岩国からスタートした、山陽地方の私鉄を乗りつぶす旅。夕方までに広島近辺の私鉄、公営鉄道を乗り潰し、福山にたどり着いた。
日没直前ではあるが、最後に一つ井原鉄道に乗ってから、初日を終える予定である。
井原鉄道
(右上) 井原鉄道車内
(下) すっかり夜になってしまった 総社駅はJRとの共同駅
福山・神辺駅
つけ麺を食べ終え、新幹線に乗って福山に移動した。さらに、福山から福塩線に乗り換え、3駅先の神辺駅へ向かう。
神辺駅から岡山県の総社駅まで繋がる第三セクター鉄道の井原鉄道に乗車する。
神辺駅のJRの駅舎の隣にある小さな駅舎が井原鉄道の駅舎。券売機は置いてあるが当然のごとく無人駅。
ホームで待とうと思っていたら、一日数本だけあるJR福山駅から直通する列車は、JRのホームから発着するらしく、乗る予定の列車がまさにそれだった。井原鉄道の駅舎できっぷを購入して、再びJRのホームに戻ってきた。
時刻はちょうど日没、完全にホームが暗闇に包まれる直前に総社行きの列車がやってきた。ディーゼル単車のワンマンカーと第3セクターの典型スタイルである。
神辺駅からの乗客はもちろん一人のみ。福山から乗車してきた数名の乗客と共に総社駅に向かうことになる。
しかしながら、日没を過ぎてしまったということで、車窓は暗闇。もうちょっと早く広電を片づけるつもりだったのだが、時間を読み誤ってしまった。明日の予定が詰まっているわけではないので、福島駅で泊ってもよかったのだが、倉敷にホテルを取ってしまったのでやむなく先を進むことにする。
総社・総社駅
闇の中を走ること小一時間で終点・総社駅に到着。井原鉄道を片づけるとともに、いつの間にか岡山県に突入していた。
総社からは伯備線に乗り換え倉敷に向かい、本日の行程は終了。
井原鉄道は、またいつか昼間に乗りに来ないといけないね...。
水島臨海鉄道
倉敷・倉敷市駅
翌朝、倉敷駅の隣、倉敷市駅を起点とする鉄道・水島臨海鉄道に乗車する。全国の私鉄の中でもトップクラスに地味な鉄道なのだが、駅舎はなんと自転車置き場の1階にある。面する路地もまた地味なので、とても駅には見えない奥ゆかしさである。
存在感の薄い水島臨海鉄道だが、その生い立ちはなかなかユニークである。元をたどると戦中に三菱重工水島航空機製作所(現在は三菱自動車の工場)への専用線として敷設されたのが始まり、その後倉敷市が線路を譲り受け市営交通としていて営業していたが財政負担が重く、1970年代に第3セクターに転換し、今に至っている。
早朝の始発列車に乗るために、倉敷市駅に向かったのだが、なんと意外にも待合室で列車を待っている乗客がいた。きっぷを買っているうちに乗客が増えていき、いつの間にか20名近くが列車を待っていた。しかも、年齢層が若く、10代、20代が多い。いや、全然存在感薄くなかったわ。
鎌倉市行きの列車がホームにやってくる直前に改札が始まり、ホームに向かう。ホームもやはり自転車置き場の下にある。
やってきた列車は単行車のディーゼルカー、もちろんワンマンである。到着した列車にもたくさんの乗客が乗っていた。
鎌倉市駅を出発し、しばらくすると高架になり、単線とは言え立派な都市鉄道の様相となる。貨物とも線路を共有しているので、追い越し可能な駅ではかなり長めの列車もすれ違えるようにレールが敷かれていた。
ところで、一緒に列車に乗ってきた若者がどこに行くのかと気になっていたのだが、彼らはどこかでまとまって降りるわけではなく、バラバラと降りていく。朝帰りですかね???
倉敷・三菱自工前駅
30分ほどで終点の三菱自工前駅に到着し、水島臨海鉄道の乗り潰し完了。小さなホームが一つあるだけの駅の横には、駅名通り三菱自動車の工場がある。
列車はそのまま折り返すのかと思いきや、一度1キロほど先にある車両基地に引き上げるようだ。このあたりも貨物への配慮があるように感じる。
列車は線路の彼方に消えるのだが、しばらくするとまた戻ってきて、折り返し倉敷市行きの列車となる。工場地帯のど真ん中、民家もなければ店もないこんなところに放置されてはたまらないので、倉敷市駅に戻ることにする。
岡山電気軌道
(左下) 車内で購入した一日乗車券はスクラッチ式
(右下) 終点近くの停留所はホームも安全防護柵もない 岡山電気軌道 東山本線 岡山駅前 - 東山・おかでんミュージアム駅 3.1km 東山・おかでんミュージアム駅 電停 チャギントンの博物館があるらしい 清輝橋線は連接車両だった 岡山電気軌道 清輝橋線 柳川 - 清輝橋 1.6km 交差点の手前で線路が切れて終点の清輝橋電停に到着
岡山・岡山駅
倉敷から山陽本線で岡山に移動する。続いては、岡山市内を走る市電・岡山電気軌道に乗車する。
岡山駅の駅前、というにはちょっと離れた道路の真ん中に岡山駅の電停がある。駅からは地下で繋がっているのだが、地上を歩いてしまったので、微妙に遠回りしないならなかった。
岡山電気軌道の路線は途中の柳川電停から二股に分かれていて、それぞれの行先の電車がホームの左右から発車するようである。まずは先発する東山行きの電車に乗る。
広島の広電は、高頻度運転の都市型ライトレールという趣だったが、岡山の市内電車は昔ながらの路面電車といった雰囲気である。
岡山駅から離れた末端部分に近づくにつれ、段々と電停が簡素になり、最終的にはアスファルトが緑に塗装されているだけのホームも安全防護柵もない電停となる。同時に道幅も狭くなり、車と道を譲りあいながら走行するようになる。これぞ正に「路面」電車である。
終点・東山電停に到着。そのまま折り返し、柳川電停に向かいそこで清輝橋行きの列車を捕まえる。同じホームで全ての行先の電車に乗れるようになっているので、乗り換えはスムーズである。
清輝橋まで着いた時点で岡山電気軌道全線制覇が完了した。そのまま折り返しの岡山駅行きに乗車する、
料金は一日乗車券で400円。車内で購入した切符はスクラッチで日付を指定する方式。日付を間違えていないか微妙な緊張感があってよいよね。
智頭急行
上郡・上郡駅
岡山駅に戻った後は、またしても山陽本線で西に向かう。目的地は上郡駅。続いては、上郡から北に延びる智頭急行に乗る。
智頭急行は山陽と山陰を結ぶ56キロの第三セクターの鉄道路線。京都と鳥取を結ぶスーパーはくとや岡山と鳥取を結ぶスーパーいなばも通過する路線である。特急だと40分ほどで通過する高規格路線だが、普通列車は2時間近くかけてのんびり運行する。
せっかくなので上郡で普通列車を捕まえ、終点の智頭に向かうことにする。
上郡駅は山陽本線と智頭急行線の分岐駅。JRの駅は有人でちょっとした駅前広場もある。そこから数十メートル離れた場所に智頭急行の上郡駅もあるのだが、駅舎らしきものはなく、線路をまたぐ跨線橋があるだけである。一見、線路を跨ぐ自由通路のようにも見えるが、「智頭急行 上郡駅」との看板があり、ホームに繋がっている。
ホーム上には窓口や改札があり、その向こうに第三セクターおなじみのディーゼル単行車が停車していた。なお、このホームJRのホームと同じホームなので、実はわざわざ外に出なくてもJRから乗り換えることができる。
しばらくして、定刻通り列車は出発した。
智頭線は短い線路ではあるが、兵庫、岡山、鳥取と三県を線路が跨いでいる。言い換えればそれだけ県境の険しい場所を通る路線でありトンネルがとても多い。
単線で特急も走行しているので、途中何度か10分前後の長時間停車があり、その度に特急の通過を待ったり、反対側の列車と待ち合わせをしたりする。なかなか進んでいかないのだが、急ぐ旅でもないので、それもまた良しである。
この日は梅雨の合間の晴天で、久しぶりの青空が広がっていた。山間の駅で停車している間にホームから青空を見上げると、なんとも絵になる景色が広がっている。
ところで、終点の智頭駅の一駅手前に恋山形という駅がある。このあたり恋山形ではなく、山形という地名らしいのだが、どういうわけか恋という字を駅名に付けたらしい。で、何を思ったのか駅名標をハート型に変え、駅舎もピンク色にしてしまった。そんな浅はかなマーケティングで客が呼べるかよと思うのだが、案の定、この日は列車を降りた乗客は無く、ホームをうろついていたのは恋とは全く無縁のおっさん(俺を含む)のみである。いや、いくら何でも地名でもないのに「恋」とか付けますかね???? なんなら「超」ぐらいの方が潔くないかい??
智頭・智頭駅
約2時間で智頭駅に到着した。これにて智頭急行も完乗。智頭急行の智頭駅は頭端式のホームで、行き止まりに駅舎がある。また、そのままJRのホームに進むこともできる。
ここから特急に因美線の特急に乗り換え、郡家駅に向かう。
今回の旅行、山陽横断と銘打っていながら、ついに山陰に足を踏み入れてしまった。
若桜鉄道
(左下) 線路の脇に0キロポスト 若桜鉄道のものかどうかは不明
(右下) 半額で販売されていた一日乗車券 親子きっぷ 若桜鉄道 若桜線 郡家 - 若桜 19.2km 水戸岡鋭治氏デザインの昭和号
昭和はこんなにモダンではなかった気がするが、かっこいい 終点の若桜駅 駅構内にはSLや転車台が動態保存されている
八頭・郡家駅
今回の締めは郡家駅から伸びる若桜へ伸びる若桜鉄道。起点も終点も難読なのだが、それぞれ「こおげ」、「わかさ」と読むらしい。
若桜鉄道は郡家駅が起点であるのだが、駅舎もなければ専用のホームも無く、JRの施設をこっそり間借りするかのように発着している。ホームの裏手の線路のないところに、半ば捨てられるかのように0キロポストがあったのだが、若桜線のキロポストなのだろうか?? (若桜線の線路と反対側にあったので、本当に捨てられているのかもしれない...)
若桜鉄道は20キロに満たない小さな第三セクター路線。大半の列車は因美線に乗り入れ鳥取まで直通しているので、実質的には鳥取から伸びるローカル線といえる鉄道である。
ホームで若桜行の列車を待っていると、鳥取方面からやってきた列車は、まばゆいブルーにラッピングされたディーゼル列車だった。水戸岡鋭治氏デザインの観光列車で昭和号と名付けられているらしい。名前の由来は知らないが、昭和にはなかったようなレトロモダンなデザイン。さすが水戸岡さん、中古のディーゼルカーをよくぞここまで変身させたと感心する。
観光列車の人気なのか、なんらかのイベントがあったのか車内はそれなりに盛況である。
途中、隼駅でなんらかのイベントがあったらしく、何人かの乗客の出入りがあったのだが、大半の乗客は終点の若桜駅まで乗車するようである。若桜駅までの運賃は440円なのだが、親子きっぷという一日乗車券が通常の半額の380円で販売されていた。親子きっぷと名前がついているが、おっさん一人でも購入可能らしく、なんと片道切符以下の値段で往復できることになった。なんだか申し訳ないね。
若桜・若桜駅
ちょうど30分で、終点・若桜駅に到着。これにて、若桜鉄道も制覇し、旅の目的を完遂。
若桜駅は郡家とはちがって、広い構内と立派な駅舎があるいっぱしの駅である。駅の構内には蒸気機関車が保存されており、なんと圧縮空気で走行できるようになっているそうだ。そして稼働する転車台も保存されている。この駅構内の見学には、300円の入構券が必要。いや、乗車券負けてもらったので、そのくらいよろこんで払いますがな!
駅舎内にはカフェがあり、カフェメニューや軽食をロビーでいただくことができる。アイスコーヒーとチーズケーキを食べたが、すごくおいしかったです。
ちなみに、駅の構内のすぐ裏手には「道の駅・若桜」があり、特にバイクのツーリング客でにぎわっていた。本物の駅より「道の駅」の方がにぎわっているのは、なんだか皮肉ではあるよね。
これにて山陽・山陰の私鉄は全て制覇したことになる。近畿・四国も制覇済みなので、西日本は九州を残すのみとなった。
九州だが、2016年に九州地方の全私鉄を3日で乗り潰す旅に出ようとした矢先、熊本地震が発生し、南阿蘇鉄道が被災し、計画は南阿蘇鉄道の復旧を待つことにした。あれから7年が過ぎ、ようやく南阿蘇鉄道は普及したのだが、その間にくま川鉄道が被災し、いまだ全線復旧にいたっていない。
くま川鉄道は、2年後に全線復旧の予定だが、そこに繋がる肥薩線の復旧は見通せず、3日で全ての私鉄を制覇するという計画は実現できそうにない。どうしたものだかと思うが、今はとりあえずくま川鉄道の復旧を待ちたいと思っている。
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