近鉄の大和八木駅か出発する”八木新宮線”と呼ばれる路線バスは、高速道路を使用しないただの路線バスとしては、日本一の距離を誇っている。
基点の奈良県大和八木駅から和歌山県新宮駅まで、その距離は166.9km。長距離といってもただのワンマン路線バスなので、停留所の数も167もあり、全線の走破時間は6時間半にも及ぶ
こういう隠れた日本一の乗り物ってのにめっぽう弱いので、奈良まで出かけてきました。
(右)せんとくんがお出迎え (右上)2日間有効の168バスハイク切符を使う
(左下)終点の新宮駅までは、なんと6時間20分 (左)五條バスセンターに書かれていた路線図 長い!
(右)最初の休憩地点、五條バスセンター
橿原・近鉄 大和八木駅
ユニクロ創業63周年記念の朝、6時から記念品のアンパンをもらいに近所のユニクロに行ったのだが、先着100名の枠に入れず、無念の敗退。
その失意のどん底のまま、名古屋から近鉄特急に乗って、大和八木駅に向かう。
大和八木駅前の奈良交通の窓口で、八木新宮特急で2日間有効で途中下車が可能となる”168バスハイク”という切符を買う。5,250円という、路線バスとは思えない値段だが、まあ、170キロも走るのだから仕方が無い。
小雨の中、駅前のバス停には、10人程度の乗客がバスの出発を待っていた。
定刻10分ほど前にバスが現れるのだが、その姿は全く持って普通のワンマンバス。乗り込んでみても、入り口には、普通の整理券発券機があり、前方に整理券番号に応じた料金が表示される普通の料金表がある、どこまでも普通のバス。
それでも、あえて、特徴を探すとすると、座席が観光バスのような左右2席の配列になっていて、真ん中には”補助席”まで備えられているというところが、街中の路線バスとの違いか? (でも、それも、ちょっと都会から外れた路線バスでは普通だよね)
ただ、圧巻なのが料金表の隣に表示されていたバス停までの到着予定時間。
終点新宮までは、なんと”6時間20分”!
十名少々の乗客を乗せて、バスは定刻どおり9時15分に大和八木駅を出発。
ところで、ふと気づくと当ブログ6年目にして、奈良県は初登場。おいらの本拠地名古屋からさして離れていないのに、なぜいままで登場しなっかたのか不明ですな。
五條・五條バスセンター
6時間を越える長丁場なので、八木新宮線は途中3度の休憩を行なう。
最初の休憩地点は五條バスセンター。ここまでのバス停の数41なのだが、止まったバス停の数は10もないぐらい。それらのバス停で乗り降りがあり。差し引き、少し乗客が増えたかな?
五條バスセンターに掲示されていた路線図を見たのだが、改めてこの路線、バス停の数が半端なく多い。曲がりくねって表示されている路線図だが、八木新宮線は、この図のほぼ全ての停留所に停車する。
10分ほど休憩を取り、その間に定刻より5分以上遅れたのだが、特に気にせずバスは出発する。これぞ、スローライフの極みですな。
ところで、バスの乗客だが、休日のせいなのか、近隣住民よりは、観光客が多い模様。観光客は、トレッキングスタイルの乗客と山奥の温泉地に向かう乗客と、おいらみたいなバスそのものマニアに分類できそう。
五條・五條新町
五條バスセンターから3つ先のバス停、戎神社前で途中下車。
目的は、このバス停の近くにある五條新町と呼ばれる、古い町並みの見学。
まず目に付いたのが、バス停のすぐ目の前にあるナカコ将油さん。
NHKの朝のドラマにでも出てきそうな、いかにもな作りの醤油屋さん。工場の前で自社製品の販売もやっているのだけど、そこで買った”醤油もろみ”がなかなかの味わい。もろキュー最高ですわ。
で、そのナカコ将油さんの目の前にある”新町通り入口”を入ると、そこから、17世紀の初頭から18世紀にかけて建てられた町家が並んでいる。
入り口から程近くの”一ツ橋餅店”が町のシンボル的存在で、小さなショーケースにおいしそうなお餅が並んでいる。お餅はレトロな外見とは裏腹に、甘さ控えめのあっさり味。
ところで、五條を歩いていると、”明治維新発祥の地”という看板をちらほら目にする。
なんでも、倒幕急進派の天誅組が五條代官所を襲うという事件があり、これが倒幕につながる最初の武装蜂起だったのだそうな。
歴史のことは、よくわからんのだが、この説明だけでは、”明治維新発祥の地”ってのは、言い過ぎだに聞こえるのだが、どうなんだろう??
五條・夷神社前
昼飯を食べてから、再び八木新宮線に乗車。
今度のバスの乗客の数はやはり20人弱で、そのほとんどが観光客と思われる。
ところで、バス停の名前の”戎神社”の場所がわからずじまいだったのだが、どこにあったんだろう?
五條市を抜けると、次は、日本一大きな村”十津川村”に入る。
あたりの景色はすっかり山奥になり、バスは十津川に沿った国道168号線を南下していく。
このバスは、路線バスなのだが、途中、名所があると、名所を案内するアナウンスを流してくれる。どうやら、メインの利用客は、やはり観光客のようだ。
五條を出てから、次の休憩所まで1時間半、バスの停留所の数は45もあるのだが、多分、この間一度もバスは停車しなかったと思う。バス停は1キロ間隔で設置されているので、次から次に”次は、XXです”という社内のアナウンスが流れるのだが、誰も”降りる”ボタンを押さないし、バス停では誰もバスを待っていない。
不思議なのが、それにも関わらず、次の休憩所上野地に付いた時刻は、ほぼ定刻。停留所で乗客が乗り降りしたら、間に合わない計算になるのだが...。
十津川・上野地
2つ目の休憩所上野地では、20分ほど休憩する。ちなみに、90個目のバス停。
この場所の名物は、十津川を跨いで架橋された”谷瀬のつり橋”。長さ297メートルで、谷底からの高さは54メートルというから、相当な大きさ。
ここは、渡らざるを得ないということで、吊橋に向かう。
ところが、吊橋を歩き始めたとたん、物凄い突風に見舞われ、寒さに耐え切れず3分の1ほど歩いたところで、引き返すこととなった。
いや、紅葉がきれいな季節だと思うのだが、周りの景色を見たり、橋の高さにビビる余裕も無いぐらいの寒さだったね...。
十津川・十津川温泉
上野地からさらに1時間で、最後の休憩所十津川温泉に到着。バス停の数は、ついに100の大台を超えて、121個目。
このバス停と周辺のバス停で、十名ほどの乗客が降り、残りの乗客は10名弱。
ここまで走行時間は4時間を越えていて、あたりはぼちぼち暗くなり始めてきた。しかし、まだ、終点までは2時間余りの時間が必要...。
本宮・川湯温泉
十津川温泉から1時間、すっかり暗くなった頃、152個目のバス停・川湯温泉に到着。本日は、ここで途中下車をして、一泊する。
このバス停に着くまでの間に、奈良県から和歌山県に突入し、十津川は熊野川と名前が変わる。
本宮・川湯温泉
川湯温泉は、その名の通り、川からお湯が沸くという、珍しい天然温泉。
川原をスコップで掘り、川の水と混ぜ合わせて適当な温度にすると即席温泉ができるのだそうな。また、冬場には、”仙人風呂”と呼ばれる、即席温泉の巨大版が作られとのこと。
あいにく、仙人風呂は12月オープンということでショベルカーで造成中だった。
山水館 みどりやという宿にとまったのだが、やはり、川原に露天風呂が作られている。なお、露天風呂は混浴で、女性は温泉浴衣を着用して入浴する。
川のせせらぎを聞きながらの温泉入浴、なかなかの風情です。
本宮・本宮大社
で、さっそく、八木新宮線の旅再開といきたいところだが、始発のバスが14時過ぎ。実は、八木から新宮まで通しで走るバスは、一日わずか3本。昨日乗った大和八木を9時15分に出発する始発が川湯温泉に着くのが14時すぎということ。
なので、少し戻って本宮大社の見学に向かう。
世界遺産となっている熊野古道は、熊野本宮大社と紀伊山地の霊場を繋ぐ道であり、熊野大社は、古くから信仰を集めてきた神社だそうな。
そんなありがたい神社にお参りしようとするのだが、神殿の目の前の神門が工事中。
神社仏閣の工事中にあたるのは、出雲大社と瑞巌寺に続いて3回目。おいらの神社運がわるいのか、神社仏閣とは工事をするものなのか...。
参拝が終わった後、神社の入り口近くにあった茶店珍重庵で、名物の”もうで餅”をいただく。
比較的普通のあんこ入りのおお餅に、玄米粉を振りかけた和菓子なのだが、風味といい、味といい絶妙。おいしかったので、お土産に購入し、さらに季節のお菓子として売られていた、さつまいもの形をした和菓子も買ったのだが、むちゃくちゃうまかった。
熊野詣で、ここをはずしたらダメ!
本宮・大斎原(おおゆのはら)
本宮のお参りの後は、大斎原(おおゆのはら)へ向かう。
古来、本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の合流地点の中洲にあったのだが、明治の大洪水で社殿を喪失し、現在の場所である高台に移動したのだそうな。
で、もともと社殿があった場所が大斎原。現在でも大きな鳥居と一部の社が残されている。
江戸時代までは、川に橋が掛けられておらず、必ず川で禊を行なってから本宮大社にお参りをしとのこと。
本宮・本宮大社
本宮大社に別れを告げて、いよいよ八木新宮線の最後の区間に乗車する。
乗車人数は昨日よりは、やや多い20名弱ぐらいかな?
なお、今回使用した”168バスハイク”切符は、後戻りはできない切符なので、本宮大社前から昨日降車した川湯温泉までは、別料金を支払うこととなります。
新宮・新宮駅
川湯温泉を抜けてしばらくすると、新宮市に入る。
ここで、このバスを乗車したときからの疑問が一つ解消した。
このバスの行き先表示幕には、”特急・新宮駅 十津川温泉経由”と書かれている。だが、ずーっと、何が”特急”なのか、さっぱりわからなかったのだ。
というのも、八木を出発してから、ずーっと、数分おきに”次は、XX”というアナウンスが流れ、特にどこかのバス停をすっ飛ばすという雰囲気がなかったからだ。
しかし、新宮市に入ったころからバスは、ほぼ、バス停に停車しなくなり、終点新宮駅まで、まさに”特急”といった雰囲気ですっ飛ばしていく。たぶん、これが”特急”の所以だと思う。
で、新宮市に入ってから、あっというまにバスは終点の新宮駅に到着。
6時間を越える長旅を終了した運賃表示画面には、整理券番号109まで金額が表示されており、全ての金額を表示するために、4画面を切り替える必要がある状態になっていた。
恐るべし、八木新宮線!
新宮・浮島の森
始発のバスに乗ってきたのだが、名古屋に帰る終電の時間までは2時間を切っている。
そこで、歩いていける範囲で新宮を見学。
まず向かったのが、浮島の森。沼地に浮かんだ泥炭の上に森ができているという、なんとも奇妙な場所らしい。
説明を聞いてもピンとこなかったのだが、まあ、実物を見ても、あまりピンとは、きませんなあ。
外観は、お堀のある古墳のようで、浮いてると聞かない限り、浮いているようには見えない。いちおう島にも上陸できるのだが、島は現在”座礁”しているということで、プカプカしている感は全くなし...。
物凄く珍しいものなのだが、実感は伴わず...。
ちなみに、浮島の浮いている沼は、水深数十メートルの底なし沼となっていて、島の中心に蛇の穴といわれる穴があいており、そこから現れた大蛇に”おい”という娘が飲み込まれたという伝説がのこっているのだそうな...。
新宮・徐福公園
新宮のあたりには、古来より”徐福の墓”があるという伝承があったのだそうな。徐福というのは、秦の始皇帝の命によって日本に不老不死の薬を求めてやってきた学者で、日本が気に入ったのか、不老不死の薬が見つからなくて困り果てたのかはしらないが、そのまま日本に住み着いたという伝説の人物らしい。
その徐福の墓があるといわれている辺りに作られたのが”徐福公園”で、新宮駅前のちょっとした広場になっている。
どはでな、中国風の門がめじるしだが、それ以外は特になにもない。もうちょっとすれば、中国風の門にも味がでてくるのかもしれないが、今は、妙にピカピカの門で、なんというか、品の無い建造物にみえなくもない...。
ちなみに、新宮駅のある辺りの地名は、そのものずばり”徐福”なんだってさ。
新宮・新宮駅
日もくれてきたところで、後は特急・ワイドビュー南紀で名古屋に帰るだけなのだが、夕飯のお弁当を駅前の寿司屋で調達。
駅前に徐福寿司というお寿司屋さんがあったのだが、そこで売っていたのが”さんまの姿寿司”。
なんと、押し寿司のような形でさんまが1匹まるごと寿司になっている。
1泊2日の6時間を超える路線バスの旅は新宮駅で終了。
路線バスとはいえ、人の乗り降りが余り無い分、”観光バス”や、”高速バス”といった雰囲気もしたけど、八木や新宮あたりでは、ちゃんと生活路線として、地域住民の足にもなっていた。
高速道路が出来る前までは、こんな路線バスが全国に結構あったらしいけど、今となっては貴重な遺産的な路線バス。熊野古道と共に、紀伊半島の財産として生き延びて欲しいですな。
この路線が特急たる由縁ですが、
返信削除昔は奈良の大仏前から出てたのですが、その時の五条バスセンターまでの停車停留所が、
近鉄奈良駅・国鉄奈良駅・天理駅・八木駅・医大病院前・高田市駅・忍海・近鉄御所駅だけだったんですよ。
五条市内も戎神社とかの市内中心部の停留所は通過してました。
今では、八木-五条・五条-十津川間の各停バスが減便しまくってるので、このバスもその一翼を担ってる形になってます。
懐かしい〜
返信削除私が高校生の頃(1970年代半ば)、通学に天理駅を利用していたのですが、
このバスが天理駅の停留所に停まっていたのを見たことがあります。
先日のNHK「朝イチ」でも紹介してましたね。
お二方、コメントありがとうございます。
返信削除なるほど、特急の由来ご説明ありがとうざいます。
乗ってる間、ずっと疑問だったんですよね。
昔は、天理も止まっていたんですか。
関係ないですけど、もうすぐ、このブログの記事にちらっとだけ、天理駅(近鉄)が出てきます。4つ先の記事なので、載るのはいつだかわかりませんが....。