JR九州は博多港と韓国の釜山港を結ぶ日韓航路を就航している。これには僕も、2014年の大みそかに今は亡き日韓共同きっぷを利用して乗船している。
この航路には従来、高速水中翼船、B929ことジェットフォイル3隻が就航していた。この船の後継機として大型の三胴船の導入が決まり、建造が進んでいるところでコロナ禍が発生。QUEEEN BEETLEと名付けられた新型船は宙に浮いた形で博多湾に係留されていた。
その後、博多港を起点とする遊覧航路などに利用されてきたのだが、この度、門司-博多湾を結ぶ2点間航路が就航した。
従来は自国内の航路は自国船籍に限りるというカボタージュ規制によりパナマ船籍であったQUEEN BEETLEの2点間航路は就航できなかったのだが、日本船籍化することで実現したそうである。
コロナ禍が収束すればQUEEEN BEETLEは日韓航路に復帰するはずなので、気楽に乗るのは今しかないということで、門司港に向かった。
門司港
東京から下関の東海道・山陽本線の特急の時刻表に続く形で時刻が記載されている。
北九州・門司港駅
せっかく門司港に来たので、まずは門司港駅の見学。
門司港駅といえば、開業当時の姿に復元されたネオルネッサンス様式の駅舎が有名である。関門トンネルが完成する前までは、門司港駅(当時は門司駅)は関門海峡の連絡船の発着する九州の玄関口であった。
連絡船は駅舎の正面から見て右側にあった桟橋に発着しており、かつて道路の地下を通って桟橋に向かっていた連絡通路の入り口が今も残っている。
昭和14年(1939年)の時刻表を見てみると、門司と下関を結ぶ連絡船は、1日25往復以上、10分から30分間隔でひっきりなしに運行されていたようである。
長時間電車に揺られ、連絡船でたどり着いた九州の地で乗客が見上げる駅舎はさぞ立派に見えたことだろう。
そして、ホームは九州の起点らしくすべての線路が駅舎で行き止まりとなる頭端式のホーム。これぞ、まさにターミナルである。
北九州・九州鉄道記念館
門司港駅の裏手、留置線の横に九州鉄道記念館がある。
九州地区の鉄道車両が展示してあり、展示館となっている建物は明治期に国有化された九州鉄道の本社を転用したものとなっている。
貴重な車両も並んでいるのだが、質量共に微妙な分量で、軽く見て回らると1時間かからない。
個人的には青色の帯の巻かれた国鉄寝台電車の583系が一番の見どころだった。寝台列車がほぼなくなってしまって久しいが、このような簡素な寝台列車が復活すると列車旅はもっとたのしくなるのだけどね...。
入り口の横に監視所のような場所があるが、これがどの時代に作られたものかは不明 大連航路の上屋として使われていた時代は、2階の海側の通路がデッキとなっていた
当時は建物のすぐ横が岸壁でここから船に乗り降りしていた 戦前の大連航路の時刻表(汽車汽船旅行案内 昭和十四年十二月号)
大阪汽船が大阪市発着の航路を運航していた
北九州・旧大連航路上屋
戦前、門司は本州に向けた九州の玄関口であったわけだが、同時に大陸からの船を迎え入れる日本の玄関口でもあった。
当時、門司からは日本の租借地のあった大連への航路が開設されており、たくさんの人が大連、あるいは満州、北支に門司から旅立っていったはずである。
門司港の端の方に当時の大連航路ターミナルであった上屋が今でも残っている。この建物は、戦後、米軍に接収された後、税関の庁舎、倉庫などに利用され現在に至っている。
上屋として使われていた往時の姿で保存されているわけではないが、大まかな外観と当時桟橋とつながっていた2階部分のデッキが残っている。建物の2階に上がると、通路あるいはベランダのように見える部分がそれである。
かつては建物のすぐ目の前が岸壁で、デッキから桟橋を渡して大連行きの船に乗り込んでいたようである。おそらく、見送り客はデッキから紙テープを投げていたことだろう。
現在は埋め立てられて道路となっているが、デッキに立つと港と大陸を行きかった船を思い浮かべることができる。(気がするだけだが...)
大連航路も昭和14年(1939年)の時刻表で振り返ってみる。
門司から大連に向かう船は、ほぼ毎日出港しており、出発時刻は正午となっている。早朝、一晩かけて大阪よりたどり着いた船が門司で半日係留され、大連に出発するという日程となっていた。
大連に到着するのは翌早朝。そこから満州鉄道に乗り換え、満州や北京に向かっていく人々も多数いたはずである。
QUEEN BEETLE
(下)船内のバーとそこで販売されているフレンチトースト
北九州・門司港
門司港の見学を終え、いよいよ本日の本命・QUEEN BEETLE号に乗り込む。
船体の大きさ故か、QUEEN BEETLEは、下関などに向かう船が発着する門司港駅前の船着場からは少し離れた場所に停船していた。
門司港駅から北に向かい、跳ね橋を超えた対岸にある港ハウスに乗船手続き所が設けられている。微妙に広い港ハウスの中をさんざん探し回ると、死角にQUEEN BEETLEのカウンターがあった。「なぜ、こんなわかりにくいところに…」と、言いかけたが、まあ何かに追われているのかもしれないので、黙っておくことにする。
カウンターで乗船券を発券してもらい、岸壁に向かう。
岸壁に横付けされているQUEEN BEETLEだが、ともかくデカい。旧ビートルに比べると乗車定員は2.5倍、見た目で言えば3倍以上の大きさがある。
船体のデザインはJR九州の車両のデザインで有名な水戸岡鋭治が担当している。
三つの船体の上にデッキが乗った特徴的な外観で、色は落ち着いた赤色で塗られている。
まあ、あれだな。どことなくネオ・ジオンの戦艦の様にも見え、船という既成概念を飛び越えた何かに見えますな。ともかくかっこいい。
かっこよすぎる外観にテンションが上がったところで、さっそく中に乗り込む。
船内は客室2層+室外デッキの計3層。1階が普通席で、2階がビジネスクラスとなっている。
せっかくなのでビジネスクラスに乗り込んだのだが、座席快適そのもの。前方と後方でシートのタイプが異なっており、前方は大きめのリクライニングシート、後方はほぼフルフラットに倒れるシェルタイプのシートとなっている。特に後方座席は飛行機のビジネスクラスのシートそのもの。眺めのいい前方席を取るか、寝心地のよい後部座席を取るかの二択というわけである。
普通席にもビジネスクラス席にもバーがあり、軽食やドリンクを注文することができる。さらに、ビジネスクラスには無料のカップタイプの自販機が設置してありドリンク飲み放題という太っ腹である。
旧ビートルは超高速船であるため、全席シートベルト着用だったが、QUEEN BEETLEはシートベルトなし。航行中も船内を自由に歩くことができる。速度は旧ビートルに劣るものの、船内の快適さは段違いである。
北九州・門司港
定刻通り、QUEEN BEETLEは門司港を出発した。博多までの航行時間は約 時間。
外海に出ないので、巡航速度的は本気を出さないとは思っていたのだが、にしても遅すぎる...。その理由はすぐに分かった。
関門海峡は国際航路であり海上交通の要所であるのだが、最狭部が約500メートルと非常に狭く海の難所でもある。そんな狭い海峡を通るため、速度は出せず遊覧船並みの速度で順序良く並んで進んでいくことになる。
まあ揺れないのは良いことだが、いつまでたっても関門海峡を抜けられない。
やっと関門海峡を抜け出したのは出港から1時間ほどたってからで、そこからもあまり速度を上げずに博多港に向かっていく。
博多港へ到着
福岡・博多港
博多湾の入り口、志賀島を超えて湾内に入ると、博多の街が見えてくる。なんといっても目立つのはPayPayドーム。近くで見ても他のドーム球場より一回りデカいんだよね。
そして船はゆっくりと港内に入り、ちょうど日没のタイミングで岸壁に接岸した。
どうやら旧ビートルの船着場はサイズ的に使用できないようで、そのすぐ脇の岸壁に直接横付けされた。この横付け作業に10分以上かかっていて、船の構造的に何か難がありそう??
しばらくしてようやく下船が始まった。船を降りると、岸壁の上に国際ターミナルの方向にビニールハウスのような細長い通路が延びている。日韓航路が再開した際は、下船後この道を通って通関に向かうのであろう。
しかし、今回は門司からの国内航路。船を降りたら即解散である。
港から改めて船体を眺めてみるが、やはりかっこいい。特徴的な船体もさることながら、色が素晴らしく、夕暮れの海に映えている。
JR九州は、コロナ禍で日韓航路を絶たれ苦境に陥っている。当初の計画では1隻のジェットフォイルを新型船に置き換える計画だったが、長引くコロナ禍で3隻とも売却することになり、QUEEN BEETLEが唯一の所有船となっている。
今後、すぐには日韓航路が再開するとは思えず、1隻だけではダイヤの利便性もかなり低いものとなる。今後、航空機との競争の面でも厳しいとは思うが、数少ない日本の国際航路をなんとか維持してほしいと願っている。
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