1999-08-22

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#8 Day 6, 7, 8/チタⅡ - ノヴォシビルスク)

 1939年、第二次世界大戦の直前、戦間期に活発となったアジア・ヨーロッパ間の鉄道による国際連絡運輸を体験すべく、当時の時刻表を東京からロンドンまで追いかける仮想旅を実施中。
 東京を出発して6日目、始めてソ連の鉄道で夜を明かすことになる。

トマスクック時刻表 1939年 (1987年 J.H. Price 復刻版)

トマスクックの時刻表

 7泊も続くソ連の寝台車の旅も始まったばかり、深夜にシベリア鉄道本線に合流し、チタⅡ駅に到着する手前で日付が変わる。「チタⅡ」という駅名だが、大きな都市に駅が二つある場合、I、Ⅱと雑な名前が付くことがロシアの鉄道ではよくある。チタ以外にもイルクーツク(現在は改名済)とかハバロフスクとかたくさんある。
 I、Ⅱなんてまだマシな方で、ロシアの駅には名前が付けられず、単に9237kmとキロ程で呼ばれる停車駅が多々ある。こういうのって、徹底した合理主義に基づいた社会主義国家故のセンスなのか、単にロシア人の性格なのかどちらなのだろうか?

 改めて満州里からモスクワを経由してストルプスまでの旅程を再確認してみよう。シベリア鉄道の大まかな運行スケジュールを確認するのにちょうどよい表がトマスクックの時刻表にあった

1939年版トマスクック時刻表のシベリア鉄道のページ

 ご存じの方も多いかと思うのだが、トマスクックの時刻表とは2013年まで発行されていたヨーロッパの主要列車が網羅されていた時刻表のことである。惜しくも2013年に休刊してしまったのだが、現在もトマスクックの体裁を引き継いだEuropian Rail Timetableという冊子が発行され、ヨーロッパの鉄道旅に必携の一冊となっている。この本は、ダイヤモンド社から日本語解説版も発行されているので、日本からも簡単に入手可能である。
 さて、本家本元の発行元のトマスクック社だが元々は19世紀に設立された旅行代理店で、その事業の一環として1873年から「Thomas Cook Continental Time Table」と呼ばれる時刻表の発行を始めていた。このうち1939年版が1987年にハードカバーの復刻されていて、これもたいがいの骨董品なのだが、現在でも比較的容易に手に入れることができる。

 さっそくシベリア鉄道のページを見てみよう。
 ページのタイトルは、"SIBERIA, MANCHURIA, CHINA & JAPAN"(シベリア、満州、中国、日本)シベリア鉄道を介して極東までの案内と言う趣旨のようだ。そのため、満州里から先の大連、北京、日本(東京)、上海といった駅の時刻も掲載されている。
 実際、東京からベルリンまでの時刻表のうち、途中モスクワまでは、我々の旅と完全に同じ時刻が掲載されている。
 ちなみに、天津(TIENTSIN)-浦口(PUKOW)-南京(NANKING)-上海(SHANGHAI)間が"SUSPENDED"(運行停止中)となっているのは、日中戦争の影響を考慮してのものだと思われる。確かにこの時期、この路線は戦禍からの復旧工事を行っており8月というタイミングは動いていたかどうか微妙な時期である。また、MUKDENという見慣れない地名が出てくるが、これは奉天のことで当時はこのように綴っていたようだ。

 ページ上部のシベリア本線の時刻表を見てみよう。時刻の両隣に書かれているのは、各駅の発着曜日が書かれている。左側がモスクワからシベリアに向かう下り列車の時刻だが、シベリア行きと満州里行きが週2回ずつ計4本が運行されていることになっている。ここには書かれていないが、前回ご紹介したよう残りの3日もハバロフスクかイルクーツク行きの列車が運行されていたはずだ。
 例えば、一番左の火曜日モスクワ出発のウラジオストク行きと隣の木曜日モスクワを出発の満州里行きを見てみるとこんな感じである。

ウラジオストク行満州里行
モスクワ
キーロフ
スヴェルドロフスク
オムスク
ノヴォシビルスク
クラスノヤルスク
イルクーツク
カルイムスカヤ
ハバロフスク-
ウラジオストク-
満州里-

 モスクワからウラジオストクまで、実に9泊10日の長旅である。

 話は逸れるがトマスクックの時刻表は基本的にはイギリス人が海外旅行をするためのガイドブックという位置付けで、鉄道の時刻表以外にもいろいろと面白い情報が載っている。
 例えば、世界中の月別の平均気温が掲載されているページがある。この頃の東京の8月の平均気温は、華氏77.9度(イギリスも1960年代ごろまでは華氏を使用していた)。摂氏で言えば25.5度になり、今と比べれば随分涼かったことがわかる。

世界の月別平均気温 (華氏表示)

 また、飛行船の時刻表なんてページもある。1935年ドイツのツェッペリン飛行船社は、巨大飛行船ヒンデンブルク号で大西洋横断航路の定期旅客輸送に参入した。ほぼ同時期に飛行艇による大西洋横断航路も開設されていたのだが、まだジェット機のない時代、輸送力の面で飛行船にアドバンテージがあった。しかしながら、1937年にヒンデンブルク号は、アメリカニュージャージー州の海軍飛行場への着陸時に爆発事故を起こす。
 事故から2年後の1939年、時刻表にはまだ航路が掲載されていたようだが、"Suspended"の文字が書かれており、実際この後運行再開されることはなかった。

ツェッペリン飛行船時刻表

 巻末には長距離航路のページもあり、日本郵船の太平洋航路や大阪商船の南アフリカ経由の南米航路も紹介されていた。日本郵船のページには、現在横浜で展示公開されている氷川丸の名前を確認することもできる。ちなみにこの号の最後のページの広告も"TO THE FAR EAST"と題した日本郵船の広告である。

日本郵船 太平洋航路案内
日本郵船の広告

 さて、話をシベリア鉄道に戻して、ロンドンへの旅を続けよう。

チタⅡからノヴォシビルスクまでの3日間

#6 満州里 - (チタⅡ) - (ノヴォシビルスク) - モスクワ
dep: arr: 1列車 ストルプス 行き

カルイムスカヤ-イルクーツクⅠ間(1938年 日本語版は1939年)

 8月8日火曜日。モスクワまでの6泊7日の旅のチタⅡ駅で2日目に突入、モスクワ時間的には深夜だが現地時間では早朝。もう空は明るいはずである。チタⅡ駅の停車時間は25分となっている。
 ソ連の鉄道は停車時間が長い。チタⅡの様な主要駅ではだいたい30分前後停車し、それ以外の駅でも10分ぐらいは停車する。例えばチタⅡから始まる24時間の停車時間の合計は217分。もしかしたら時刻表に現れない運転停車などもあるかもしれないので、一日の1/4ぐらいは止まっているのかもしれない。

 8月9日水曜日。チタⅡからおよそ1000キロのイルクーツクⅠ駅手前でこの列車の3日目に突入。ハルビンから先の区間はだいたい一日1000キロペースで進んでいる。
 シベリア鉄道のルートは概ね現在と変わっていないのだが、大きく線路が引き直されている場所が1箇所だけあり、それがイルクーツク手前のバイカル湖西岸のルートである。

 現在はバイカル湖の南の突端のクルトュクの街からイルクーツクに向けて北に向かって線路が敷設されているが、この当時はバイカル湖湖畔に沿って若干東に戻ってからアンガラ川に沿ってイルクーツクへ向かうルートを通っていた。このシベリア鉄道のメインルートからは外れてしまった旧ルートだが、現在はバイカル湖に沿った部分のみ「バイカル湖岸鉄道」という名で観光鉄道として残されている。観光鉄道となるぐらいバイカル湖が美しく映えるルートを走行しているはずなのだが、乗車列車の通過時間はモスクワ時間で夜9時から11時頃、現地時間なら深夜2時から4時ごろ。おそらく暗い水面だけが見える車窓となったことだろう。



イルクーツクⅠ-ノヴォシビルスク間の時刻表(1938年 日本語版は1939年)

 シベリアのパリとも呼ばれる美しい街並みのイルクーツク駅を出発し、シベリア第3の都市クラスノヤルスクを通過するのが翌日の午前2時半ごろ。この列車で4日目に突入したことになる。
 8月10日木曜日の夕方18時29分、現地時間では22時29分、シベリア最大の都市ノボシビルスクに到着。26分の停車が終わる頃、4泊目の眠りにつく時間となりそうだ。
 モスクワまでの長い旅路もようやく折り返し地点を過ぎようとしている。

 1列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。

参考文献
  • РАСПИСАНИЕ ПАССАЖИРСКИХ ПОЕЗДОВ ЖЕЛЕЗНОДОРОЖНОЙ СЕТИ СССР НА ЛЕТНИИ И 3ИМНИИ ПЕРИОДЫ 1938/39 г. (1938年) ТРАНСЖЕЛДОРИЗДАТ
  • ソ連研究資料第57号 ソ連邦鉄道旅客列車時間表 (1941年) 南満州鉄道 調査部
  • COOKS CONTINENTAL TIMETABLE AUGUST 1939 (1939年) Thomas Cook / 復刻版 (1987年) J H Price
  • 日本式 サハリン シベリア 時刻表 2019 (2019年) 樺太庁陸地調査部
  • NINTH EDITION Trans-Siberian HANDBOOK (2014年) BRYN THOMAS, ANNA COHEN KAMINSKI

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