2020-08-16

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#6 Day 4/ハルビン - 満州里)

 戦前のアジア・ヨーロッパ各国の時刻表を読み解いて、在りし日の東京からロンドンまでの国際連絡運輸の跡を辿る旅。
 4日目は、満州北部の都市・ハルビンから満ソ国境の街・満州里へ向かう。

満州支那汽車時間表 昭和15年(1941年)8月号 巻頭の路線図
旅のルートを赤色に着色

東清鉄道

 奉天、新京と並ぶ満州の北部の大都市ハルビン(哈爾浜)に早朝到着した後、進路を西に変え、濱州線で満州とソ連の国境の街・満州里へ向かう。
 ハルビンと満州里を結ぶ濱州線は、古くは東清鉄道という名で知られていた。開通したのは20世紀が始まった年、1901年である。東清鉄道の名の通り、この路線が通っていたの清国の領内であるが、建設はロシア帝国の手によって行われた。
 当時、ロシアは1891年よりシベリア鉄道の建設に着手していたのだが工事は難航していた。そこで平地を通る東清鉄道を先行してに開通させシベリア鉄道のバイパスとして活用しようと目論んでいたのだ。シベリア鉄道が全通するのは1916年であり、これまでの間は実質的なシベリア鉄道の本線として活用されていた。
 今回の旅で奉天からハルビンまでの経路として通行してきた連京線・京濱線ももともとは東清鉄道の支線で、ハルビンから不凍港である大連までの輸送ルートとして1903年に開通している。
 その後日露戦争後のポーツマス条約によって、1905年に長春(後の新京)以南(後の連京線)の権益が日本に割譲される。これが南満州鉄道の始まりである。
 さらに、1917年のロシア革命、1932年の満州国成立を経て、1935年に満州国がロシア革命後に誕生したソビエト連邦から残りの東清鉄道を買い取り、満州国成立時に国有化した鉄道と合わせて満州国有鉄道となった。しかしながら、満州国有鉄道とは名ばかりの組織で、実際の運営は満鉄に委託されることとなった。
 この経緯から満鉄は連京線などの自社路線と委託路線が混在する運営形態となっていた。「満州支那汽車時間表」には、満鉄の路線は「満鉄・XX線」、満州国有鉄道からの委託線は「総局・XX線」と区別され記載されている。(目次ではそれぞれ「社線」、「国線」となっており統一されていない)
 自社線と委託線は当初運賃体系が異なっていたようだが、後に統一され、1939年当時は両者の区別はほとんど無く、単に便宜的な区別に過ぎなくなっていたようである。

 ロシアの鉄道は現在も当時も1520mmの広軌を採用している。当時の満州国は現在の新幹線同じ標準軌(1435mm)の軌間を採用していた。東清鉄道も当初は当然ロシアの軌間を採用していたわけだが、満州国に移管後に標準軌に改軌されることになった。改軌は2年ほどかけて徐々に行われたのだが、新京・ハルビン間の240キロ余りの工事は終電後から始発までのわずか3時間で一夜にして改軌を成し遂げたそうだ。


満州支那汽車時間表 昭和17年7月号
満州国特殊地帯区域
(1942年 ジャパン・ツーリスト・ビューロー/1999年 新人物往来社 復刻版)

 ところで、今回の仮想旅行は1939年8月を想定している。実はこの時、日ソ間ではノモンハン事件が勃発しており、満州・モンゴル間のハルハ河の国境をめぐり激しい戦闘が行われていた。今回参照している昭和15年(1940年)の時刻表では確認できないのだが、2年後の昭和17年(1941年)の時刻表では濱州線を含むモンゴル国境周辺が「特殊地帯区域」として指定されており、関東軍の許可なしでは鉄道に乗車することができなくなっていたようである。
 1939年8月に、ソ連に向かう目的で何事もなく濱州線に乗車できたかどうかは定かではないのだが、ここは一旦戦争のことは忘れて旅を続けることとする。

#5 ハルビン - 満州里
dep: arr: 701列車 満州里 行き
ハルビン・満州里間の時刻表

満州支那汽車時間表 巻末の「名古屋ホテル」の広告

 早朝6時20分に新京からの寝台列車がハルビンに到着する。4日目の朝である。次の列車への乗り換え時間は4時間10分。この旅の中ではかなり余裕のある乗り換え時間ではあるが、駅舎を出て、目の前の街を眺める程度の時間しかなさそうだ。時刻表にはハルビンの日系ホテルとして「名古屋ホテル」の広告が掲載されている。我が同胞の尾張の民が満州で一旗揚げようと建設したホテルなのかどうかは定かではないが、ハルビンにその痕跡がまだ残っているのであれば一度目にしておきたい遺物の一つである。

 さて、次に乗り換える列車は濱州線の満州里行きの普通列車である。濱州線の末端区間、ソ連との国境にほど近いハイラルから満州里(マンチュリ)までの区間は1日1往復しか列車の運行がなく、選択肢はこの列車しかない。濱州線を起点のハルビンから満州里まで唯一直通する701普通列車は、ハルビンまで乗ってきた普通列車と同じく、一等から三等までの寝台車が連結された夜行列車であり、普通列車とは言え、ベッドで横になりながら満州里まで行くことができる。
 ハルビンを10時半に出発した列車が満州里に到着するのは、翌朝の10時55分。ハルビンから満州里までは934.8キロ。東京から岩国ぐらいの距離にあたり、当時の日本の特急では17時間ほどかかっていたようだ。これに対して濱州線の普通列車は24時間ちょっとの時間がかかっており、かなりのんびり走っていたようである。
 満州里に着けば、3本の列車で3日間、1757キロの鉄路を旅した満鉄、そして満州国ともお別れ。その先はソ連領となる。この旅の中で同一国内で3本の列車に乗車するのは満州が最初で最後。満州の地はかくも広大であったようだ。

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 なお、中国鉄道研究会さんの同人誌「中国鉄道時刻表2019-20 冬」によると、80年たった現在ではハイラル・満州里間の列車は1日13往復ほどに増えており、ハルビン・満州里間の所要時間は北京からモスクワまでの直通列車で12時間ほどと半減しているようだ。東京からロンドンまでの鉄道の旅、大体どこの国の時刻表を見ても「80年たった今でも意外とあまり変わっていない」という印象を持つのだが、中国だけは例外。戦後、特に近年劇的に変化しているようである。

 701列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。

参考文献
  • 満州支那汽車時間表 昭和15年8月号 (1940年) ジャパン・ツーリスト・ビューロー / 復刻版 (2009年) 新潮社
  • 日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 満州 樺太 (2009年) 今尾恵介・原武史 監修 新潮社
  • 中国鉄道時刻表 2019冬 (2019年) 中国鉄道研究会

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