2023-04-26

ヨーロッパ横断 駅舎をめぐる旅 (#10 ロンドン/ドーバー 後編)

 ヨーロッパとアジアを結ぶ国際列車が行きかっていた戦前の鉄道黄金期に思いを馳せながら、ヨーロッパの駅舎を巡る旅。
 ロンドンからかつて大陸からの玄関口であったドーバーに向かい、駅の跡地探る。

ドーバー港探索

ドーバー Priory 駅 1939年 Southern Railway の大陸連絡鉄道時刻表 (左上) 駅から5分ほど歩くと港にぶち当たる
(右上) Marine駅は左側だが、右側に現在のフェリーターミナルがある
(左下) ドーバーまで通ってきた線路を越える
(右下) もう一度線路を超えると岸壁が見える 遠くに見える白い建物は Marine 駅前のホテル跡 2つ目の跨線橋の手間で、旧ドーバー Harbour 駅を発見
(建物は間違えなく旧駅舎だが、 "Dover Harbour" の駅名標は当時のものかどうか怪しい
ドーバー・ドーバー Priory 駅

 ロンドン St Pancras 駅から1時間。ドーバーの街のはずれにあるドーバー Priory 駅に到着した。ドーバーに着いたら、空に晴れ間が見えた。ヨーロッパに来て初めて見るといってもいいぐらいの晴天である。とはいえ、海が近いこともあり風が強くとても寒い。
 Priory 駅は、2面3線の小さな駅である。ここで降りる人も、乗る人もあまり多くはなさそうだ。
 ドーバーに Priory と名前が付いているが、現在は他にドーバー駅があるわけではない。現在はといったのは、1994年、すなわちドーバー海峡トンネルが開通するまでは、ここから数キロ先の港にドーバー Marine 駅という駅があったのだ。Marine 駅は岸壁のすぐ横にある駅で、そこから連絡船に乗り換えて、ベルギーのオースデンテやフランスのカレーに向かった。
 1939年の当時のイギリス鉄道Big4の一つ、Southern Railway が発行していて大陸連絡サービスの時刻表によれば、電車から船までの乗り換え時間は20-30分。電車が駅に着いたら慌ただしく列をなして船に乗り換えていたのだろう。
 Marine 駅が廃止されてもうすぐ30年。往時の面影を探しに港に向かって歩いていくことにする。

 Priory駅から15分ほど、一山超えると港が見えてくる。道は港にぶち当たる場所で行き止まりのT字路となる。左手の方が貨物船などで賑わっているのだが、かつて Harbor 駅が反対側、あまり賑わっているようには見えない右のほうである。なお、現在でもドーバーとフランスのカレーを結ぶフェリーは現役だが、そのフェリーターミナルもやはり左手の先にあり、交差点からフェリーの姿を確認することができる。
 T字路を右に曲がりしばらく歩くと線路を跨ぐ橋が現れる。跨いでいる線路は先程ロンドンから Priory 駅に行くときに乗ってきた線路である。かつては、この辺りから線路が分岐し、Marine 駅方面に線路が伸びていたはずである。
 駅から歩くこと30分、いよいよ岸壁が見えてくるといった場所で古い建物を発見した。壁には Dover Harbour と書かれている。戦前まではこの場所に Dover Harbour という駅があり、その駅舎の建物だけが残っていたのだ。この建物が残っていたことは知らなかったので、思わぬ収穫である。

ドーバー Marine 駅跡

跨線橋の入り口を発見 Marine 駅の駅舎も残っていた!
私有地のため、これ以上近づけず ドーバー博物館 博物館にあった 1990年ごろのドーバー港のジオラマ
ドーバー・ドーバー Marine 駅跡

 で、実は Dover Harbour 駅に進んだ道は行き止まりで、道を間違えていたらしい。まあ、道を間違えたからこその発見なのでけがの功名。港に進むには高架を登っていく道と、高架を延ばらずに行く道があり登る方が正解だったので、登っていく。
 大きな高架橋を上り、さっき跨いだ線路をもう一度跨ぐと、ようやく港の岸壁が見えてきた。どうやら岸壁に古い建物が残っており、おそらくかつての Marine 駅の駅舎のように見えた。
 高架橋を降りてしばらく歩くと、とても古い小さな建物があった。かつて、ドーバーから出航する船に徒歩で乗り込むための入口らしい。入口と言ってもペラペラなのは、階段を上って跨線橋にあがるためだけの建物だからだ。
 建物から続く跨線橋もまだ残っており、その向こうにかつての Marine 駅のターミナルが見えた。
 が、ここから先は私有地の中。立ち入ることができなかった。
 Marine 駅の駅舎ができたのは1919年、距離があったため詳しくは観察できなかったが少なくとも当時の駅舎のファサードとトレインシェードの一部は今でも残っているように見えた。

ドーバー・ドーバー博物館

 港から駅に帰る途中に ドーバー博物館があった。小さな公営の博物館で入場は無料。
 中に入ると社会見学に訪れたらしい子供たちの大群が勝手気ままに狭い館内を飛び回っていた。引率の先生が子供たちに手を焼く様子は日本と全く変わらない。
 博物館はドーバーの歴史に関する展示があったので、かつての連絡船のターミナルの様子がわかる展示はないかとみて回ったら、そのものずばり1990年代のドーバー港のジオラマが飾ってあった。
 改めて確認すると、Marin 駅のあたりを確認すると、さっき目の前にあった徒歩入口と跨線橋、さらにターミナルの位置関係を確認できた。できれば、現在のターミナルの中がどうなってるのか見てみたかったね。

チャタム本線

帰りはチャタム本線でロンドンへ

チャタム本線は森から街へと車窓に変化があってとてもよい

ドーバー・ドーバー Priory 駅

 ドーバーの見学終えたので、ロンドンに戻ることにする。行きと同じ電車に乗れば1時間でロンドンに帰ることができるのだが、どうせならかつて連絡船を乗り継いだ人々が乗ったルートでロンドンに戻りたいと思い、そのルートである、チャタム本線の列車に乗ることにする。
 チャタム本線もサウス・イースタン鉄道が列車を運行していが、こちらのルートでロンドンに向かうと Victoria 駅に到着する。
 次の列車の発車まで少し時間があったので駅前のサンドイッチ屋でコーヒーとサンドイッチを購入し、ホームで遅い昼食を食べる。しかし、ヨーロッパに来て思ったのだが、ちょっと簡単に食べられるものを買おうとするとサンドイッチとハンバーガーしか選択肢がない。これに加えておにぎりと弁当がある我々の食文化は実に豊かであると実感する。

 チャタム本線ルートは時間にして2時間半だが、料金は半分の20ポンドである。Eurail Pass を使っているので関係ないのだが、イギリスは鉄道料金がなかなかお高い。
 行きは高速新線で終始同じような車窓だったのだが、歴史ある線路を走る帰りの車窓は変化に飛んでいた。山を抜けると、牧草地帯が広がり、時々街を通りながらロンドンに向かっていく。ロンドンに近づくにつれ乗客は増え、街が都会になっていく。
 ロンドン市街地では高架線となるのだが急なカーブも多く、大都会に無理して線路を敷いた感が伝わってくる。
 やがてテムズ川を越えると、終点 Victoria 駅に近づいてくる。

Victoria

(上) Victoria 駅に到着 駅舎から遠く離れた辺鄙な場所に停車した
(下) コンコースの向こうにレンガ造りの駅舎が見える 向かって左側の駅舎 ドーバーからの列車はこちら側のホームに到着した 向かって右側の駅舎 開業時は Southern Railway の駅舎で、未だに頭頂部にその名が刻まれている 左側のホームの発車標(上)と右側のホームの発車標(下)
イギリスの発車用はどのターミナルも巨大 ハー・マジェスティ・シアターでオペラ座の怪人を鑑賞
ロンドン・Victoria 駅

 Victoria 駅に到着し、列車を降りると、ドーム状の大きなトレインシェードに覆われた大きなホームがあった。当然のように頭端式のホームで、降りた乗客は全員駅舎の方向に向かって歩いていく。
 11面19線の駅だが、駅の東側と西側で頭端部分の位置が少しずれている。これは開業時、Victoria駅が二つの別の駅だった名残。二つの駅の駅舎が完成したのが1860年と1862年だが、150年が過ぎた今でもかつて二つの駅舎であった名残が見て取れる。というか、今でもしっかり駅舎が二つある。
 かつて飛行機の無い時代、多くの人々がこの駅から大陸へと旅立ち、また大陸のからこの駅にたどり着いた。
 ワルシャワから始まった今回の旅も、かつての国際連絡運輸の後をたどるという意味では、ここ Victoria 駅が本当のゴールである。なかなかの長旅であった。

ロンドン・ハー・マジェスティ・シアター

 Victoria 駅から2キロほど北にロンドンのミュージカルのメッカ・ウエストエンドがある。
 この日は、ハー・マジェスティ・シアターでオペラ座の怪人を見て締めるとする。アンドリュー・ロイド・ウェーバーのオペラ座の怪人の初演はここハー・マジェスティ・シアターであり、以来40年近くここでロングラン公演を続けている。
 ミュージカルにさして興味はないのだが、オペラ座の怪人は大好きで、本場ロンドンでの上映を見ることが長年の夢だったので、夢が一つ叶うことになった。
 公演の内容は言わずもがな。どうしようもないクズながら、自分の人生を投影せざるを得ない怪人に涙した。
 オペラ座の怪人、いつか、またもう一度見に行きたい。

ロンドン観光

ウェエストミンスター宮殿のビッグベン ウェエストミンスター宮殿は国会議事堂 ウエストミンスター寺院 エリザベス女王の葬儀で見たあの景色 バッキンガム宮殿
ロンドン・ウェストミンスター宮殿

 いよいよ本日帰国の途につくのだが、空港に向かう前にロンドンの見学をしておく。本日もロンドンは晴天。寒いことは寒いが場所のせいか、二週間の季節の流れのせいか、ワルシャワに比べるとかなり暖かい。
 さて、最後にここだけは外せないと訪れたのがウェストミンスター宮殿と大聖堂である。
 テムズ川に面し、大きな時計台ビッグベンで名が知られたウェストミンスター宮殿。宮殿と名がついているが国会議事堂でふらりと立ち寄ることはできない。元々は本当に宮殿であったのだが16世紀ごろから国会議事堂として使われるようになった。
 なんどか火災で消失し、現在の建物が建てられたのは意外と最近で1840年から67年にかけて徐々に完成している。ゴシック様式で建てられているのは、そのころゴシック・リヴァイバルとよばれるゴシック様式の復興運動があったからだそうな。

ロンドン・ウェストミンスター大聖堂

 ウェストミンスター宮殿の隣にはウェストミンスター寺院が建つ。こちらは13世紀に建設が始まった正真正銘のゴシック様式である。
 イギリス国教会の教会で、イギリス王の戴冠式などの式典で使われ、また歴代王の墓所でもある。
 入場のため30分ほど並び、中に入る。日本語にも対応している音声ガイドは無料で貸し出されており、説明を聞きながら内部を見て回ることができる。(まあ、無料というよりは、入場料が と27ポンドとお高いので、音声ガイド代が含まれていると言ったほうが正しいかも...)
 アーチ状の高い天井、見事なステンドガラスが圧巻。
 音声ガイドを聞いていくと、教会内にイギリスの様々な偉人が葬られていることがわかり、教会全体が大きな墓地だということがわかる。祈り、宗教と人の死はどうしても切り離せないし、人の死があるからこそ宗教というものがあるのだと思った。

 この後、地下鉄に乗り、タワー・ブリッジやバッキンガム宮殿などをちらみしつつロンドンの観光スポットを回っていた。
 かつて、ロンドンの地下鉄はオイスターカードと呼ばれる日本のSuicaに似たプリペイド式の交通カードが使われていたのだが、現在はVisaなどのクレジットカードのタッチ決済に対応しており、現地の人たちも観光客たちも自分のクレジットカードやスマホをかざして地下鉄に乗り込んでいるようである。シンガポールやニューヨークなどでの地下鉄でもタッチ決済対応が進んでいる。カードにバリューを入れて持ち歩くSuicaはぼちぼち時代遅れなので、日本の地下鉄も早くタッチ決済対応してほしいものである。

Paddington

パディントン駅
駅舎的な建物はステーションホテル おなじみ鉄骨のトレインシェードだがかなり無骨である
ロンドン・Paddington 駅

 旅の最後にもう一つターミナルを見ておく。
 イギリスでは鉄道が国有化される直前、Big4と呼ばれる四大私鉄に鉄道が集約されたことはさっきも書いたが、Big4とは具体的には、

  • Great Western Railway (GWR)
  • London, Midland and Scottish Railway (LMS)
  • London and North Eastern Railway (LNER)
  • Southern Railway (SR)
の4社となる。
 今まで見て回ったターミナルがそれぞれどの鉄道会社のターミナルになるのかというと、EustonとSt PncrasがLMS、King's CrossがLNER、VictoriaがSRである。となるとGWRのターミナルも一つは見ておかないと収まりが悪い。
 そんなわけで向かったのが Paddington 駅である。
 ウェールズ地方南部への長距離列車やロンドン西部への近郊列車のターミナルであるのだが、ロンドンからヒースロー空港まで最速でたどり着ける列車であるヒースロー・エクスプレスの発着駅としても有名である。
 7面14線のいわずもがなの頭端式ホーム。駅が北に拡張された歴史があるらしく、南側のホームはまっすぐだが、北側のホームは大きく歪曲している。
 駅舎にあたる部分はヒルトンホテルになっているが、これは元々1854年にGWRがホテルとして建築した建物であり、当初からホテルだったようだ。
 よって、頭端式ホームの正面にあたる部分から駅に入ることができず、線路に向かって左側からコンコースに入っていく。鉄骨で組まれたアーチ状のトレインシェードはヴィクトリア時代から変わっておらず、イギリスのいち早い近代化の歴史を感じることができる。
 この駅からは現在もGWRを冠した鉄道会社がかつてのGWRと同じようにウェールズ方面への列車を走らせている。
 ところでパディントンというとパディントン・ベアを思い出すかもしれないが、クマが見つかったのが Paddington 駅であるのがその由来。見つけられなかったのだが、駅構内のどこかにパディントン・ベアの像もあるらしい。

 ワルシャワからロンドンまで2週間に渡ってヨーロッパを横断してきた。
 実は旅行開始早々体調を崩し一日寝込んでいた日も数日あったりして、見たかった場所を十分に見学することができなかった。
 本当はドーバー海峡を横断するフェリーにも乗りたかったし、アムステルダムにも足を伸ばしたかった。イギリスのホバークラフトや、ヨーロッパの夜行列車にも乗りたかった。
 まあ、楽しみが残ったと思って、いつかまたヨーロッパの旅ができる機会を作りたいですな。って、なかなか休みが取れないよねぇ。

0 件のコメント: