長い長いソ連の旅を終え、ようやく隣国のポーランドに入国。
東京を出て12日目の1939年8月14日の朝、史実ではこのあと半月あまりでドイツ軍によるポーランド侵攻が始まるのだが、仮想旅行は平和にドイツ方面に向かって出発進行しよう。
- #1 プロローグ
- #2 Day 1/東京 - 下関
- #3 Day 2/下関 - 釜山
- #4 Day 2/釜山 - 安東
- #5 Day 3/安東 - 新京 - ハルビン
- #6 Day 4/ハルビン - 満州里
- #7 Day 5/満州里 - チタⅡ
- #8 Day 6, 7, 8/チタⅡ - ノヴォシビルスク
- #9 Day 9, 10, 11/ノヴォシビルスク - モスクワ ヤロスラフスキー
- #10 Day 11/モスクワ ベラルースキー - ストルブツィ
- ルートマップ(Google Maps)
ポーランド国鉄
ポーランドに入ったので久しぶりの時刻表紹介。
ポーランド国鉄は略称・PKPとしてしられており、紆余曲折しながらも現在までその名は存続している。
PKPの時刻表は"URZĘDOWY ROZKŁAD JAZDY I LOTOW. OKRES LETNI 1938"(1938年夏 公式鉄道航空時刻表) を確認する。この時刻表も復刻版で、現地のPoznański Klub Modelarzy Kolejowych(ポズナン鉄道模型クラブ)という鉄道模型愛好家団体が発行したもののようだ。
現在のポーランドでは、首都・ポーランドの位置は国土の東寄りに位置している。しかし、当時は今よりも東に広く西に狭い国土となっていたので、国土の中央に位置していた。当時の優等列車網の路線図を見ると、中心のワルシャワから全方位に幹線が伸びるような線路網を有していたことがわかる。
ポーランドに入ると国際列車網が豊かになり、隣国のベルリンはもちろん、パリ、ローマ、ブダペスト、プラハ、ウィーンといった行き先の列車を見ることができる。日本からやってきた旅人にとって、南ヨーロッパと西ヨーロッパのジャンクションがワルシャワ駅となったはずである。
ポーランドの首都ワルシャワへ
#8 ストルブツィ - ワルシャワ中央
dep: arr: 702列車 ワルシャワ西 行き
ストルブツィ駅の朝。7泊8日もの長い間寝食を共にしたソ連の列車と遂にお別れし、PKPことポーランド国鉄の列車に乗り換える。
7時23分発のワルシャワ行きはワルシャワまでの間に4駅しか止まらない超特急。ワルシャワまでの距離570キロを6時間を切る速度で飛ばすのだから、表定速度は時速100キロ。ソ連と比べたら異次元の速さだし、現在の鉄道と比べてもそん色ない速度である。
当時、ストルブツィからワルシャワまでのルートは2つあった。一つが北寄りのビャウィストクを経由するルート、もう一つが南寄りのブレストを経由するルートである。
どちらのルートも頻繁に列車が行き来していたようだがストルブツィとワルシャワを直通する列車は基本的にはビャウィストク経由で運行されていたようだ。
ストルブツィは現在ではベラルーシの領土で、現在のポーランドの国境は230キロほど西のBrzostowicaとクリンキの間にある。この両駅とその前後の線路は、現在は廃線となっており、今回のルートは古の幻のルートである。
出発から3時間ほど過ぎた11時、ビャウィストク駅で7分の長い停車を終えた後はワルシャワまでノンストップ。2時間ほどで到着する。乗車時間は6時間弱。考えてみればこの旅で初めての寝台ではない昼行の列車である。
ワルシャワというと、冷戦世代の僕は「ワルシャワ条約機構」という言葉を思い出すが、旧共産圏の軍事同盟・ワルシャワ条約機構が成立するのは、まだまだ15年以上先の話です。
ワルシャワでは、ワルシャワ東、ワルシャワ中央、ワルシャワ西の3駅に停車する。我々が後者するのは中央駅である。
ワルシャワの3駅の内、東駅と西駅は現在の駅と同じ駅である。一方、ワルシャワ中央駅はポーランド語ではWarszawa Głównaなのだが、今は存在していない。現在、ワルシャワにはWarszawa Centralnaという駅があり、こちらも日本語に直すとワルシャワ中央駅といった意味になるのだが、これは後の時代にできた別の駅である。
Centralna駅の西200メートルほどの地下にGłówna駅が暫定開業したのは1938年、この旅の前年である。当時、西駅、東駅などいくつかに分かれていたターミナルを一つに集約しようとして誕生したのがGłówn駅だった。しかしながら、工事半ばにして第二次世界大戦に途中入試、戦争末期には、ドイツ軍の手によって駅舎が破壊されてしまう。戦後、細々とは使われ続けたものの最終的にはCentralna駅にターミナルの役割を譲り、閉鎖されてしまう。
実に短命かつ不運な運命をたどるGłówna駅ではあるが、1939年当時であれば、まだ工事の途中、工事の喧騒に包まれながらも真新しい輝きを見せる駅舎であったことが想像できる。
さて、我々の旅のゴールはロンドン。列車を乗り換えてさらに西に進まなくてはならない。次の列車は、なんと花の都パリ行の列車である。ポーランド、ドイツ、ベルギー、パリと四つの国をまたいで走る華やかな国際列車だ。
その列車の発車時刻はわずかに10分後。駅舎なんぞ眺めている暇もなく、次の列車へ急がねばならない。
702列車の通過時刻表は、欧亜大陸鉄道の時刻表のページでも確認可能です。
- URZĘDOWY ROZKŁAD JAZDY I LOTOW. OKRES LETNI 1938(1938年) / 復刻版 (2014年) Poznański Klub Modelarzy Kolejowych
- COOKS CONTINENTAL TIMETABLE AUGUST 1939 (1939年) Thomas Cook / 復刻版 (1987年) J H Price
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