(未明)

 なお急行2列車は、現在ではの世界最長距離を誇る列車ではなくなってちる。モスクワから出発し、ウラジオストクの手前、ウスリースクからそのまま北朝鮮内に直通し、平壌まで運行される62列車が存在する。平壌まではこのモスクワ-平壌間は9泊10日。我々にとっては簡単には乗ることができない幻の列車である。

RZDの時刻表サイトに"Pjoengjang(平壌)"の文字

ウラル山脈を超えてヨーロッパへ

#6 満州里 - (ノヴォシビルスク) - モスクワ ヤロスラフスキー
dep: arr: 1列車 ストルプス 行き


ノヴォシビルスク - スヴェルドロフスク間(1938年 日本語版は1939年)

 8月11日金曜日の朝、シベリア第2の都市、オムスクに到着。時刻表上のモスクワ時刻では6時3分。現地時刻では9時3分である。列車は例によってここで20分ほど停車する。
 東京を出発して9日目、満州里で急行2列車に乗り込んでからも5日目の朝だ。しかし、まだまだ2列車の旅はあと2泊続く。

 日付が変わって8月12日土曜日。最初に停まる駅は、スヴェルドロフスク駅である。現在は都市の名前ごと革命前からの名前であるエカテリンブルク旅客駅に改名されている駅である。ヨーロッパとアジアの境目はウラル山脈だと言われているが、スヴェルドロフスクはウラル山脈のアジア川の麓に位置し、ロシアにおけるアジアの玄関口にあたる都市であり、ロシア鉄道網としても一大拠点駅となっている。ここまで来るとモスクワとの時差は2時間。だんだん時刻表と現地の時差が小さくなっていく。
 スヴェルドロフスク駅を出発して41キロの地点、モスクワからのキロポストでいうと1777キロの地点に、ヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスクが設置されているのだが、あいにく通過時間は深夜、その姿を確認することは難しかっただろうか?
 このウラル山脈にひっそりと建てられたオベリスクだが、いくつかの写真を見る限り、現存するものと古いもので形が異なっているように見える。古くは20世紀初頭から設置されていることが確認できたので、おそらく1939年時点でもオベリスク自体は建てられていたはずだが、今とは違うものであったかもしれない。



スヴェルドロフスク - モスクワ・ヤロスラフスキー間(1938年 日本語版は1939年)

 この日の夕方、18時41分には、ウラル山脈の西側の都市キーロフⅠ(現キーロフ)駅に到着する。ここまで来るとモスクワ時間の勢力圏。いよいよモスクワが近づいてきた。
 キーロフから先は、終点のモスクワ・ヤロスラフスキー駅に向かうルートは大きく、南北2つのルートに分かれる。急行1列車は、北寄りのヤロスラヴリ経由の線路を走ることになる。ちなみに、現在の急行2列車は反対に南側のウラジーミル経由のルートをとっている。キーロフからモスクまでの距離は962キロ。ついに残り1000キロを切った。

 8月13日の日曜日、午後13時30分。ついにモスクワのシベリア鉄道のターミナル・ヤロスラフスキー駅に到着する。満州里を出発して、実に6日間と4時間56分。6,701キロの道のりを経てモスクワの地に到着した。
 ただ、もう一度時刻表をよく見てみると、モスクワの到着時間"13 30"の横に"табл. 4"の文字がある。日本語だと"表4"という意味で、「"表4"にまだ続きがあるぞ」ということを表している。
 ヤロスラフスキー駅はモスクワに9つあるのターミナル駅の一つで、頭端式ホームの見事なターミナルである。本来、列車はここで終点となるはずなのだが、急行1列車は別のターミナルであるベラルスキー駅まで回送されて、23時05分発のポーランドのストルプス行きとなり、まだもう1日運行を続ける。
 我々の次の目的地もストルプスなのでこの列車でもう1泊してもよいのだが、ロンドンまで最速での到着を目指すため、列車を乗り捨て6時間早い17時10分発の急行3列車でストルプスに向かうことにする。
 現在はヤロスラフスキー駅からベラルスキー駅まで地下鉄5号線で移動家のだが、当時はまだ5号線はできていない。そうなると、今より遥かに広大な路線網を有していた市電でベラルスキー駅に移動することになる。

 ちなみに、モスクワの9つのターミナルだが、この時代にはすでに全て完成していて、ほとんどの駅の駅舎がこの時代と同じものがちゃんと現存している。
 ロシアのターミナルは行き先の地名を駅名とする伝統があり、レニングラードに向かう列車が出発する駅はレニングラーツキー駅、ベラルーシに向かう駅はベラルスキー駅となる。到着したヤロスラフスキー駅も、その先にヤロスラヴリがあることからその名がつけれている。東京で例えるなら、上野駅が青森方面駅、新宿駅が長野方面駅、東京駅が大阪方面駅と名付けられたイメージとなるのだが、ロシア人どこまでも合理的である。 

参考文献
  • РАСПИСАНИЕ ПАССАЖИРСКИХ ПОЕЗДОВ ЖЕЛЕЗНОДОРОЖНОЙ СЕТИ СССР НА ЛЕТНИИ И 3ИМНИИ ПЕРИОДЫ 1938/39 г. (1938年) ТРАНСЖЕЛДОРИЗДАТ
  • ソ連研究資料第57号 ソ連邦鉄道旅客列車時間表 (1941年) 南満州鉄道 調査部
  • RZD サイト
  • 日本式 サハリン シベリア 時刻表 2019 (2019年) 樺太庁陸地調査部
  • NINTH EDITION Trans-Siberian HANDBOOK (2014年) BRYN THOMAS, ANNA COHEN KAMINSKI

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