国道45線で三陸海岸を南下する旅、2日目は宮古から南下を始めて午後3時に、陸前高田市に到達。
この街には、まだ震災の後がくっきりと残っている。
陸前高田・市街
陸前高田市は津波による被害が最も大きかった街の一つであり、迫り来る黒い津波の映像は幾度と無くニュースで報道された。
あれから1年近くが過ぎ、街の姿はどうなってしまったかといえば、完全に更地になってしまっている。
おそらく、津波の被害が大きいかった分、瓦礫の撤去も早く進み、どの街よりも早く更地への復元が進んでいるのだろう。
もちろん瓦礫が撤去されたとはいえその処分は進んでおらず、港近くの街の一角に、文字通り山のごとく積み上げられている。この瓦礫の処分が大きな社会問題になっていることは、報道されている通りなのだろう。
市街地のあったであろう港近くの平地は、本当にほぼすべて空き地となっていて、見渡す限り”無”の状態となっている。このような広大な”空き地”は、見たこともない風景だ。
そんな空間に、ひとつだけガソリンスタンドの看板が残されていた。10メーロルは優に超えるであろう看板の下部のみが壊れ、上部はそのまま残っている。おそらく、この看板の破損部分まで津波に流されたのであろう。
街全体をこれだけたかさで覆う水の量を想像すると、津波の巨大さと恐ろしさを改めて思い知らされる。
気仙沼・市街
峠を超えて、宮城県・気仙沼市に入る。気仙沼もやはり、津波に寄る大きな被害を受けた街だが、陸前高田市と比べると、まだ建物が少し残されている。しかしながら、気仙沼市は津波の後大規模な火災に覆われたため、残された建物の多くに焼け焦げた後が残り、火災の跡を認めることができる。
海から数キロ離れた場所に、まだ大きな船が取り残されていた。巨大なクレーンを使っても持ちあげられないであろう船を津波はいとも簡単に街中まで引きずってきたということだ。
港の近くに行くと、地盤沈下で道路よりも沈んでしまった場所や、傾いた建物、電柱が至るところに残っている。震災からもうすぐ1年となり、瓦礫の処理は徐々に進んでいるものの、町の再建にはまだまだ時間がかかりそうである。
気仙沼・大谷海岸
気仙沼からさらに南下を始めると、空が夕闇におおわれてくる。
本州で最も東に位置する三陸海岸の日没は早く、この時期、5時前には真っ暗になってしまう。
気仙沼・陸前小泉駅
気仙沼線の陸前小泉駅。線路はもちろん、駅も、そして、駅前にあったであろう建物も何も残されていない。
気仙沼線の再開の目処は全くたっておらず、未だ、鉄道として復旧させるかどうかというレベルでの議論が行われているそうだ。
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