2023-04-17

ヨーロッパ横断 駅舎をめぐる旅 (#3 ベルリン)

 ヨーロッパとアジアを結ぶ国際列車が行きかっていた戦前の鉄道黄金期に思いを馳せながら、ヨーロッパの駅舎を巡る旅。
 ワルシャワから途中古都ポズナンに立ち寄り旧市街を見学した。その後ベルリンに移動する予定だったのだが、人身事故らしきトラブルがあり予定より4時間遅れてベルリンに到着した。
 気を取り直して、ベルリンの東西分裂期のターミナルの痕跡と、現在のターミナルを探っていく。

ベルリンの鉄道ターミナル

 本日はベルリンの鉄道ターミナルとターミナルの跡地を回っていく。
 まずは戦前1939年ごろのベルリン近郊鉄道の路線図を確認する。

 こちらの路線図は、Sバーンと長距離路線が混在して書かれている。
 Sバーンとはドイツの都市近郊鉄道のことで、ベルリンの場合、長距離鉄道網とは完全に独立した第三軌条方式の列車網がSバーンとして運行されている。ちなみに地下鉄はUバーンというのだが、Sバーンが地下を走ったり、Uバーンが高架を走ったりするので、一見さんにはなかなかややこしい存在。とはいえ、どのみち運賃は統一されているので、あまり気にせずに乗れることができる。
 閑話休題、ベルリンでは1939年の時点でSバーンの整備がかなり進んでおり、今日のSバーンの配線図と見比べても、ほぼ同じ路線図となっていることがわかる。
Berlin S-Bahrn - sbahn.berlin より
 そして、この時代の長距離路線のターミナルはどこにあったかというと、そこら中にたくさんあった。19世紀の鉄道黎明期に様々な鉄道会社がベルリン市内にターミナルを作り、その名残がまだ残っていたのだ。
 中でも大きなターミナルは6つあり(図の①~⑥)、これらを順番に見ていく。

 1939年の路線図を見ると、環状線の中を貫くように東西に線路が伸びているが、これは1882年に完成したベルリン市街線とよばれる路線である。この路線の完成によりベルリン東西の路線が直線的に繋がり、ターミナル間を乗り継ぐことなくドイツ各地へ移動できるようになった。また、ドイツを通る国際列車もこの線路を通過できるようになった。線路は複々線となっていて、長距離列車もSバーンも市街線を利用していた。
 このベルリン市街線のターミナルとなっていたのが Schlesischer 駅(①)である。
 Schlesischer 駅は、この時代のベルリン各ターミナルの中でも中心的な存在であった。戦後、ベルリンは東西に分割されるのだが、Schlesischer 駅は東ベルリンの領内に位置することとなった。東ドイツ各地、さらに共産圏各国へのターミナルとなった Schlesischer 駅は、ベルリンの壁構築後に、西ベルリンの存在を無視するかのように Berlin Hauptbahnhof (中央)駅と改称された。
 ドイツ再統一後は、Ostbahnhof (東)駅と改称され、今もベルリンの重要なターミナル駅となっている。

 一方、東西分割時の西ベルリンはどうなっていたかというと、ベルリン市街線の西方にある Zoologischer Garten (動物園)駅(A)を除き、全てのターミナルは閉鎖されていた。領土全てを東ドイツに囲まれていた西ベルリンは長距離列車の行先を失い、東ドイツ領内を通過して西ドイツに直通する列車と国際列車のみが Zoologischer Garten 駅から発着していた。とはいえ、西ベルリンと西ドイツ本土を結ぶ主力の輸送手段は空路であり、駅は活気を失っていたという。

 ベルリン市街線の中央に南北の線路(南北地下線)があるが、これはSバーンの線路であり、長距離列車は通らない線路となっている。この線路とベルリン市街線との交点である Friedrichstraße (フリードリヒ通り)駅(B)は、ターミナルではないものの戦前から乗り換え客でにぎわっていたようである。

 続いて、市街線以外のターミナルを見ていこう。と言っても、実は市街線以外のターミナルは全て現存してない。
 市街線と交差する位置にあるのが Lehrter 駅(②)である。ドイツ北方あるいはその先のハンブルク方面のターミナルであった。戦後は旅客機能を失って、貨物駅として使われていたが1980年に廃止された。21世紀に入り、その跡地に Hauptbahnhof (中央)駅が建設され、現在ではベルリンを発着するほぼすべての列車が通る主要駅となっている。
 Sバーン南北地下線の北側には、Stettiner 駅(③)があった。ベルリン北部、あるいはロストックから連絡船を経由してオスロやストックホルムへ向かう列車が発着していた。この駅は戦後しばらくは、Nordbahnhof (北駅)と改称して営業していたが、ベルリン東西分割の際閉鎖された。
 市街線の南部にも3つのターミナルがあった。Potsdamer 駅(④)はポツダム経由で南部に向かう線路で、ケルンやその先のパリまでの国際列車も運行されていたが、戦後廃止される。現在、この駅があった場所はポツダム広場と呼ばれている。
 Potsdamer 駅のすぐ隣に、Anhalter 駅(⑤)があった。ライプツィヒ、フランクフルト、ミュンヘン方面の列車が発着していた。この駅も戦後まもなく廃止されたのだが、今でも駅舎ファサードの一部残されている。
 最後は、Görlitzer 駅(⑥)である。ベルリン南東方面のGörlitzer駅に向かう線路が伸びていた。こちらもやはり戦後まもなく廃止されている。

Ostbahnhof

Ostbahnhof の駅舎
本日は、朝から雨模様 工事の柵に Ostbahnhof 壁の歴史的な写真が貼られていた 工事の柵に貼られていた写真
(右下) 工事のためいくつかの通路と階段が閉鎖されていた 高架ホームも工事中。
トレインシェードは古い写真と同じ形をしているが、かなり補強されているように見える かつてのベルリンの壁であるイーストサイドギャラリー
ベルリン・Ostbahnhof 駅

 まずは、昨日ベルリンに降り立った駅でもある Ostbahnhof (東)駅を見ていく。Ostbahnhofは、前述の通り戦前から現在まで一貫してターミナルであり続けているベルリン唯一の駅である。
 高架駅で、長距離路線とSバーン合わせて5つのホームと9本の線路がある。
 駅は絶賛工事中で通路によって行けるホームと行けないホームがあり、かなりややこしくなっている。
 この工事だが、俺的に意外な副産物があった。工事用の柵に Ostbahnhof 駅の歴史を表す写真が貼られていたのだ。それによると、どうやらホームとそれを覆うトレインシェードは戦前から現在まで形が変わっていないようである。
 駅の南側にあるガラス張りの駅舎は2000年にオープンしたもので、まだ真新しい。そう大きな駅舎ではないが、1階には多数の飲食店、地下にはスーパーがある。
 しかし日本でもそうなのだけど、駅って場所はなにかしら延々と工事しているものですな。

 この駅から南に歩いて数分の場所に、ベルリンの壁が数百メートルに渡って残されている場所がある。ベルリンの壁はベルリン市内で何か所か残されているのだが、「壁」状態で残されているのはここだけである。
 この壁はイーストサイドギャラリーと呼ばれ、世界各国のアーティスが壁に絵を描いている。なかでも有名なのが旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長がキスした様子を描いたDmitri Vrubelによる作品である。モチーフは1979年東ドイツ建国30周年の式典での写真らしい。
 この写真の風刺の意味するところはベルリンの民でないとわからないが、インパクトは抜群の絵であることは間違えない。
 それにしても、ヨーロッパを訪れて3日目だが、相変わらずとても寒い。ヨーロッパの冬は長いですな。

ベルリン市街線

Sバーンで市街線に乗車する Friedrichstraße 駅 Friedrichstraße 駅 ホーム
ドイツの駅の時計は秒針までついている ベルリン最大のターミナル Hauptbahnhof Hauptbahnhof は地上と地下に線路があり立体的に交差している
Sバーンの副駅名にかつての駅名である Lehrter の名前が残されている Zoologischer Garten 駅外観 あまり大きくはないZoologischer Garten 駅ホーム
ベルリン・Friedrichstraße 駅

 Ostbahnhof からSバーン乗って、ベルリン市街線を西へ進んでいく。
 まずは4駅先の Friedrichstraße (フリードリヒ通り)駅で下車。この駅は、駅舎、ホーム共に戦前の姿を比較的残しており高架のホームの上を覆うトレインシェードとレンガ造りの駅舎に歴史を感じることができる。
 地下にはベルリン市街線と交差するSバーンの南北地下線があるのだが、駅は真下にあるわけではなく、地下の通路を少し歩く必要がある。

ベルリン・Hauptbahnhof 駅

 Friedrichstraße (フリードリヒ通り)駅の隣は、Hauptbahnhof (中央) 駅である。2006年に建てられた Hauptbahnhof 駅は 高架部分がベルリン市街線、地下部分が新しく作られた長距離列車用の南北幹線の駅が作られている。
 地下ホームから高架ホームまで吹き抜けとなっていて、開放的な空間を駅のコンコースが大きく取り囲んでいる。地上や地下からベルリン市街線を見上げると、空中に線路が浮いているように見え、とてもかっこいい。
 この駅と南北幹線が完成したことにより、ベルリンからドイツ国内各方面に出発する列車がほぼ全て Hauptbahnhof に集約された。
 かつてこの場所にあったのが Lehrter 駅である。
 この場所に南北の線路を敷きベルリンのターミナルを集約する構想は実は戦前からあった。だが、長いベルリンの東西分裂時代もあり、21世紀になってようやく Berlin Hauptbahnhof は完成した。

ベルリン・ Zoologischer Garten 駅

 Hauptbahnhof から3駅先が、 Zoologischer Garten (ベルリン動物園)駅である。
 特徴的なガラス張りの箱型のトレインシェードは、戦前に建設されたものらしい。
 ベルリンの東西分裂時は西ベルリンのターミナルとして機能していたということだが、長距離列車のホームは2面4線しかなく、ここからも当時の鉄道の往来がそう多くはなかったことは想像できる。現在では通過する長距離列車も多く、ターミナル機能は失われている。
 駅名の通り、駅の目の前には動物園があり、家族ずれが多く乗り降りしていた。

 ところでベルリンの市内交通だが、ワルシャワと同じくSバーン、Uバーン、トラム、バスすべて共通である。
 切符を駅の自販機で購入した後、アクティベート(有効化)しないといけないのもワルシャワと同じである。ベルリンでは普通の紙の切符を買ったのだが、紙の切符はどのようにアクティベートするかというと、駅においてある赤い小さな四角の箱に紙を突っ込むのである。そうすると紙に本日の日付と現在時刻が印字され、有効になるというアナログ仕様である。

幽霊駅

Sバーンの Nordbahnhof 駅
(右下) コンコース階はかつての幽霊駅を再現した展示がある (左) ベルリン東西分割時代の路線 東ベルリンのエリアにある黒丸の駅が幽霊駅
(右) ベルリン分割時代の西と東のUバーンの路線図 (左上) Sバーンの入り口
(右上) かつて Nordbahnhof 駅があったと思われる場所
(下) 駅跡地の公園 左手奥に見える建物はDBの建物
ベルリン・Nordbahnhof 駅

 Friedrichstraße 駅まで戻り、Sバーンに乗り換えて Nordbahnhof (北)駅に向かう。
 Sバーンの Nordbahnhof 駅は、ベルリンの東西分裂中「幽霊駅」として有名な駅であった。
 ベルリンが東西に分裂した際、鉄道路線も東西に分割されたのだが、起終点が西側にあり途中で一部の東側を通過するSバーンとUバーンの3路線は、東側の駅を閉鎖し列車は通過するという措置が取られた。
 このため列車からホームが見えるものの降りることができない駅として、これらの駅は「幽霊駅」と呼ばれていた。
 Sバーンの Nordbahnhof 駅構内には、幽霊駅に関する展示がされており、当時の写真などが飾られている。
 展示には東ベルリン内の幽霊駅は東からの逃亡者の侵入を防ぐため厳重に封鎖、警備されていたことなどが書かれていた。

 幽霊駅の展示の見学を終え、地上の出口に向かう。
 駅の北側に大きな公園とDB(ドイツ国鉄)の建物が建っている場所があるのだが、おそらくそこが Stettiner 駅、そして後の Nordbahnhof 駅の跡と思われる。
 公園を少し歩いてみたが、見渡す限り、当時の駅の痕跡はなさそうに見えた。

Görlitzer

ベルリンのトラム Görlitzer駅跡地の公園 (上) 最寄りのUバーンの駅には Bahnhof (長距離列車の駅)の名前が残されている
(下) 旧Bahnhof 駅から Uバーンの Görlitzer 駅は意外と遠い
ベルリン・Görlitzer Park

 続いてトラムとUバーンを乗り継いで、Görlitzer 駅の跡地に移動する。Görlitzer 駅の最寄りのUバーンの駅名は Görlitzer Bahnhof である。Bahnhofというのは長距離列車の駅のことだが、駅名に反してここには現在は長距離列車の駅はない。
 Uバーンの高架駅から地上に降り、歩くこと5分で Görlitzer Park という公園にたどり着く。スポーツ公園となっているようだが、ここがかつての Görlitzer 駅の跡地である。といっても、駅の痕跡は何もない。
 Uバーンの駅とは少々離れているのだが、かつては長距離列車からUバーンに乗り換える人々が列をなしてあるいていたのだろうか?
 ところでさっきの Nordbahnhof は地下駅だがSバーン、こっちの Görlitzer Bahnhof は、高架駅だがUバーン。こういうものなので、俺は間違ってないぞと補足しておく。

Potsdamer, Anhalter

Potsdamer 駅跡地の公園 (上) 現在は地下に Potsdamer Platz 駅ができている
(左下) 旧 Potsdamer 駅の正面にベルリンの壁ができ、現在も一部残されている
(右下) 現在の駅構内の壁に1905年の地図がプリントされていた 左側に Potsdamer 駅と Anhalter 駅が見える Anhalter 駅のファサード (上) ファサードの裏はサッカー場
(左下) ファサードの横にはここから強制収容所へ送られたユダヤ人についての記載がある
(右下) こちらも、Sバーンの駅名に Bahnhof の名を残している
ベルリン・ポツダム広場

 続いて、UバーンとSバーンを乗り継いで、ポツダム広場へ向かう。
 ポツダム広場には現在は Hauptbahnhof へ向かう南北幹線の地下駅(ポツダム広場駅)が作られているが、戦前は地上に大きなターミナル Potsdamer 駅があった。
 ポツダム広場にベルリンの壁が一部残されていることからわかるように、この広場は東西ベルリンの境界にあたり、西ベルリンのドン詰まりとなってしまった Potsdamer 駅は、長距離列車の駅として意味をなさなくなり、戦後廃止されてしまった。
 現在、駅と線路があった場所は芝生に覆われた公園となっていた。

ベルリン・Anhalter 駅跡

 ポツダム広場からSバーンで1駅東側進むと、Anhalter Bahnhof 駅がある。Anhalter もまた、Sバーンに Bahnhof の名前を残すが、やはりそこに長距離列車の駅は存在なく、公園があるのみである。
 戦前にあった Anhalter 駅は荘厳なファサードを持った駅舎のある大きなターミナル駅であった。
 ナチス政権下では、ベルリンから追放されるユダヤ人がこの駅からチェコの収容所へと運ばれていったらしく、駅の跡にはそのことが書かれた案内板が設置されている。
 戦後、東ベルリンの端の位置となった Anhalter 駅は Potsdamer 駅と同様の理由で駅としての機能を失い、やがて廃止された。
 公園の北端に、かろうじて残った駅のファサードの中央部分が保存されている。

ブランデンブルク門とベルリンテレビ塔

ブランデンブルク門 ベルリンテレビ塔と展望台からの眺め
ベルリン・ブランデンブルク門

 ターミナルを見て回ったところで、ベルリンらしきところを見て回る。
 まずはベルリンのシンボルブランデンブルク門。
 我々はベルリンの壁崩壊をニュースで見てきた世代なので、この場所の目の前に立つというのはとても感慨深い。
 俺が子供のころは冷戦の真っ最中で世界は真っ二つに割れていた。この争いは永続的に続くと思っていたし、仮に終わるとするならば第3次世界大戦の後だと思っていた。それが、あれよあれよという間に、ベルリンの壁、ソ連と崩壊していった。その後、世界は一つになるのかと信じていたのだが、現実はそう簡単ではなく、現在の世界は以前よりもカオスとなっているように思える。

ベルリン・ベルリンテレビ塔

 Ostbahnhof 駅から2駅西側のアレクサンダー広場駅の前に、ベルリンテレビ塔という異形のタワーが建っている。最後にベルリンのランドマークの一つであるこの塔に登ってみる。
 ベルリンテレビ塔が完成したのは東ベルリン時代の1969年。ベルリンの壁ができた後の時代だ。
 位置的には東西ベルリンの境界に近く、壁の向こうの西ベルリンに東の力を見せつけるためなのか、全長365メートルの巨大なコンクリートの塔である。
 巨大な円錐が伸びた先に球形の展望台があり、ベルリン市内どこからでもその姿を確認することができる。
 ベルリンを一望できる展望台は現在でも人気で、入場料25.5ユーロとまあまあの値段にもかかわらず、たくさんの観光客で賑わっていた。(入場料はワルシャワの文化科学宮殿の4倍か...。文化科学宮殿お得だったな...)

 展望台のデッキは地上207メートルにあるのだが、エレベーターに乗るとあっというまに到着する。
 大きな窓に覆われた展望デッキは360度ほぼ死角はない。また、ベルリンは大きなビルが密集しているところがなく、市内のランドマークを目視することが可能。今日回ってきた駅や線路の位置を確認し、本日の観光を終了することにする。

0 件のコメント: