2020-09-07

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#13 Day 12/ズボンシン - ベルリン - ハノーバー)

 東京を出発して、12日目の夕方。5か国目のドイツに入国する。
 当時はナチス政権下のドイツであり、ポーランド侵攻目前のタイミングである。きな臭い雰囲気が漂っていたかもしれないが、そこは仮想旅行。史実から離れて時刻表を追いかけていこう。

ベルリン以東のドイツの路線図 乗車ルートを赤く着色

ドイツの時刻表

DEUTSCHES KURSBUCH SOMMER 1939(1939年) DEUTSCHE REICHSBAHN
復刻版 (1976/1991年) RITZAU KG - Verlag Zeit und Eisenbahn

 恐らく、今でも紙の冊子の時刻表が大量に出版されているというのは日本だけになってしまったのと思うのだが、かつてはドイツも時刻表大国だったようだ。2008年まで発行されていたドイツ全土の時刻表(Kursbuch Gesamtausgabe)は、10分冊になっていて、合計の厚さは軽く10センチを超えるものだった。
 この分厚い時刻表という文化は1939年当時からあったようで、当時のドイツ全土時刻表(Deutsches Kursbuch)も、古いたとえだが電話帳並みの厚さだったようだ。 1991年に復刻された復刻版(冒頭部分のみ1976年に復刻)は、かなり薄い紙を使用しているにもかかわらず、3分冊になっていて7センチを超える厚さ。通しのページ番号が記載されていないので総ページ数は不明だが、ざっと数えても600ページは超えていそうである。
 なぜこんなに分厚いかという理由は路線図を見れば一目同然で、毛細血管のごとくドイツ全土に鉄道が張り巡らされていたことがわかる。それに加えて、時刻表の後半にはヨーロッパ周辺各国の主要路線の時刻表が事細かに掲載されている。掲載量でいえば、ヨーロッパ全土を網羅しているという触れ込みの同時期のトマスクックの時刻表を凌駕していて、ヨーロッパの中心はドイツであるという自負と野心を伺うことができる。

 ところで現在は冊子としては出版されていない時刻表だが、ドイツ鉄道(DR)のページから路線別にダウンロード可能となっている。表示形式は1939年の時刻表によく似ており、鉄道網だけでなく、時刻表も戦前にはすでに確立していた事がうかがえる。

現在のドイツ鉄道の時刻表 Sバーン ベルリンのサイトより

フランクフルトを越えてベルリンへ

#9 ワルシャワ中央 - (ズボンシン) - (ハノーバー) - オースデンテ桟橋
dep: arr: Nord Expreß L12列車 オースデンテ桟橋 行き
ズボンシン - フランクフルトの時刻表
フランクフルト - ベルリンの時刻表

 ポーランド最後の駅ズボンシンを出発してわずか8分、ドイツ最初の駅・ノイベンシェン(現・ズボンシネク)に到着する。30分余りの停車時間の間に入国審査が行われ、18時42分に列車は再出発する。ドイツ鉄道区間に入り、列車番号はL12と変わるようだ。
 ここからフランクフルトまでの間は現在はポーランド領となっている区間であることは前回お話した通りである。ところで、このフランクフルトだが、我々がよく知っているフランクフルト・ソーセージの故郷のフランクフルトとは同名の別の場所である。ドイツにはフランクフルトという名の大きな街が二つあり、一つがフランクフルト・ソーセージ、そして巨大なフランクフルト空港で有名な、ドイツ南西部のフランクフルト・アム・マイン市(マイン河畔のフランクフルト)であり、もう一つが今向かっているドイツ西部のフランクフルト・アン・デア・オーダー(オーダー河畔のフランクフルト)である。時刻表上ではFrankfurt(Main)、Frankfurt(Oder)、あるいは単にFrankfurt(M.)、Frankfurt(O.)と区別されている。
 フランクフルトを出発するのは19時51分。次の停車駅はいよいよベルリンとなる。

 時刻表を見てみるとベルリンの60キロほど手前のフュルステンヴァルデ(Fürstenwalde/Spree)駅までは細かく駅が記載されているのだが、そこからはベルリンまですっ飛ばされている。これは、ベルリン近郊では長距離列車と近郊列車の分離がすでに行われており、フュルステンヴァルデ駅からは近郊列車であるSバーンの区間となるためである。これはちょうど東京の上野東京ラインと京浜東北線の関係と同じで、長距離列車が快速輸送を担当し、近郊列車であるSバーンが各駅停車を担当するという区分けがされているため、長距離輸送列車はベルリン近郊の駅をすっ飛ばしてベルリン中央部の駅に到着する。
 当時のSバーンの路線図も掲載されているのだが現代のものとほぼ同じ。戦前にはベルリンの鉄道網がほぼ完成していたことがよくわかる。このあたり東京にも通じるものがあり、戦前既に鉄道網の大枠は完成しており、それから80年ばかりではそんなに大きくは姿を変えないものらしい。

1939年のSバーンの路線図
現在のSバーンの路線図

ベルリンで3駅に停車

ベルリン - ハノーバーの時刻表
青枠がフリーゲンダー・ハンブルガー

 20時49分、ベルリン シュレージエン(Schlesischer)駅に到着する。他のヨーロッパの主要都市と同じくベルリンにも方面別のターミナル駅がありプロイセン、そしてその先のポーランド方面のターミナルがシュレージエン駅である。この駅は、戦後は東ベルリンの中央駅となり、現在はベルリン東駅と呼ばれている駅である。
 この駅で約20分停車した後、列車はベルリン市内のさらに二つのターミナル駅に停車する。一つ目が、21時18分に到着するベルリン フリードリヒ通(Friedrichstraße)駅である。この駅は現在も同名の駅として存続しており、東ドイツ時代には西ドイツに向かう列車が発着する国際列車ターミナルとして活用されていた駅である。
 さらにもう1駅、21時29分にベルリン動物園(Zoologischer Garten)駅に到着する。この駅も現存している駅で、西ドイツ時代はベルリンのターミナルとして機能していたが、現在はターミナル機能は低下し、文字通りベルリン動物園へのアクセス駅として活躍しているようだ。
 ベルリンの3駅で多くの乗客が乗り降りした後、21時32分にベルリン動物園を出発するとハノーバーまでノンストップ特急列車となる。
 ベルリンからハノーバーの距離は254キロ。東京から浜松の距離になるがこれを2時間半で走破。平均速度は95.8キロなので、もう現在の電車並みの速度である。だが、これで驚いてはいけない。当時のドイツにはフリーゲンダー・ハンブルガーと呼ばれた超高速の気動車が運行されており、同じ区間を1時間54分で走行している。平均速度は圧巻の時速133.7キロメートル。当時のドイツの科学力恐るべきである。
 ハノーバーへ到着は日付が変わって8月15日の0時11分。長かったユーラシア大陸横断鉄道の旅もいよいよ最終日に突入した。当然、12日連続の寝台列車のベッドもこれで寝納めである。

参考文献

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