名古屋の街の中心部に堀川という川が流れている。
幅は数十メートル。水深は浅く、水も汚い。
川原というような場所も無く、ギリギリまで建物が建っている場所も多いため、名古屋の人々もその存在は知っていても、取りたて意識することはない川である。
ただ、近年、街の中に水辺をってなことで、市が少しずつ岸辺を整備しつつあり、ところどころ遊歩道ができ、水質浄化対策も行われているようである。
2006年4月。そんな堀川を水源から河口まで辿りながら、名古屋市を縦断しようと考えた。
堀川は、1610年に名古屋城築城の為に掘削された運河である。
当初は名古屋城までの川だったのだが、明治初期に名古屋の北を流れる庄内川まで北進した。
城に繋がる運河だけあって、地理的には、今でも名古屋の中心部を南北に貫く形となっている。
昭和の初期までは水路として大きな物流路とおり、頻繁に船が行き来していたらしいが、今ではほとんど見ることはできない。。
現在では、庄内川から始まって、名古屋港ガーデン埠頭に至る、全長は16.2kmの川となっている。
北区・矢田川
2006年4月8日。桜は満開。
朝から春らしくない激しいにわか雨が振ったのだが、雨が上がると鮮やかな青空が広がった。
さて、堀川の起点は前述の通り、庄内川なのだが、よく調べていなかったおいらは、地図を見て勝手に数百メートル南の矢田川を起点と勘違いしていた。
そんなわけで、おいらの堀川の旅は矢田川から始まる。
北区・黒川上流
ところで、堀川の上流(名古屋城より上流)は、黒川と呼ばれている。
明治初期に堀川を延伸したのが、黒川治愿(はるよし)っておっさんだから黒川と呼ばれるのだそうな。
でもさ、例えば、田中さんの名前から川の名前を付けるとしたら、”田中川”になるはず。
”黒川川”にしないで、”黒川”にしたのは、洒落っ気なのか、それとも一文字でもケチるぞという名古屋人のケチ魂なのか????
この黒川は名古屋城に至るまでびっしりと両岸に桜が植えられている。
名古屋で川沿いの桜といえば、山崎川が有名で、この黒川にこんなにたくさんの桜が咲いていることはおいらも知らなかった。
しかし、桜の密度で言えば、山崎川なんかより黒川の方が数段上で、その景色は圧巻。
隠れた桜の名所を発見した気分になった。
遠くに名古屋駅のツインタワーが見える 黒川は名古屋城の堀となって、
北側から西側へと回り込んで行く
名古屋城外堀
名古屋高速の黒川インターの下を潜り、しばらく進むと、川は名古屋城に達する。
ここで、黒川は名古屋城の外堀となり、それより下流は堀川と名を変える。
川の流れる方向も変わり、西に向かって流れていた川が、お堀にそって南に進むようになる。
ここまで両岸は桜が植えられ緑に囲まれているのだが、この先は、川岸一杯まで建物が建つようになり、堀川は大きなどぶ川の様相を呈してくる。
納屋橋
名古屋の二大繁華街名古屋駅前と栄を東西に結ぶ道の上に納屋橋という橋が架かっている。
堀川の全行程のうち、多少なりとも周辺に店があるのは、この界隈だけである。
名古屋駅からも栄からも微妙に遠く、ややさびれかけた場所だったのだが、すこし綺麗になり、洒落た店が建ち始めている。
今のところは、小さなラブホ・ヘルス街と小さなカフェ・レストラン街が共存した微妙な地域だが、もう少し川が綺麗になれば魅力的な街に変貌するかもしれない。
納屋橋でしばらく(いや、かなり)休憩した後、再び南に向かって歩き始めた。
松重閘門
納屋橋から南に進むとレンガでできた大きな塔が見えてくる。松重閘門だ。
その昔、堀川がまだ物流を担っていた頃、西隣に平行して流れる中川運河と接続する支流が作られた。
しかしながら、中川運河と堀川では水位が1メートルほど違ったため、間には閘門が設けられた。
(閘門とは、船を二つの扉の間に入れて、扉の開閉によって船を昇降させる装置。船の前方の扉を閉め、船が扉の間に入った後、後方の扉を閉める。その後前方の扉を開けると、前方の水位に合わせて扉の中の水が増減し、船を昇降させることができる。パナマ運河にあるものが有名)
1931年に供用開始したが、1976年に廃止となり、現在は文化遺産として建物だけが保存されている。
閘門装置はもちろん、支流自体も埋め立てられ、跡地は公園となっている。
なかなか風情のある建物で、新幹線からも見えるので、一度車窓から眼を凝らしてみて欲しい。
山王橋
夕方に欠けて急激に空が暗くなり始めた。
雨でも降るのかと思ったが、どうやら黄砂らしい。
太陽も直視できるほどに暗くなっている。
尾頭橋
堀川沿いには昔、大きな貯木場があり(現時の白鳥公園)、今でも沿岸には木材屋が建ち並んでいる。
よって、この辺りになると、堀川には多数の木材が浮かべられている。
また、川沿いの道路には、船に木材を積み込むためのトロッコのレールの跡が所々に見られる。
ぼちぼち、日が暮れてきたのでとりあえず、堀川を下る旅を一段落し、翌日続きから歩き始めることとする。
尾頭橋
翌日、昼、再び尾頭橋より海に向かって再び歩き始める。
ここまで来ると川幅もかなり広がり、”川”の風格が漂い始める。
しばらく歩くと、堀川は、数ヶ月前に走破した国道1号線の下をくぐっていく。
七里の渡し
江戸時代、東海道五十三次は、尾張・名古屋の宿場町を”宮”、すなわち熱田神宮を定めた。
ここから三重県の桑名までの七里は東海道唯一の海路区間となり、”七里の渡し”と呼ばれた。
その”七里の渡し”の船着場の跡が熱田神宮の南にある。
つまり、そのまた昔の江戸時代は、熱田神宮は海に程近い位置にあり、堀川もこの”七里の渡し”で河口となっていたのだが、現在は干拓や埋め立てが進み、下流ははるか5km先となっている。
堀川が運河として掘られたのはここより上流部分であり、ここより下流は干拓や埋め立ての際に”地面にならなかった部分が結果として堀川になった”ということになる。
港区
七里の渡しを超えると、堀川の両岸は工場や倉庫が建ち並ぶようになり、やがて川沿いの道もなくなってしまう。
景色といい、川の香といい、港の雰囲気を帯びてくる。
川沿いを歩けなくなったため、なるべく近くの道を歩きながら、堀川の河口である名古屋港ガーデン埠頭に向かう。
名古屋港・ガーデン埠頭
名古屋港ガーデン埠頭の堀川の河口となる部分は、名古屋港のショッピングモール”イタリア村”のバックヤードにあたり、立ち入ることができない。
仕方が無いので、イタリア村の駐車場から海へ注ぎ込む堀川を眺めた。
ここに至ると川幅は500mほどになる。
走り幅跳びで飛び越えるぐらいの幅しかなかった堀川だが、いつの間にやら泳ぐのもうんざり(いや、泳げないかも)の幅になっている。
ただ堀川をぼーっと眺めるだけの15kmあまりの旅であるが、住み慣れた家の屋根裏を初めて覗いてみたかなような、不思議な気分に浸る旅となった。
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