2025-06-03

北陸私鉄・三セク鉄道制覇 777.9キロ (#2 石川編)

 直江津から敦賀まで、旧北陸本線沿いの私鉄を順に制覇していく旅。日本海ひすいライン、城端線、万葉線、氷見線、あいの風とやま鉄道と富山県を片付けて、石川に入ってきた。
 まずは、JR西日本、のと鉄道と乗り継いで、七尾線を制覇する。

七尾線

#10 津幡 14:46発 七尾行 → 七尾16:08着
(JR西日本 七尾線 54.4km) #11 七尾 16:21発 穴水行 → 穴水17:05着
(のと鉄道 七尾線 33.1km)
#12 穴水 17:21発 七尾行 → 七尾18:02着
(のと鉄道 七尾線 33.1km) のと鉄道の一日乗車券・つこうてくだしフリーきっぷ
ありがたい日付入り #13 七尾 18:10発 金沢行 → 金沢19:37着
(JR西日本 七尾線/IRいしかわ鉄道線 65.9km) (左上) 穴水駅駅舎
(右上) 未だ、ところどころ震災の傷跡が残る
(下) かつては穴水の向こうにも路線が伸びていた
右に少し見えるのが保存されているパノラマ車両
津幡町・津幡駅

 津幡駅から七尾行の列車に乗車する。津幡から先の七尾線はJR西日本なので、ここでワンマンの運転手が交代するようである。
 かつては、大阪から「サンダーバード」、名古屋から「しらさぎ」が乗り入れていた七尾線だが、北陸新幹線が敦賀まで延伸して以降は、金沢発の特急「能登かがり火」が乗り入れるのみとなった。
 結局のところ、金沢も、大阪も、名古屋も北陸新幹線が敦賀まで延伸した結果、乗り換えが増え、時間も大して縮まらず不便になってしまった。しかも、敦賀から先の大阪方面への延伸は全く先が見えない。福井のメンツのためにフル規格新幹線を作るよりは、金沢敦賀間は狭軌のスーパー特急を作ったほうがみんなハッピーだったのではないかと思わなくはない。
 閑話休題、観光路線のイメージが強い七尾線だが、普通列車を見ると地域の住民らしき乗客が多く、ちゃんと生活の足になっている。
 津幡は能登半島の西側だが、七尾は東側にあり、七尾線は、能登半島の付け根を横切るかのように線路が伸びている。七尾線の周囲は山深い能登半島の中で唯一の大きな平野で、田園地帯となっている。
 田植えを終えた田んぼを1時間半ほど眺めながら、終点・七尾駅に到着した。

七尾・七尾駅

 七尾から隣の和倉温泉駅まではJR西日本とのと鉄道の重複区間となっている。普通列車は七尾で運転系統が分かれるが、特急は隣の和倉温泉までJR西日本の路線として乗り入れている。そんなわけで、七尾駅は同じ線路を共有しているものの改札とホームがJR西日本とのと鉄道で分かれている。
 一度、JR西日本の改札を出てすぐ隣の、のと鉄道の改札(といっても、こっちは無人)から駅に入りなおして、穴水行の列車に乗り込む。
 車両は1両編成の気動車、もちろんワンマン運転。
 ここまでは、万葉線を除き「北陸おでかけtabiwaパス」で列車を乗り継いできたのだが、のと鉄道はから先の区間は範囲外だ。運賃を計算したところ、一日乗車券の方が安そう。車内で一日乗車券が買えるか運転手さんに聞いてみると、土日限定のフリーきっぷ・つこうてくだしフリーきっぷを販売してくれた。有効期限の日付は、運転手さんのマジックペンによる手書きである。手書きの日付込みで1000円、ざっくり正規運賃の3割引となった。

 さて、能登と言えば昨年の元日に能登半島地震があった。
 のと鉄道の車窓からも道路の復旧工事と思われる工事を何度か目撃した。未だ屋根の上にビニールシートが敷かれている姿もよく見かけた。恐らく、瓦が破損したのだと思われるが、古い建物も瓦だけは真新しいものに葺き替えられているようだった。
 ただ、被害の比較的少なかった半島の東側ということもあるのか、半壊したような建物は既に見受けられず、全体に、徐々に復興が進んでいるように見えた。

穴水町・穴水駅

 七尾から穴水までは七尾湾に沿って海沿いに線路が敷設されているので、晴れていれば能登島などの姿が眺めることができるはずなのだが、あいかわらずの雨。車窓からみえるのは、もちろんどんよりとした海。ぶっちゃけ、どんよりした海は、どこも同じに見えてしまう。
 かつては、穴水から先、輪島方面と珠洲方面に線路が伸びていたのだが、いずれも21世紀初頭に廃止された。現在では、穴水から先の能登半島の先端部へは車かバスで移動するしかない。
 穴水から線路が分岐していた名残で、ホームは多数あるのだが、現在使っているのは1番線のみ。1番線の向こうに切り欠き式の0番線ホームがあり、パノラマ車両が静態展示してあると案内板が出ているのだが、立ち入りできないようである。地震でホームが破損しているのかもしれない。

 さて、穴水から折り返して、金沢へ向かう。
 途中、七尾でのと鉄道からJR西日本に乗り換え、そのままIRいしかわ鉄道線に乗り入れ、金沢まで2時間8分。なかなかの長旅である。
 ぼちぼち日が暮れて来て車窓も闇になるので、読書タイムとしますかね。

北陸鉄道

(上) 北鉄金沢駅の改札
(左下) 浅野川線の土日限定一日乗車券
(右下) 北鉄金沢駅の駅名標は電車の向こう #14 北鉄金沢 20:00発 内灘行 → 内灘20:17着
(北陸鉄道 浅野川線 6.8km)
#15 内灘 20:30発 北鉄金沢行 → 北鉄金沢20:47着
(北陸鉄道 浅野川線 6.8km) (上) 北鉄浅野川線の終点・内灘駅
(下) 線路は民家にぶち当たって終わっている #16 金沢 21:15発 福井行 → 西金沢21:18着
(IRいしかわ鉄道線 3.7km) 北鉄石川線 新西金沢駅 #17 新西金沢 21:36発 野町行 → 野町21:39着
(北陸鉄道 石川線 2.1km) 初日は野町駅にて終了
金沢・北鉄金沢駅

 金沢駅から北陸鉄道の制覇に取り掛かる。北陸鉄道は、金沢市を中心とした路線を有する純私鉄。かつては長大な路線網を有していたが、現在は、浅野川線と石川線の2路線を運行している。両線は接続しておらず、それぞれIRいしかわ鉄道の金沢駅と西金沢駅近くに駅を構えている。
 金沢駅の駅前のおもてなしドームから地下へ降りると、浅野川線の北鉄金沢駅がある。北鉄も「北陸おでかけtabiwaパス」の範囲外なので、浅野川線の一日乗車券(500円)を購入する。
 北鉄金沢駅は頭端式の1面2線ホーム。地下トンネルに続く先端の方が薄暗くなっており、いかにも地下ホームといった雰囲気がある。ただ一つ、難点を上げさせてもらうと、駅名標が線路の向こうの壁側にしかないこと。2番線はつねに留置車両で塞がれており、1番線はこれから発車する車両で埋まっている。さらに、列車が到着してからでないと改札が行われないので、車両のいない状態でホームに入ることができない。結果、駅名標を見ることができない。そりゃないぜ、セニョールとつぶやかざるを得ない。無念。

内灘町・内灘駅

 浅野川線は都心から住宅地へ向かう路線なので、基本的に金沢で満員の乗客を乗せた後は、徐々に乗客を降ろしながら終点の内灘駅に向かっていく。所要時間は17分、終点が近づくと車内に松任谷由実の『アカシア』が流れ出す。松任谷由実さんは石川県観光ブランドプロデューサーなのだそうな。(何ソレ???)
 内灘駅は住宅街のど真ん中にあり、線路の終点の車止めの向こうは民家である。駅の周辺の様子からはうかがい知れないのだが、線路の先1kmは内灘海岸という砂浜がある。戦前は海水浴に向かう観光客も浅野川線を利用していたようだ。
 バスターミナルが併設された小さな駅舎と1線のみの小さなホーム。これぞ地方鉄道という姿をとくと目に焼き付けて、金沢駅に戻るとする。

金沢・新西金沢駅

 金沢に戻り、IRいしかわ鉄道で隣の西金沢駅に移動した。
 北鉄新西金沢駅は、石川線で唯一の乗換可能駅だが、起終点ではない。起点はここから2キロほど金沢市街地方面に向かった野町駅で、終点は南方10キロ先の鶴来駅である。
 西金沢駅の駅前ロータリーを挟んで向かい側に、北鉄・石川線の線路と踏切がある。駅は向かって左側。やはり小さな駅舎があった。
 駅舎は当然のごとく無人で、ホームに向かう出口から出ると、踏切を挟んで島式ホームが一つある。ホームの幅は狭く、有効長も2両分、ホームの屋根で雨をしのぎながら野町行きの電車を待つ。
 駅舎とホームをつなぐ踏切の警報が鳴り始めてしばらくすると2両編成の列車がやってくる。アルミ色の車体は京王線のお下がりだそうな。

金沢・野町駅

 2駅で終点の野町駅に到着。
 野町駅はバスが3台ほど停まれるバスターミナルと待合室が併設された駅で、他の駅と比べると立派な佇まいをしている。
 ここから折り返して鶴来に向かうと言いたいところだが、今日はここまでで。この後、もう1本鶴来行の列車はあるのだが、鶴来には周辺にホテルがないため、本日はここで宿泊し、明日の朝、始発で鶴来に向かうことにする。

(上・右下) 翌朝の野町駅
(左下) 北鉄石川線の土日限定一日乗車券 浅野川線より100円高い #18 野町 06:23発 鶴来行 → 鶴来06:55着
(北陸鉄道 石川線 13.8km) 北鉄石川線の終点・鶴来駅 #19 鶴来 06:59発 野町行 → 新西金沢07:27着
(北陸鉄道 石川線 11.7km) 新西金沢駅(上)から西金沢駅(左下)に乗り換える
(右下) 西金沢から倶利伽羅までは、880円
金沢・野町駅

 一夜明けて野町駅に戻ってきた。相変わらずの雨である。
 昨日は夜遅すぎ、そして今日は早すぎるため、バスターミナルにバスはない。もちろん、窓口は開いていないし、車両の夜間留置もないので、列車も止まっていない。雨音だけが聞こえる、無の空間である。
 始発の定刻は、6時23分。その10分ほど前に、新西金沢方面から列車がやってきた。降りる乗客はいないが、乗る乗客は私以外に数名現れた。
 石川線にも600円の一日乗車券があるので、窓口で購入する。本来は窓口の営業時間外のようだが、駅員に話しかけたら売ってくれた。なお、駅窓口以外では購入できないので、その場合はのりまっし金沢というサイトからデジタル版が購入できるようである。

 定刻通りに、数名の客を乗せて野町駅を出発した。新西金沢でさらに乗客が乗り込んでくる。
 石川線は不思議な鉄道である。起点の野町駅は市街地近くとはいえ、繁華街からかなり離れた場所にある。そこからお世辞にもターミナルとはいいがたい西金沢駅をかすめて、あとは延々と住宅街を走っていく。
 昭和の初めごろまで日本中のあらゆる町で軽便鉄道を含めた無数の鉄道路線が敷設されたが、それらの路線は徐々に国有化されるか淘汰され、戦後のモータリゼーションと共に大手私鉄を除いてほぼ壊滅した。都市部の鉄道は大きな町は地下鉄にとってかわられ、そこまでではない都市は路面電車が生き残った。金沢は、北陸の主要都市ではあるものの地下鉄を作るほどの大きな都市ではない。他の都市であれば路面電車が生き残っていそうな都市規模である(事実、両隣の福井、富山には路面電車が生き残っている)が、路面電車は廃止され、北鉄線の2線だけが残った。
 浅野川線は大ターミナル金沢への輸送という役割で生き残ったのだろうが、石川線はそうではない。沿線に大きな観光地があるわけでもない石川線がなぜ生き残ることができたのだろうか? 答えはよくわからないが、やはり経営が成り立つギリギリのラインの沿線人口があったということに尽きるのだと思う。もう少し金沢が大きくなっていたら地下鉄に取って代わられてだろうし、もっと小さかったら廃線になっていた。そんな絶妙なバランスで持ちこたえてきたであろう石川線に30分乗り、終点・鶴来に到着した。

白山・鶴来駅

 車窓が住宅地から田園に変わり、山が近づいて平野が終わりかけたところが、終点・鶴来である。かつては鶴来から先も線路が伸びていて、その名残なのか、今でも右にカーブする線路がホームを越えて続いている。
 駅舎は木造の駅舎で、昭和2年に建設された建物なのだそうだ。
 これで石川線も制覇したので、浅野川線と合わせて北陸鉄道制覇となった。
 乗ってきた電車に再度乗り込んで、新西金沢駅へ戻る。

IRいしかわ鉄道

#20 西金沢 08:03発 福井行 → 福井09:17着
(IRいしかわ鉄道線/ハピラインふくい線 73.0km)
金沢・西金沢駅

 西金沢駅で石川線の列車を降り、IRいしかわ鉄道の西金沢駅へ向かう。両駅間は申し訳程度に屋根付きの通路はあるものの、降りこんでくる雨に服が濡れる。
 次の目的地は福井なのだが、次の列車は小松どまり。30分ほど待って福井行を捕まえる。途中、倶利伽羅駅がハピラインふくい線との境界なのでそこを越えたらIRいしかわ鉄道も制覇完了となる。
 なお、昨日使った「北陸おでかけtabiwaパス」だが、本日の乗車経路だと元が取れない。代わりにハピラインふくいの一日乗車券を利用する。倶利伽羅駅までの880円のきっぷを購入し、福井行の列車の到着を待つ。

福井・福井駅

 1時間14分で福井に到着。乗車距離73kmは、この旅の最長不倒距離である。
 途中の倶利伽羅駅を超えた時点で、IRいしかわ鉄道を制覇完了。残りは福井県内のハピラインふくい、えちぜん鉄道、福井鉄道の3社4路線のみとなった。

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