2020-09-16

特別編 1939年 欧亜大陸鉄道の旅(#17 Day 13/ドーバー - ロンドン ビクトリア)

 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のまだ飛行機で大陸を横断できなかった時代、鉄道は世界最速の交通機関として多くの国際列車が運行されていた。
 そんな時代の時刻表を辿って東京からロンドンまで移動する仮想旅行。
 12泊13日の長い旅路を経て、ついに最終目的地のロンドンまで残すところ、1列車のみとなった。

イギリス南東部 路線図 乗車ルートを赤く着色

イギリス 鉄道BIG4の時代

グレート・ウェスタン鉄道
1939年時刻表
ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道
1938年時刻表
ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道
1939年時刻表
ブラッドショーガイド
1939年8月版

 イギリス以外のヨーロッパ諸国、そして日本の鉄道は全て国有の鉄道に乗車して移動してきた。
 これは歴史をたどるとどの国もも最初から国有の鉄道であったわけではなく、20世紀初頭に国策として統合され国営化されたものである。しかしながらイギリスが鉄道を国有化するのは1948年、今回の旅の舞台である1939年時点では、まだ原則民営であった。だが、国有化の布石は打たれておりイギリス全土の鉄道網は4つの会社及びそのグループに集約されていた。
 4つの鉄道会社とは、ロンドンから見て西部に路線網を持つグレート・ウェスタン鉄道(GWR)、北部西側のロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)、北部東側のロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)、そして南部のサザン鉄道(SR)のことである。この4社のことをBig4と読んでいたらしい。
 この4社だが、それぞれが膨大な鉄道網を有しており分厚い時刻表を発行していた。
 また4社の路線網を集約した時刻表も何種類か発行されていて、有名なものにブラッドショーガイドと時刻表がある。1939年8月版を見てみると、各社の主要路線の抜粋時刻表であるにもかかわらず、ページ数が1000を超えている。この記事の冒頭に載せている当時のドーバー-ロンドン間の地図がブラッドショーガイドの折り込みの地図なのだが、当時のイギリスの鉄道網がいかに凄まじかったのかが伺えるだろう。
 ところでこのブラッドショーガイド、冊子のサイズがコミックと同程度で紙面が小さいため、ともかく字が小さい。老眼の進んだ目にはルーペが手放せない大きさである。

ドーバー - オーステンデ間の片道三等運賃は4ポンド8シリング3ペンス

 この当時イギリスの鉄道は12時間表記であり、午前と午後を区別するために時刻表の上部に、いちいち"am"とか"mrn"(morning)とか表記されている。日本の時刻表もそうだったのだが、12時間表記というのは分かりにくい。
 もう一つ、当時のイギリスの時刻表で特徴的なのが通貨。当時のイギリスの通貨は10進数移行前で、1ポンド = 20シリング = 240ペンスというとっても鬱陶しい単位を採用しており、当たり前だが運賃もこの表記になっている。

サザン鉄道時刻表 1939年
サザン鉄道時刻表 1940年
表紙がシンプルになる
字が小さいし、分かりにくい

 さて、イギリス鉄道BIG4の内今回乗車するのは、ドーバー-ロンドン間を運行していたのはサザン鉄道である。(現在もイギリスに同名の鉄道会社があるが別物)
 サザン鉄道の時刻表を見て、まず目につくのが表紙のデザイン。なんだか不思議なセンスの派手なデザインとなっている。このデザイン、よほど不評だったのか翌年1940年からは落ち着いたデザインの表紙に大幅リニューアルされてしまう。
 時刻表のサイズはブラッドショーと同じタイプの小型版で、ともかく字が小さい。字が小さいだけでなく全体的にともかくわかりづらい。
 まず路線図が無いのでどの路線がどのページにあるのかさっぱりわからない。列車番号も書かれていないので、ページを跨ぐ列車の続きがどこに書かれているのかわからないし、一つの列に複数の列車が記載されていて、これが列車の分割や併合を意味しているのか、単なるページ節約なのか、あるいは接続する列車の参考情報なのかわからない。
 さらに極めつけが、通常時刻はHHMM形式の4桁で記載されているのだが、これが時々3桁になる。3桁で"101"と書かれていれば"1時1分"を表しているだろうと考えるが、これが"10時1分"を表しているときもある。10時ぐらいの時間帯に書かれていえば10時、1時ぐらいの時間帯に書かれていれば1時と考えなくてはならないのだ。んなもん、わかるかい...。

最後の列車へ乗車

#11 ドーバー マリーン - ロンドンビクトリア
dep: arr: 海峡連絡列車 ロンドンビクトリア 行き
ドーバー - ロンドン間の時刻表

 午後2時10分。関釜連絡船以来、この旅二度目の連絡船から降りると、そこはグレートブリテン島、すなわち大英帝国の大地である。
 あと1本列車に乗れば、最終目的地であるロンドンにたどり着くことができる。連絡船から列車への乗り換え時間は45分、慌てる必要はないがのんびりもしていられない。下船し列車のホームへ向かう。
 ドーバーの港も、当時は桟橋とホームが隣接しており、船を降りたら目の前にロンドン・ビクトリア行きの列車が停まっていたはずだ。
 列車はドーバー海峡連絡船の乗客専用の特別列車で、ドーバー・マリーン駅を出発するとノンストップでロンドン・ビクトリア駅に到着する。所要時間は1時間35分。13日に渡る旅行をしてきたが、最終日が一番慌ただしい。
 ドーバーから見てロンドンは北西の方角にある。列車も概ね北西の方向に進み、カンタベリー、チャタムといった街を通過して、だんだんとテムズ川に寄り添うように進路を西に傾けていく。
 ロンドン中央を流れるテムズ川を超えるのは最後の最後、ビクトリア駅到着目前である。
 テムズ川を超え、右へカーブを曲がるとヴィクトリア駅が見えてくる。ビクトリア駅の駅舎ができたのは1860年。1939年時点ですでに築80年の歴史的建造物になっていたはずだ。
 ビクトリア駅は頭端式ホームとなっており、列車を降り先頭方向に向かって歩いていけば駅舎の中に入っていくことになる。
駅舎を抜けると400メートルほど先にバッキンガム宮殿がある。久しぶりに踏みしめる大地を味わいながら、少し足を伸ばして国王の居城の荘厳な姿を目に焼き付けておこう。

 ところで、このドーバー海峡連絡用の特別列車は巻頭のベルリン方面の国際連絡時刻表のページには記載があるものの通常の時刻表には記載がない。ドーバーとビクトリアの時刻しか記載がないため、この列車がどの様な経路を通ってロンドンに向かっていたのか実はよくわからない。
 当時、ロンドンとドーバーを結ぶ路線はサザン鉄道の本線(Main Line)と称されていたのだが、トンブリッジ経由とチャタム経由の2つの経路あった。基本的にはロンドンのチャリング・クロス駅を発着する列車がトンブリッジ経由、ビクトリア駅を発着する列車がチャタム経由となるのだが、途中の支線やロンドン市内の短絡線で互いに繋がっているので例外も多数ある。
 今回乗車した列車はビクトリア発着で、また、ドーバー埠頭隣接のマリーン駅への乗り入れの線路の線形からおそらくはチャタム経由だったのではないだろうかと考えている。

 12泊13日、12連続車船中泊となった長い旅路もこれにて終了。
 東京からロンドンまでの総移動距離13,714キロ。かかった時間は12日と9時間20分なので、表定速度は約時速46キロとなる。一方、現在のジェット機で羽田からロンドンまで移動すると所要時間はわずか12時間、時速に換算すると約1,100キロとなる。飛行機で仮眠をとったらすぐにヒースロー空港である。
 文明の進化はとてもありがたいし、ないものねだりではあるのだが、日本からの鉄路の旅という手段がまだあったらなと思ったりもする。

参考文献
  • SOUTHERN RAILWAY SUMMER TIME TABLES JULY 2nd TO SEPT 24th 1939
  • SOUTHERN RAILWAY PASSENGER SERVICES OCTOBER 28th, 1940 UNTIL FURTHER NOTICE
  • LNER CONTINENTAL SERVICES 15th MAY to 7th OCTOBER, 1939
  • GREAT WESTERN RAILWAY TIME TABLES SUMMER TRAIN SERVICE JULY 3rd to SEPTEMBER 24 th, 1939
  • LMS TIME TABLE SEPTEMBER 26th, 1938, UNTIL FURTHER NOTICE
  • BRADSHAWS GUIDE 8th Mo. (AUGUST), 1939
  • SOUTHERN RAILWAY CROSS-CHANNEL SERVICES TO AND FROM THE CONTINENT SUMMER, 1939
  • COOKS CONTINENTAL TIMETABLE AUGUST 1939 (1939年) Thomas Cook / 復刻版 (1987年) J H Price
  • RAIL ATLAS 1939-1945 (2014年) PETER WALLER

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