アメリカは車社会であり、鉄道のイメージは殆どない。広い国土の長距離移動は航空機の独壇場だ。
しかし、歴史を振り返ると19世紀末の西部開拓時代は大陸横断鉄道こそが開拓の原動力であり、当時はアメリカ全土に広大な鉄道網が張り巡らされた。その一方で、アメリカはモータリゼーションの進行も早く、1960年代には既に斜陽産業となってしまう。その後、1971年に残された僅かな長距離旅客輸送は新たに設立された国営の旅客会社に移管されることになった。これが現在でもアメリカの長距離鉄道運輸を一手に引き受ける Amtrak の誕生である。
誕生から半世紀たち、徐々に衰退しつつはあるが今でも大陸横断鉄道がいくつかは運行されている。また、Amtrakにはカナダとの国際列車も2本運行されている。
今回は、いつか乗りたいと思っていた Amtrak についに乗車することにした。乗車する列車は、ニューヨークからトロントまでを結ぶ国際列車・メープルリーフ号である。
ということで、今回も海外編である。
なぜかシアトルから
この日は地下トンネルの天井崩落事故があって一部単線運行 シアトル モノレール
(右) 駅の部分、複線の線路が異常に狭く2台停車できない シアトルのランドマーク スペースニードル スペースニードルの展望台から見えるレーニア山
写真にはあまり移っていないが、肉眼でははっきり見えていた
シータック・シアトル タコマ国際空港
メープルリーフ号に乗車するために、シアトル経由ニューヨーク行きのチケットを取っていた。本来はシアトルでは2時間強の接続で、すぐにニューヨーク便へ乗り換える予定だったのだが、接続するシアトル-ニューヨーク間の飛行機が遅延していた。
当初は2時間遅れだったのが、あれよあれよという間に5時間遅れになり、結局はフライトがキャンセルになり、当初の予定から9時間遅れの別便に振替となった。
であれば、最初から9時間遅れと言ってくれと言いたくなるが、仕方がないので余った時間を有効活用すべくシアトルの街にでかけることにした。
シータック・SeaTac / Airport 駅
時間的に市街地の滞在時間は2時間ほどなので、シアトルのランドーマークのスペース・ニードルに狙いを絞って空港を出発した。なぜスペース・ニードルかというと、昔ハマっていた Dark Angel というドラマで、主人公のジェシカ・アルバ演じるマックスがよく登っていたからだ。ひと目実物を見たかった。
シアトルのタコマ空港からシアトル市街地までは、Link 1 Line と呼ばれるライトレールで40分ほどである。なのだが、よりによって前日に Link 1 Line が通る市街地の地下トンネルの天井が一部崩落したとやらで、市街地部分が単線の片側交互通行となっており、途中で列車を乗り換えて、1時間ほどかかってしまった。本日は、とことん交通運がない。
街中からちらっと見るだけでもいいと思っていたので、直線距離が一番近そうな Westlake 駅で降りたのだが、市街地の中心部でありビルが多く、スペース・ニードルの姿が全く見えない。改めて調べてみると、近くからスペース・ニードルががあるシアトルセンターまでモノレールが出ていることがわかったのでモノレールの駅に向かった。
シアトル・Westlake Center
モノレールの駅はビルの3階の壁にあり、ビルからモノレールに飛び乗るかのようにホームが突き出ている。
だが、どうみても明らかにレールの構造がおかしい。レールは2本あるのだがレールの間隔が車両より狭く、すれ違いできる幅がない。しかもビルから離れたほうのレールは空中に浮いていてホームが存在していない。
留置線にしては車両がどちらか1両しか置けないので線路が2本ある意味がない。可能性として考えられるのは、かつては線路がこの先まで伸びていて、ガントレットとなっていた部分に駅を作った、ということだろうか?
実は帰路にこの予想が全く違っていることが判明するが、とりあえず謎を残したまま、Seattle Center 行きのモノレールに乗車する。
モノレールは東京モノレールと同じアルヴェール式で、車高が小さい代わりに車内に台車部分がはみ出していて、座席が少ない。乗車した Westlake 駅から少し走り出すと2本の線路の間が普通の複線の幅に離れていく。駅は2駅しかなく、途中列車とすれ違うことはなく2分で終点に到着した。
終点の Seattle Center に着くと、複線の反対側の線路にもう一編成列車が止まっていた。むむ、途中に分岐器らしきものはなかった気がするので、この列車が発車してもWestlake にはホームのないはずなのだが...?? 謎は深まる一方だが、お目当てのスペース・ニードルに向かう。
シアトル・Siattle Center
モノレール駅のすぐ目の前にスペース・ニードルは建っている。というのも、どちらも1962年のシアトル万博の遺産で、モノレールは万博会場への輸送手段、スペースニードルは万博のシンボルとして建設されたものである。タワーの高さは184メートル。高さはそこそこであるのだが、展望台の幅が42メートルと規格外に大きい。
展望台は2層に別れていて下層は回転レストランになっている。昭和の頃は日本中の屋上に回転レストランがあったのだが今となってはほとんど残っていない。いつまでも大切に使い続けるのは、古いものを妙に大切にするアメリカらしい。
展望台に登ると、シアトルの街はもちろん、シアトルを囲む山々を一望することができる。中でも目を引くのがレーニア山。森永のカフェラテ、マウントレーニアのパッケージでおなじみの山である。スペースニードルからレーニア山が見えるという予備知識はなかったのだが、見た瞬間「リアル・マウント・レーニアだ!」と、すぐにわかった。あの絵そのものの山がシアトルの街の向こうに聳えているのだ。
もちろんリアル・レーニア山のシルエットはとても美しく、森永がパッケージに採用するのもむべなるかなである。
キングストリート駅
(右)Westlake Centerの駅では、遠方の線路への乗車用のタラップが伸びる 事故で単線運行中の Link 1 Line Westlake 駅
以前は路面電車だけでなくバスも乗り入れていた シアトルの長距離列車のターミナル キングストリート駅
シアトル・Westlake Center
いつまでもレーニア山を眺めているわけにもいかないので、モノレールに乗って Westlake に帰るとする。
帰りは図らずしも行きの列車を降りたときに反対側のレールに停車していた謎の列車に乗車することなった。どうやって Westlake のホームに到着するのかと思ったのだが、何食わぬ顔をしてごく普通にホームのない線路で停車した。
どういうことだと思ったら、ホームからタラップが伸びてきた。タラップで隣の線路を乗り越えてホームに移るという仕組みらしい。
どうやら2つの線路は単線並列になっていて、交互に列車が運行がされているようである。Westlake 駅周辺は線路の幅が狭いためどちらか一方の車両しか侵入できないというガントレットのなり損ないのような構造となっているが、交互に運転するなら問題ないということである。終端に分岐器を設けるよりはタラップの方が安上がりという割り切った判断だろうが、こういう割り切りって日本の企業は絶対できないよなと、妙に感心した。
シアトル・King Steet 駅
Link 1 Lineに乗って空港に帰るわけだが、その前に、International District / Chinatown で途中下車を。
ここシアトルは港町で、戦前は日本などアジアとアメリカを結ぶ航路の港として賑わった。この航路は太平洋航路の終点にとどまらず、大陸横断鉄道を経由して欧州との最短経路として活用されていた。日本郵船も横浜-シアトル航路を開設し、多くの乗客をシアトル経由で欧米へ運んでいた。(なお、シアトル航路唯一の生き残りが横浜港に静態展示していある氷川丸である。)
その当時、アメリカ側で日本郵政との連絡運輸を担当していたのがグレートノーザン鉄道で、太平洋を渡ってきた乗客を大陸横断鉄道に乗せ、東海岸へと運んで行った。この時作られたシアトルのターミナル駅、キングストリート駅が現存しており、ちらっと見学してから空港に向かうとする。
Link 1 Line の駅は掘割式で、階段を登って少し歩くと大きな時計台が印象的なキングストリート駅の駅舎が見えてくる。
駅舎が建てられたのは1906年。鉄道黄金期から衰退期までこの地でシアトルの発展を見届けていた。
現在でもAmtrakがここからエンパイヤ・ビルダーというシカゴ行きの列車を運行している。Amtrak で大陸横断というのも、いつかやってみたいですな。
キングストリート駅をちら見したたところで時間切れ。今度こそ 1 Link Rail に乗って空港に戻ることにする。
実は、振り替えた飛行機も30分程遅れたのだがどうにか出発し、都合、10時間ほど遅れてJFK空港に到着した。その後、さらに別の便で運ばれてきたスーツケースを受け取るのに手間取り、翌朝、最早昼かという時間にどうにかマンハッタンに到着した。
ニュージャージーへ
(右上) WTC崩壊跡地の慰霊碑
(右下) ニュージャージーへ向かうPATHトレイン (左上)ニュージャージーで路面電車に乗り換え
(右上)リバティー州立公園 微妙にデカい
(下) ニュージャージーから見るマンハッタン かっこええ 旧ジャージーシティー駅 駅舎 (上) ジャージーシティー駅ホーム跡
(左下) 駅舎内部 現在は観光案内所
(右下) 頭端式のホームの先に駅舎があり、その先はフェリー乗り場になっている
ニューヨーク・ワールドトレードセンター
せっかくニューヨークまでやってきたのだからと、5日ほど滞在してニューヨークを見学して回った。
まずはニューヨークに来たからにはいっておかなくてはならない二大観光スポット、自由の女神とエンパイヤステートビルの見学に出かけた。
マンハッタンから自由の女神のあるリバティー島に渡るには、普通はマンハッタンの南の端にあるバッテリーパークから船に乗船するのだが、この船が無茶苦茶混む。千人以上乗れるであろう大型船が行き来しているのだが、ほぼ全席立席で満員電車並みにギュウギュウ。時間制の予約チケットも平日ですら完売することがある人気ぶりである。
実は、リバティー島に行くフェリーはもう一か所、マンハッタンの西の対岸ニュージャージーからも出ていて、こちらは船は一回り小さいもののガラガラでゆっくり座って乗船することができるらしい。
ニュージャージの乗り場はリバティー島のすぐ対岸のリバティー州立公園。今回は急がば回れで、ニュージャージーからの船でゆったりリバティー島に渡ることにした。(というのは言い訳で、実は単にニューヨーク発とニュージャージ発のチケットを買い間違えただけである。ただ、これは結果オーライだった。)
ニュージャージーに向かうため、マンハッタンとニュージャージを結ぶパストレインの始発駅ワールド・トレード・センターに向かう。
911によるWTCの崩壊後、跡地に新しく建設されたのがニュージャージーとニューヨークを結ぶパストレインのワールド・トレード・センター駅である。
駅は地下にあるのだが、特徴的な屋根に覆われた駅舎全体は Oculus と呼ばれるショッピングセンターになっている。
ワールド・トレード・センター自体も再開発がされ複数のビルが建つ複合施設として生まれ変わっている。崩落したツインタワーのあった場所は、ツインタワーの形そのまま2つの巨大な慰霊施設となっている。North Pool, South Pool と名付けられた慰霊施設は2つの大きな窪みで絶えず水が注ぎ込まれている。
約20年前の911の日、僕は仕事でペルーに滞在していた。朝、オフィスのテレビで見た映像の衝撃は今でも目に焼き付いている。その日帰国予定だったので、日本に帰れなくなったんだよね。
ジャージー・エクスチェンジ プレイス駅
パストレインでハドソン川の川底トンネルをくぐり、ニュージャージーに到着。
映画・飛んで埼玉の英語版の紹介文で、"Saitama is Tokyo's New Jersey"とかかれていたので、ニューヨークの埼玉ポジションの場所らしい。確かに、 Mr. Robot というドラマで、微妙にディスられているのを見たことがある。
ニュージャージに着いてから、ハドソン川越しにマンハッタンを見たのだが、たしかになんか天と地の差があるんだよね。ハドソン川越しに見るマンハッタンは逆光に映えてかっこよかった。いやー、一度あそこで働いてみたいねぇ。
ニュージャージーで降りた Exchange Place 駅から自由の女神のフェリー乗り場までは直線距離でわずか1キロなのだが、その間に入り江があるために大きく迂回しなくてはならない。路面電車に乗り換え、3駅進んだ Jersey Avenue 停留所で降り、そこからはひたすら歩く。歩く距離は約2キロ。路面電車にのってむっちゃ遠のいているのだが1キロ入り江を泳ぐ泳力はないので仕方がない。
停留所とフェリー乗り場のあるリバティー州立公園は目と鼻の先なのだが、公園がバカでかいため公園の中の真っ直ぐな道をひたすら歩いていくことになる。歩きながら、右手にちらちらと自由の女神が見えてきた。
公園を歩ききり、フェリーの波止場が見えたと思ったら、なにやら廃墟のような巨大な建物が眼の前に立ちはだかった。
かつてのニュージャージー駅の跡地らしい。巨大なホームとトレインシェードは朽ちるがままに放置されているのだが、駅舎はリニューアルされ、リバティーアイランド行きフェリーのターミナル(実質的には切符売り場)として活用されている。
ニュージャージーとマンハッタンの間にはハドソン川が流れているのだが、かつてはハドソン川沿いに5つのターミナル駅があり、マンハッタン行きのフェリーと連絡していたらしい。5つの駅の一つがこの駅で、駅舎が完成したのは1889年。後にCommunipaw駅やジャージーシティー駅という愛称で知られたこの駅から多くの近距離列車、長距離列車が発着していた。長距離鉄道としてはボルチモア・アンド・オハイオ鉄道が乗り入れており、シカゴやセントルイス方面への列車が発着していた。
しかしながら、ペンシルバニア鉄道が1911年にハドソン川の川底トンネルを開通させたこや、モータリゼーションの進行などで徐々に使用されなく、1967年に閉鎖された。
こんな駅の跡がここにあるとは知らなかったので、思わぬ収穫である。ニュージャージー経由のフェリーにして本当によかった。
自由の女神
ジャージー・リバティー州立公園
さて、ニュージャージーの駅舎はフェリー乗り場のターミナルとして活用されているようで、微妙に活用されておらず、フェリーに乗るためには少し離れた位置に建てられたプレハブ小屋で荷物検査を受けなくてはならない。911以降、アメリカではなにかと荷物検査が厳しい。ニューヨーク側からフェリーに乗船するときにものすごく混雑するのもこのせいである。
ニュージャージ側の乗客はそんなに多くはないので、面倒ではあるものの、あっという間に荷物検査は終わる。プレハブ小屋を抜けると、かつてマンハッタン行きのフェリーが使ってであろう朽ち果てた桟橋の前を通って、フェリーに乗り場に向かう。
しばらくして船がやってきたが、フェリーの乗客は数十人と言ったところ、船の定員は数百人はありそうなので、席は自由に座り放題である。
フェリーはリバティー島に着く前に一度、エリス島に寄る。エリス島はかつて移民管理局が置かれていた島で、移民希望者はこの島に上陸した後アメリカの地を踏むことができた。タイタニックの映画のジャックも船が沈まなければこのエリス島に上陸することになったはずである。
今回は、時間の関係でエリス島は素通りして直接リバティー島に向かうことにした。
ニューヨーク・リバティ島
自由の女神の正面をくるっと通過してリバティー島に上陸。途中エリス島で15分停車し、都合30分の船旅であった。しばらくしてニューヨークからの船がやってきたのだが、噂通りのすし詰め。3層のフェリーの甲板に移民のごとく乗客が立席でギュウギュウに詰め込まれていた。まちがえなく、リバティー島にはニュージャージ経路の方が、断然よいと思う。
島に上陸するとすぐ近くに女神像の後ろ姿が見えている。
近くで見ると自由の女神は大きく、とても繊細に見えた。女神像は全長46メートル、台座も含めれば100m近い大型建造物である。女神像を自立させるためには複雑な構造的な制約があったはずだが、銅板で表現された像はそれを全く感じさせず、まさに女神のごとく自然に佇んでみえた。服の曲線の造形は近くで見れば見るほど感動する。
フェリーの代金には音声ガイドの料金も含まれていて、日本語のガイドを借りることができる。自由の女神の台座の下部はもともとは要塞の壁であったこと、女神の構造設計はエッフェル塔のエッフェルだったことなどなど面白い情報を聞くことができる。わりと素通りされていたが聞きながら見て回ったほうがより楽しめると思う。
ところで自由の女神だが、一見の価値はあるスポットだと思ったのだが、時々「がっかりスポット」として紹介されている。思うのだが、自由の女神の見物はフェリーの乗船待ち時間を含めるとほぼ一日仕事になる。限られた時間で観光する中で自由の女神で一日を使うのは確かにもったいない気もする。
俺も正直ニュージャージーの駅を見ることができていなかったらもったいなかったと思ったかもしれない。
エンパイヤステートビル
ニューヨーク・エンパイアステートビル
自由の女神に続いて、ど定番のエンパイアステートビルに向かう。言わずとしれたマンハッタンを代表する高層ビルで、完成はなんと1929年で、まもなく100周年。ビルの全長は381メートルで、ビルの86階(高さ320メートル)に屋外展望台がある。(追加料金を払うと最上階に行ける)。
展望台の入場料は44ドル。34thストリート沿いに入口があり、恒例の荷物検査を経てようやくエレベータに到達すると思いきや、そこからエレベーターまでの道のりはやたらと長かった。エンパイヤステートビル建造の歴史や映画での登場シーンなどいろいろな展示があった。展示はわりと最近リニューアルされたらしく、AR的な展示もあり意外と楽しめた。
そして、ようやくお待ちかねのエレベーターにたどり着き、展望台へ行くことができる。
いや、マンハッタンの中心にそびえるビルからの眺め最高ですな。ぐるり一面、ビル、ビル、ビル。ハドソン川とイースト側に挟まれた空間に世界最大の都市が閉じ込められている感じがとても良き。屋外展望台というのが、遮るものもないのは実に素晴らしい。
しかしさ、1929年にこんなビルを完成させている国によく戦争をしようと思ったもんだよね。
ニューヨーク・メイシーズ本店
エンパイヤステートビルのすぐ近くにアメリカの老舗百貨店メイシーズの本店がある。メイシーズがこの地に移転したのは1902年、その後拡張を繰り返し、世界有数の規模を誇る百貨店となっている。
メイシーズの建物内に一つ名物がある。ニューヨーク最古とも言われるエスカレーターで、なんと主要部品が木製できている。もちろん現役で使われており、普通に買い物客が乗り降りしている。
ステップ部分も木製なのだが、現在のエスカレーターと同じく、表面に直線状の凹凸が刻まれているのだが、見慣れたものよりも凹凸が大ぶり。おそらく維持メンテンナスに相当な手間がかかるだろうが、それでも大事に使い続けていることに感心する。
グランドセントラル駅
ニューヨーク・ブルックリン橋
翌日、またしても定番観光スポットブルックリン橋に向かった。
マンハッタンとブルックリンの間を分かつイースト川を越える橋がブルックリン橋である。
完成は1883年、長さは1834m、中央径間は486m、ゴシック様式の主塔デザインが人気で、多くの観光客が徒歩で橋を渡っていく。
遠くに自由の女神も見え、散歩するには絶好の場所である。
ニューヨーク・コニーアイランド
ブルックリンに渡ったので、コニーアイランドまで足を延ばした。
コニーアイランドは、人工ビーチと遊園地があるニューヨーク郊外の行楽地。なぜこんなところまで足を延ばしたかというと、僕がはまっていたドラマ Mr. Robot のロケ地であるからだ。いわゆる聖地巡礼である。
ここコニーアイランドにドラマの主人公・エリオットが属するハッカー集団 fsociety のアジトがあるのだ。ドラマで頻繁に映る観覧車や、アジトの外観となっている建物があり、テンションが爆上がりである。
Mr. Robot とてもよいドラマなのだが、日本ではあまり人気がでなかったのだが、ぜひ、一度見てほしい。
ニューヨーク・グランドセントラル駅
続いて、マンハッタンに戻ってグランドセントラル駅に向かう。
グランドセントラル駅は、数多くの映画にも登場するニューヨークの随一のランドマークにして、地下1階と2階に44面、67線の線路を有する世界最大の巨大駅である。ホームの数だけで十分巨大駅なのだが、営業線路の両側に数多くの留置線があり、さらにはループ線(一説には現役らしい)まで用意されていて、コンコース周辺かなり広範囲の地下空間に駅関連施設が作らている。まさに地下帝国である。
ボザール様式の現在の駅舎が作られたのは1913年、当時のアメリカ十大鉄道の一つ、ニューヨーク・セントラル鉄道のターミナルとして建設された。
その後、時代が流れ、現在では駅施設の割にはこじんまりと近郊鉄道であるメトロノース鉄道の路線だけが発着してている。(一昨年から隣接地にロングアイランド鉄道が乗り入れJFK空港とも直結し、地下鉄と合わせれば、今なお巨大なターミナルとして現役である)
駅のコンコースはショッピングセンターとしてもにぎわっており、特に地下2階はフードコートとしていつも混雑している。
コンコースからホームへは小さな入り口から移動するのだが、発車番線が直前まで決まらないため、列車の発車表示板を見ながら右往左往する人が行きかっている。
ホームを覗いてみたが地下鉄以上に暗く、壮麗な駅舎とコンコースとのギャップが衰退する鉄道事業と反映する不動産事業のギャップが日本以上に極端に現れていた。
いやー、でも通勤するならこういう駅から高層ビルの32階あたりに出社したいものですなぁ。
ニューヨーク・ハイライン
この日の最後に、ニューヨークの貨物線の高架跡を遊歩道に改良したハイラインに向かう。
ハイラインの北端は、地下鉄ハドソンヤード駅のすぐそば。100年以上の歴史があるニューヨークの地下鉄はどの駅も狭くて暗いのだが、この駅は例外的に7年前にできたばかりの新しい駅で、天井も高くて明るい。ただ、言ってしまうと日本にもありそうな普通の駅である。
ハドソンヤード駅からハイラインに向かう途中にニューヨークの新名物・ベッセルがある。階段でぐるりと囲まれた不思議な構造物の展望台。どうも、数年前から登ることができなくなっているそうなので、見上げるだけで素通りする。
ベッセルの脇からハイラインは始まる。貨物線の高架ということで、ところどころ線路が残されているのだが、植物も植えられていて歩いていて飽きない。特に道路をまたぐ部分では、まっすぐ伸びるニューヨークのストリートを眺めることができる。
かつて、名古屋にも未成線の貨物の高架跡があり、長く放置されていたのだが、結局壊されてしまった。使命を終えた構造物を別の用途で蘇らせるって、すばらしいよね。
ところでこのところアメリカの物価高が話題だが、確かに物価半端なかった。自然史博物館もMoMAも入場料は一人4000円也。
一番びびったのが、屋台でチキンオーバーライスを買ったら15ドル、2000円以上。円安ということもあるが、ニューヨーク、とても庶民は暮らすことができない場所ですな。
美術館めぐり
ニューヨーク・自然史博物館
さらに次の日、美術館やセントラルパークを散策した。
最初に見たのが映画ナイト・ミュージアムで有名な自然史博物館。平日の午前中に行ったので、日本の科学館と同じくスクルーバスで詰めかけた何組もの小学生軍団といっしょに恐竜の化石を見て回った。日本の科学館と違うのは、その規模。展示内容はもちろんだが、ともかく広い。広大な位置コーナーをぐるっと見て回って館内マップを見てみると、じつはフロアのごく一部しか見ていない。
国力の差なのか国土の差なのかアメリカはなんでもデカい。
ニューヨーク・MoMA
続いて、セントラルパークを散策した後、MoMAに向かった。ブロックの一部を占めるビルに過ぎないのでちょっと油断したのだが、無論、ここも途方もなく広い。5フロアに渡り、近代から現代までの芸術が展示されている。
現代芸術、よくはわからないが、なんでこんなもんが立派な説明書きをつけられて保存しているんだろうと思うと、面白くなってくる。一番、インパクトがあったのが、レシートを織り込んだタペストリー。チートスとかかったレシートが大きな布として織り込まれ、美術館の壁に飾られているのである。深すぎて全くわからない。
ニューヨーク・公共図書館
美術館でないのだが、ニューヨーク公共図書館にも訪れた。
ボザール建築の華麗な建築物として観光名所になっている。竣工は1911年。いや、近所の鶴舞図書館と同じ図書館という名で語られることが不思議なほど立派である。
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