1999-08-10

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#2 Day 1/東京 - 下関)

 1939年8月3日 木曜日、東京駅丸の内口。当時の天気図によると天気は曇りだったようである。
 東京駅が開業したのは1914年(大正3年)の12月。現存する赤レンガの駅舎も竣工からすでに四半世紀が時を経ており、すでに駅は手狭と判断され拡張工事が行われていたようだ。東京駅発着の列車はすでにほぼ100%電化され、通勤ラッシュもあったというから、案外今と変わらない景色が広がってたのかもしれない。
 いよいよ東京駅からロンドン・ビクトリア駅まで遥か14,000キロのタイムトリップ鉄路の旅を始めよう。

三本松の時刻表

時間表 昭和15年10月号
(1940年 ジャパンツーリストビューロー/1999年 JTB 復刻版)
路線図や時刻表の書き方が現在とよく似ている

 東京からロンドンまで13日間の旅を時刻表で追っていく企画だが、まずは日本と朝鮮半島部分の時刻表を紹介しよう。
 当時、日本には著名な月刊時刻表が2誌あった。一つが前回ご紹介した、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現 JTB)の発行する「時間表」で、これは現在まで「JTB時刻表」として発行が続いている。この当時の時刻表見てみると、目次、路線図、主要特急、東海道本線から西へ時刻表が並び、真ん中の中央本線を挟んで、今度は東北本線から東の路線が並んでいる。この体裁は、現在のものと全く同じである。どうやらこのような体裁になったのはちょうどこの時期らしい。
 あまりに見慣れた体裁でぱっと見違和感はないのだが、唯一大きな違いが一つある。当時日本の鉄道はまだ24時間制を敷いておらず、時刻が12時間表記となっていた。時刻表上の表記は、午前は細字、午後は太字となっているのだが、慣れないと見分けがつかない厄介な代物である。

汽車汽船旅行案内 昭和十四年十二月号
(1939年 旅行案内社/1993年 アテネ書房 復刻版)

 JTBの「時間表」の創刊は大正十四年(1925年)なのだが、実は月刊の時刻表としては後発であり、それよりはるか昔、明治27年(1894年)に創刊された時刻表がある。表紙に三本の松が描かれていたことから「三本松の時間表」と呼ばれていた「汽車汽船旅行案内」がそれである。
 こちらの時刻表は表紙に誇らしげに「明治廿七年創刊」と書かれていることからも伺えるように、歴史と伝統を重んじる編纂で、なんと漢数字縦書で時刻表が記されていた。時刻が縦書きなので、上から下ではなく、右から左に路線上の駅が並んでいて、今の感覚からするととてつもなく読みにくい時刻表である。路線図もどこか浮世絵的で趣がある。

どこか浮世絵チックな路線図
時刻表は漢数字縦書き、進行方向は右から左
 「汽車汽船旅行案内」は、終戦直前、用紙不足や戦時統制により廃刊となり、終戦後も復活することはなかった。

 今回の旅は、当時の時刻表の中から最速の日欧間の移動ルートを見つけ旅をしていくのだが、日本と朝鮮区間は昭和14年12月の三本松の時刻表を使用することにする。
 戦後、JTBを始めとしていくつかの出版社が過去の時刻表を復刻する試みを行っている。戦前の時刻表も何冊か復刻されているのだが、その中で、今回の旅行のターゲットでである1939年(昭和14年)8月に最も近い時刻表を選んだ結果である。復刻したのはアテネ書房なる出版社である。1990年代まで鉄道がらみのいくつかの本の復刻を手掛けていたようだが、現在その消息は不明である。

 さっそく1939年当時の時刻表を覗いてみよう。
 東京近郊区間の案内というページがあるが、中の路線図を見てみると、山手線、京浜東北線、中央線、総武線、常磐線といった現在のJRの路線網がこの時点で出来上がっているのがわかる。運転間隔を見てみると京浜東北線のページに「田端・上野・品川間は二分乃至四分毎に運輸」と記載されていたので、すでに現在なみの高頻度運行が行われていたらしい。(当時は山手線と線路を強要していたので両線を合わせた運転間隔と思われる)

東京近郊電車路線図 概ね現在と変わらない
 後ろの方に進むと、当時日本に編入されていた外地、台湾、朝鮮、樺太は当然のように国内扱いで時刻が掲載されている。それに加えて満州と中国北部の時刻表の抜粋も記載されていた。
 また、巻末の船舶の部分では日本郵船と大阪商船による欧米だけでなく、南米、アフリカを含めた全世界に向けた航路が記載されていて、また、少しずつ運行が始まっていた航空路の時刻表も記載されている。

大阪商船のアフリカ、南米航路
航空路 当時のプロペラ機の航続距離は1000キロもない

特別急行ふじ 下関行き

 東京からロンドンまでの鉄路の旅とは言え日本は島国、当然まずは船で大陸に渡らなくてはならない。当時、大陸に渡るルートはいくつかあったのだが今回は最速かつ多くの旅客が利用した下関から釜山に渡るルートを辿ることにする。なお、その他の大陸移動ルートに関しては、次回軽く紹介する。

 東京ー下関間の時刻表を見てみよう。今も昔も日本の鉄道の花形は、東海道・山陽本線で、当然時刻表の先頭のページに鎮座している。下関から先、九州へ向かう関門トンネルが開通するのは3年後の1942年。当時は工事の真っ最中なので、山陽本線は下関で行き止まりとなっていった。
 東海道・山陽本線のページは、急行と普通のページが分かれていて、当然まずは急行の時刻表が載っている。
 東海道・山陽本線を東京から下関まで直通する急行列車は一日7本、そのうち2本が「『特別』急行」となっていて、「さくら」、「ふじ」という愛称がつけられていた。「さくら」と「ふじ」は、午後1時半と3時に相次いで東京を出発するのだが、「さくら」の方は二等車と三等車のみ。一等車を連結している「ふじ」がこの時代の看板特急だった。その証拠に、列車番号には栄えある「一」が割り当てられている。
 「ふじ」は、釜山への連絡船にも接続されており朝鮮半島に渡る人々にもよく利用されていた。今回の長い旅路のスタートにもってこいの「特別急行 ふじ」に乗り込み、はるか14,000キロの彼方、大英帝国の首都ロンドンを目指す旅を始める。

午後三時東京発 特別急行ふじ 下関行き

 特急「ふじ」は午後3時に東京を出発し、下関に到着するのは翌朝の9時25分。全線の走破時間は18時間25分。表定速度は約60km/hとなるので、現行の在来線特急と比べても遜色ないスピードが出ていることになる。東京から沼津までは電化されていたはずで、そこで電気機関車から蒸気機関車への付け替えが行われたと思うが、時刻表からはその様子を伺うことはできない。
 余談だが、この時代、東京発の各駅停車下関行きなどという、1000キロを超える距離を走行するとんでもない鈍行列車もあったようだ。午前と午後に2本あり、走破時間は28時間前後と寝台列車でもないのに24時間超えとなっている。現行の時刻表を見てみると、各駅停車だと東京駅を始発で出発してもその日のうちにたどり着けるのは岩国まで。現在は夜行の普通列車など存在しないので岩国で次の日の始発を待つことになり、下関に到着するのは朝10時頃。都合29時間となるので、表定速度で比べると戦前の方が早かったということになる。(ちなみに、快速を使えば、下関まで一日で走破可能)

#1 東京 - 下関
dep: arr: 特別急行ふじ 下関行き

 真夏の午後3時、夏の日差しの中、東京を出発した特急「ふじ」の足取りを追ってみよう。
 東京を出発後の停車駅は、横浜、小田原、熱海、沼津、静岡と続く。概ね現在の新幹線のこだま号の停車駅に近いラインナップである。名古屋に午後8時27分着、大阪に着くのは日付が変わる直前、午後11時29分となっている。大阪まで8時間半、現代の新幹線と比べると流石に3倍以上の時間がかかっている。
 その後、三ノ宮手前で日付をまたぎ、そこから先は深夜時間帯ながら山陽、中国の主要駅に停車しながら西に向かう。

柳井駅前後の当時の山陽本線のルート

 途中、よく見ると麻里布駅(現・岩国駅)と徳山駅の間の柳井駅が「(柳井)」と括弧書きになっている。これはこの当時、現岩徳線が山陽本線とされ、柳井駅経由の線路は柳井線と支線扱いになっていたからである。よって、この「ふじ」号は、現在で言うところ岩徳線のルートを経由して下関に向かったということになる。

当時の下関駅の位置

 あくる朝、午前9時25分に下関に到着する。
 下関駅だが、駅の位置が現在とは少し変わっている。現在の下関は関門トンネルに直通することを前提に彦島方面に線路が向けられているが、関門トンネル開通以前の当時は、九州・朝鮮へと向かう連絡船との接続を前提に、今より1キロ弱東に駅があり、桟橋に横付けるように東西方向にホームがあったようだ。
 朝鮮半島に渡る関釜連絡船の出港は、約1時間後の午前10時30分。当時、朝鮮は日本統治下にあり国内扱い。出国の手続きも不要であったはずで、そんなに焦ることなくゆっくりと連絡船に乗り換えることができたのではないだろうか。
 なお、下関に到着した特急ふじからは九州に向かう乗客も多数いたはずである。下関から門司に向かう連絡船の出港は到着からわずか10分後。こちらの乗客は列車を降りたあと、そそくさと桟橋に向かっただろう。

 特別急行ふじの通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。

参考文献
  • 汽車汽船旅行案内 昭和14年12月号 (1939年) 旅行案内社 / 復刻版 (1993年) アテネ書房
  • 鉄道省編纂 汽車時間表 昭和15年10月号 (1940年) ジャパン・ツーリスト・ビューロー / 復刻版 (1999年) JTB

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