2016-01-21

東京舟下り(前編)

 東京、特に江戸から街が続いている地域には川が多い。旧江戸城の堀、江戸や明治以降に掘られた運河が、暗渠化されずに数多く残っているからだ。
 最近、そんな東京の川を巡るツアーを数多くの業者が手がけている。川から人目につかない場所を眺めれば、江戸から東京に至る歴史の一端を垣間見ることができるてのが「売り」らしい。
 で、今回は、2つの業者の3つのツアーに参加し、東京の裏側とも言える川筋を巡ってみた。

日本橋の袂、日本橋船着場から江戸東京号出発 (上)日本橋川
(下)日本橋川河口 隅田川へ合流
中央区・日本橋船着場

 最初のツアーの開始場所は、日本橋。
 このブログでは、お馴染みの国道の起点・日本橋。いつもは道路元標が埋め込まれた橋の上を見てきたが、今回は、橋の脇にある小さな船着場が出発地点となる。
 船着所と入っても、小さな舟が2隻ほど横付けできる程度の小さな桟橋があるのみの簡易的な施設である。東京の川には、いたるところにこの様な小さな船着所が整備されていて、各所から今回のような遊覧ツアーが発着している。今年移転する築地市場の跡地にも小型船用の船着場ができるらしく、都としても川の観光利用には力をいれているようだ。
 参加するツアーは、江戸東京コンソーシアムさんが主催するお江戸日本橋舟めぐりというもの。
 ”お江戸日本橋舟めぐり”は、何よりも舟に特徴がある。舟が、バッテリーで動く電気ボートなのだ。そんなものがこの世に存在していることも知らなかったのだが、乗ってみるとその静かさに驚かされる。あのボート特有の発動機の音がしないのだ。舟の中でガイドさんが説明をしてくれるのだが、肉声でも十分聞き取れるぐらい船内は静か。
 ただ、その分、船足は異常に遅く、周りの舟にガンガン抜かされていく。体感的には、手こぎボートと変わらないぐらいの速度である。ま、その分ゆっくり景色を眺めることができると思えば、それもまたこの舟の利点と言えなくもない。

 ”お江戸日本橋舟めぐり”さんは、日本橋船着場を起点に6つの遊覧コースを開催しているのだが、今回は、日本橋川と神田川を周遊する”神田川コース”と日本橋から亀島川を通って東京港に向かう”江戸湊コース”に参加した。
 それぞれ、コースに参加するとコースの地図が貰えるのだが、この地図がおもしろい。
 地図はトレーシングペーパーに印刷されていて、重ねられたの地図が透けて見えるようになっている。で、その地図は江戸時代の古地図となっているので、江戸時代そこに何があったのかがひと目でわかるようになっている。これ、市販しても売れるんじゃないかという出来で、これを目当てに参加しても良いぐらいの素晴らしいお土産をいただくことができる。

 前置きが長くなったが、まずは、日本橋を東に向かって出発。

中央区・日本橋川

 ところで、日本橋が架かっている川の名前は、”日本橋川”と言う。バカボンのお父さんの名前が”バカボンのパパ”的な逆説的なネーミングだが、まあ、そうなんだからしょうがない。これでいいのだ、である。
 通常は、日本橋を起点に時計回りで周遊するそうなのだが、本日は潮の流れの関係で、逆打ちをするとのこと。日本橋川にせよ、神田川にせよ海にほど近い汽水域なので、潮の干満の影響をもろに受けることになる。ところが、この電気ボート、いかんせん推力に難があるので、潮の流れに逆らえないらしい。
 そんなわけで、まずは、日本橋川を東に向かい、隅田川に出て、隅田川を北上して神田川に向かう。
 日本橋川は、ほぼ全て首都高速の下にあるため、川面から立ち上がる首都高速の支柱を縫うようにして進んでいく。途中幾つもの橋をくぐるのだが、橋の形もいろいろあっておもしろい。日本橋川は小さな川なので、車で走っていると、橋の上を通ったことすら気づかないこともあるが、川を進んでいれば、橋の存在にはいやが上にも気付かされる。橋が道路の為に作られていると思うと、面白い話である。

(上)隅田川を北上
(下)神田川の河口から、神田川へ侵入 (上)神田川の両岸に並ぶ屋形船
(下)秋葉原付近 桟橋の鳥は、東京都の鳥・ユリカモメ (左)元万世橋駅・マーチエキュート神田万世橋
(右)御茶ノ水渓谷
中央区・隅田川

 10分少々で、日本橋川の河口、隅田川との合流地点に到着する。川幅数十メートルの日本橋川と比べると隅田川は大河そのもので、外洋に出たかのような錯覚にとらわれる。また、隅田川に出てきて変わったのは景色だけではなかった。船の揺れが違うのだ。
 今までは、全くと言っていいほど揺れなかったのでが、隅田川に出た瞬間、無茶苦茶揺らされる。「揺らされる」というのは、波や川の流れで揺れるのではなく、他の船が航行した後に作られる引き波に揺らされるのだ。隅田川を航行する船の中では相対的にかなり小さいこのボートは、引き波の影響をもろに受ける。しかも、一度だけでなく、川の両岸から跳ね返ってくる波に2度、3度と揺すられるのだ。
 で、波と闘いながら、隅田川を上流に向かって北上する。
 隅田川花火大会が開かれる両国橋や首都高、京葉道路の橋を潜り、総武線や両国国技館のすぐ手前左手が、神田川の河口である。20分ほど大河の旅を終え、再び細い川の流れに舟を進める。

中央区・神田川

 神田川に入って目に入るのが、両岸にびっしりと停泊されている屋形船の数々。夜になると隅田川を行き来し、お台場の沖あたりでイカ釣り漁船のごとく派手な電飾で海に浮かんでいる屋形船は、昼間はこの辺りに停泊しているのである。
 しかし、今でもこれだけ沢山の屋形船が稼働しているってのは、水運が豊富な地勢故なのか、舟遊び好きだった江戸っ子の末裔故なのかどちらなんだろうね?

 神田川に入ってしばらくは、両岸いっぱいまでビルが立ち並ぶ、街の裏側といった川筋を進むことになる。
 だが、1キロほど進み、秋葉原の山手線と京浜東北線の高架下を通過すると、景色が変化していく。
 左手から中央快速線が合流し、レンガ造りの駅舎が残る元・万世橋駅を改装した商業施設マーチエキュート神田万世橋のおしゃれな外観が目に入る。ここから暫くの間、中央線は神田川と並走することになる。さらに、この辺りから川の両岸がビルではなく、崖になってくる。かつて、かの崖は御茶ノ水渓谷、あるいは茗渓と呼ばれ、ちょっとした景勝地だったのだそうな。
 といっても、神田川は江戸時代に開削された人口の川で、崖も当然人力で掘り下げられたものであるので、渓谷というほどのものでもない。しかしながら、江戸時代の人々はこの渓谷を、名高い中国の赤壁にたとえていたのだという。まあ、赤壁からしてみれば、こんな崖など段差の内に入らないひっかき傷みたいなもんで、一緒にされては堪ったものではないと思っているだろうが...。  しばらく進んで、水道橋駅近くになると、川筋は再び、ビルの裏側を縫うようになる。そして、左手から日本橋川への分岐が見えてくるので、ここで神田川と別れて日本橋川に戻っていく。

 ところで、ここまで日本橋川、隅田川、神田川と3つの川を通ってきたが、どの川にも野鳥が目につく。中でもたくさんいるのが、白い小ぶりのカモメのような鳥で、聞いてみると”ユリカモメ”なのだそうだ。東京都の鳥で、お台場に向かう新交通システムの愛称にも使われている、かの有名な鳥である。いわゆるカモメはクチバシと足が赤いのだが、ユリカモメは黄色いので一目で区別が付く。
 なんでもユリカモメは渡り鳥で、夏場は遙かシベリアまで飛んでいってしまうらしい。
 何でまた、東京都さんは冬場にしか飛んでこない渡り鳥を都の鳥にしちゃったんだろうかね。

(左)日本橋川分岐点から日本橋川へ
(右上)江戸時代の石垣が現存している
(右下)首都高工事時にざっくり積み直した石垣
(左上)解体工事中の常盤橋
(右上)常盤橋の石は大切に保存してある
(下)日本橋に帰還
天松さんのかき揚げ丼
千代田区・日本橋川

 神田川と日本橋川の分岐点、すなわち日本橋川の起点は、東京ドームのすぐ南側にある。
 日本橋川は、ここからしばらく南下した後、皇居の手前で東に向きを変えて日本橋へと向かう。日本橋川はその起点からして首都高の下に入るので、ここからゴールの日本橋まで延々と首都高の下を航行するということになる。
 と、考えると、皇居の周りの堀やら川やらはだいたい首都高の建設用地として使われたのだが、なぜ神田川だけが未だに首都高に覆われずにすんだのかというと、なんのことはない、神田川の上にも内環状線という首都高の建設予定があるのだが、幸か不幸か未だ着工されていないというだけなのである。おそらく、いまとなってはここに高速を通す必要性はないので、神田川だけは都心の中心で青空の下で水が流れる川であり続けると思われる。

 日本橋川は、その大部分が元々は江戸城の外堀である。で、皇居の近くの日本橋川の護岸には、一部、当時の石垣がそのまま残っている部分がある。これは、川からしかじっくりと見ることが出来ない部分なのだが、確かに近年作られたコンクリート護岸とは明らかに異なる石造りの護岸がかなり残されている。
 その護岸をよく見ると、精密に石がびっしりと積まれている部分と、かなり乱雑に積み重ねられ、間をコンクリートでつないでいる部分がある。作られた時代が違うのかと思ったのだがそうではなく、後者の乱雑な護岸は、首都高の工事の際、一旦解体した石垣を適当に戻した結果、適当な石垣になったのだそうな。お上からの発注とはいえ、徳川のお殿様と、キャリア官僚では、その重さがぜんぜん違うということなのだろうか。
 そんな、乱雑な石垣を反省したわけではないだろうが、現在、明治期に作られた石橋・常盤橋の解体・修復工事が行われているが、こちらは解体した石を一つ一つしっかり管理して、元の姿に戻せるようになっているとのこと。その仰々しく陳列管理されている石たちは、首都高の神田インター近くの日本橋川沿いに保管されているので、ちらりとその御姿を拝謁することができた。

中央区・日本橋

 常盤橋の工事現場を過ぎると、再び日本橋がその姿を見せる。麒麟のブロンズ像で有名な日本橋だが、橋の上からは見ることの出来ない橋の側面にもレリーフが飾られている。これは、かつては、日本橋川も水運が盛んだったことに由来し、その頃、橋の側面はけして影の部分ではなく、正面だったということを示している。
 そんな日本橋を潜ったところで、クルーズは終了。日本橋船着場で、一旦解散となる。
 おいらは、続けて、午後の江戸湊コースに参加するのだが、しばらく時間があるので、昼飯タイムとする。

中央区・天松

 なにか美味しそうなものはないかとウロウロしていたら、すぐそこにいい匂いがする店があっむた。
 天ぷらやさんの天松さんだ。夜は、かなり値の貼る高級店なのだが、ランチタイムは嘘みたいにリーズナブル。かき揚げ丼を頂いたのだが、エビ貝がたっぷり入ったかき揚げさんが、なんとも本物の風格を漂わせている。
 ちょっと濃い目のタレがご飯とかき揚げに絶妙にマッチしていておいしい。こういうしっかりしたお店は、当然のことながら、味噌汁にも手を抜かない。出汁がしっかりときいた味噌汁を頂いて、体を温めて、午後のクルーズへ臨戦態勢を整える。

(上)再び日本橋川を河口に向かって出発
(下)亀島川へ侵入 (左上)隅田川の河口近くで合流
(右上)築地の中央卸売市場
(下)浜離宮恩賜庭園
中央区・日本橋船着場

 再び、日本橋船着場に凱旋。次のコースは、”江戸湊コース”。日本橋から、東京港へ向こうというコースだ。
 乗船してみると、乗客はおいら一人。つまり、貸し切り。なんか、すんまへんです。
 午前と同じように日本橋川を東に向けて出発。さっきは河口にあたる隅田川まで航行したが、今回はその手前で右に曲がって海へ向かう。
 右に曲がった先は亀島川という1キロ程の短い川で、ちょっと進むで、結局隅田川に河口近くで合流することになる。
 亀島川の川岸は日本橋と違い、階段状になっていて、河原的な空間が設けられている。これは、かつて、水運が盛んであった頃、荷降ろし用に設けられた”河岸(かし)”の跡なのだそうである。

中央区・隅田川

 亀島川の河口から隅田川に合流。またしても、船が激しく揺れ始める。
 目の前は、もんじゃ焼きで有名な月島である。
 月島は、明治期に埋め立てられた人工島だが、その北端部分の佃地域だけは、江戸時代に、漁民よって作られた人工島なのだそうな。
 月島の隣の島は勝どきで、その対岸に今年の11月にその役目を終える築地市場がある。
 かつて、物流の主役が海運だった頃は輸送用の船が岸壁に多数着岸していたそうだが、今となっては岸壁は駐車場代わりに使われているのみで、船の姿は見えない。
 そして、築地市場を超えると、岸壁が消え、なにやら仰々しい高潮防波堤が姿を表す。高潮防波堤の水門を回り込むと、緑豊かな、浜離宮の松並木が現れる。
 実は、浜離宮に行ったことがないので、今ひとつ感動が薄かったのだが、行ったことがある人なら、きっと「ほー、海から見るとこんな風に見えるんだ」という感動がありそうな景色である。また、海から見る浜離宮は、広重の浮世絵にも描かれていて、浜離宮の姿は当時から全く変わっていないそうである。
 浜離宮を離れ、ちょっと進むと隅田川の河口となり、ここからは海、東京港となる。
 右手には、東京湾彷徨記で、ジェットフォイルやフェリーの乗り降りで利用した竹芝フェリーターミナルが見える。
 で、ここからは海の船旅、と思いきや、船は右に曲がって運河に入っていく。

(左)隅田川河口から海へ
(右上)日の出埠頭手前から運河へ
(右下)東芝発祥の地・竹芝 (上)再び東京港へ
(左下)朝潮運河
(右下)朝潮運河船着場でゴール
港区・芝浦運河

 入った運河は竹芝運河と言うそうだが、すぐに左に曲がって芝浦運河に入る。
 芝浦という地名から想像がつくように、かつて東京芝浦電気という社名だった東芝ゆかりの地である。今でも、本社はこの運河沿いにある。
 かつて運河沿いに並んでいたであろう倉庫は、高層マンションに姿を変えており、運河沿いに高そうなマンションが並んでいる。運河の名残として、重箱堀という船溜まりが残されているが、今となってはマンションの間の池のようになってしまっている。
 芝浦運河を左折し、高浜運河に入って数百メートル、ゆりかもめ(新交通の方)の高架下を潜って東京港に戻る。

港区・東京港

 東京港に出ると、右手にレインボーブリッジを眺めながら、対岸の晴海に向かって航行していく。
 隅田川では物凄く揺れた船だが、海に出ると、波もなく、近くを船が通らないのでほとんど揺れない。
 東京湾を横断し晴海と月島の間の朝潮運河に入り、オリンピックの選手村の建設現場や臨海消防署の消防船を眺めて目的地の朝潮運河船着場に到着する。
 晴海の脇にひっそりと佇む、なんとも地味な船着場である。

 日本橋から晴海へとのんびり2時間近くかけた船旅も、これで終了。
 東京の裏側を観察、といった面持ちのスローな旅でした。
 舟下りの旅、まだ少し続くのだが、長くなったので、ここらで一旦締めましょうかね。

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