前日、まさかのフェリーのエンジントラブルで延期となってた九州最後の炭鉱・池島炭鉱跡の見学のため長崎県の離島、池島へ向かう。
西海・大瀬戸港
10時15分発の池島行きのフェリーに乗るため、西海市の大瀬戸港に到着。
待合室は、新しく建設されたものらしく狭いながらも綺麗な建物になっている。
船が到着すると特にアナウンスもなく、自主的に船に乗り込む必要があるらしいので、乗るときには注意。
西海・池島港
30分ほどで池島港に到着。
池島の小さな湾に到着するのだが、この港は元々は池で、6年かけて炭鉱採掘のため掘り下げ海につなげて港としたのだそうな。
おそらくこの池があったから池島と呼ばれていたのだろうから、今では”元”池島ということになる。
フェリーからも炭鉱の設備跡らしき建造物と明らかに廃墟であろう住居の建物が幾つか見えている。特に印象的だったのだが、港の近くにある住宅で、どうやら今でもそれなりの住人がいるようなのだが、人が住んでいない一部の部屋のベランダが崩壊しており、同じ建物の中で生活感のある部屋と廃墟が混在しているように見えた。
西海・池島炭鉱跡
港についたら炭鉱の事務所らしき場所に案内され、そこでヘルメットとヘルメットに装着するライトとそのバッテリーを背負う。ヘルメットに装着されたライトってのはいかにも炭鉱夫という感じで、テンションが上がる。
事務所から徒歩数分の場所にトロッコ乗り場があり、トロッコに乗車して炭鉱に向かうことになる。
トロッコは数分で炭鉱のトンネルの中に入り、しばらくすると大きなブレーキ音と共に停車する。
ここで、石炭採掘に関しての説明を受けることになる。説明をしてくれたのは、元炭鉱マンで実際に池島炭鉱で働いていたという方である。池島炭鉱閉鎖後、採掘を行っていた会社は炭鉱技術の海外移転を行なう会社として再編され、現在でもインドネシアに技術指導を行っているのだそうな。
池島炭鉱の歴史や往時の池島の様子の写真を見学したあと、いよいよ採掘機器の説明が始まる。
何よりも目を引くのが巨大なドラムカッター。池島炭鉱の末期は採掘の機械化が進み、このドラムカッターなる機器で大掛かりな自動採掘をおこなっていたのだそうな。石炭層に対して横に穴を掘り進み、奥にドラムカッターを設置すると、今度は、手前に向かって石炭を掘りながら折り返してきたとのこと。
ちなみに、池島炭鉱とは言っても、実際に石炭を掘っていたのは池島の地下ではなく、池島周辺の海面下で、最終的に坑道の総延長は96キロにもなり、坑道内を時速50キロの高速トロッコで移動しながら掘り進んでいったらしい。
その後、人力で石炭を掘っていた頃に使用していた削岩機や発破で岩盤を破壊する場面のVTR見学、炭鉱事故への備えた各種救命器具や一酸化炭素マスクなど実際に使われていた機器をいろいろと見せてもらうことができた。
途中、一度、全ての明かりを消してみるということを行ったのだが、当然、辺りは暗闇となり、何も見えなくなり、なんとも不安になる。今回見学したのは炭鉱の入り口で島の山の中だったのだが、実際の炭鉱は海面下数キロメートル。そんな場所で暗闇の中、石炭を掘るというのはなんとも恐ろしい仕事だったのだろう。
西海・池島
坑内見物を終えると、事務所に戻っと昼食休憩。
別途申し込むと”炭鉱弁当”を用意してくれる。当時炭鉱夫が持っていた金属製の弁当箱を模したお弁当なのだが、中身は唐揚げやスパゲッティーなど今風のお弁当。美味しかったです。
西海・池島
昼食の後は、ワゴン車に分乗して島内を一周。かつての採炭活動を支えた発電所跡、繁華街の跡、住宅の跡を眺めて島の反対側に回る。
島の反対側には、巨大な第2立坑がある。おいらがトロッコに乗って見学した水平坑は、炭鉱初期の坑道で、末期は第2立坑のエレベーターで水平に降り、そこから坑内列車で水面下の炭鉱へ移動していったのだそうな。
第2立坑の前には「長崎の平和祈念像を作った北村西望さんのお弟子さん」なる微妙な方の手による女神像が建立されており、炭鉱の安全を見守っていたのだそうな。
そこから港に戻り、今度は、巨大な石炭の積み出し施設の見学。最盛期は池島から153万トンもの石炭が出炭されたとのこと。
で、フェリーの待合室に戻って炭鉱見学は終了。
実際の機械や設備を間近に見ることができるので、何よりも「石炭の掘り方」ってのがよく分かる、百聞は一見にしかず的な、ナイスな見学コースでした。
少々交通の便の悪いところではあるが、わざわざ行く価値がありますな。
ところで、最後の島内の見学だが、一緒に乗り合わせたお子様が出発直後に「つまらない、帰りたい」とぐずり出し、あげくには兄弟げんかを始め、ワゴン車内には終始不穏な空気が漂っていたのだが、まあ、これは池島とはあまり関係がないですな。
西海・池島
炭鉱最盛期には8,000人近くの人口を誇っていたという池島だが、炭鉱が閉鎖された今では人口が300人弱まで減っていて、ガイドさん曰く「猫のほうが人よりも多い」のだそうな。
もともと小さな漁村だった島が炭鉱の炭鉱の開発とともに人が押し寄せ、そして去って行き、廃墟だけが残されて今の姿になっている。
少々大げさではあるが、いつか文明が滅んだ跡の地球を見るような思いがした。
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