丸2日間の船旅を経てようやくロシアの地に上陸。
ウラジオストクは、直線距離的にはソウルや台北と変わらないのだが、その景色は紛れもなくヨーロッパのそれ。
石畳の建物やロシア正教会の玉ねぎ頭が港を囲んでいる。さっそく異国の街を探索してみることにする。
ウラジオストク随一の眺望ポイントへ
ウラジオストク・鷹の巣展望台
ホテルにチェックインをしてから街歩きをしようと宿泊予定のホテルに向かったのだが、建物が見つからない。Google Mapを見る限り、正しい位置にいると思うのだが、目の前の建物は明らかにホテルではない(病院??)。
かなり迷って、ようやくたどり着いたのだが、目的のホテルは通りに面していない、ブロックの内側に位置していた。(ルネサンスホテルは大きな道に面していないぞ。ブロックの内側にあるよ!)
やっとの思いでチェックインを終え、ウラジオストク観光の定番中の定番、鷹の巣展望台に向かう。
ウラジオストクの街は、深く入り込んだ入り江である金角湾を囲むような場所に位置している。
平地がなく山から一気に海に沈む地形となっているので、長崎のような坂の港町となっている。港の北側の坂を登り切った丘の上にあるのが鷹の巣展望台。金角湾とウラジオストクの街を一望することができる。
金角湾を跨ぐ大きな橋は金角湾大橋で、その先に朝フェリーで潜ったルースキー大橋がある。
夜景がきれいと評判だが、夕暮れ時の景色も悪くない。
ウラジオストク・ケーブルカー
鷹の巣展望台のある高台から麓までケーブルカーが敷設されている。
高低差は約70メートルの短めのケーブルカーで、乗車時間はわずか2分ほど。料金は15ルーブル(約30円)と格安。
ケーブルカーに限らずウラジオストクは公共交通機関の料金が安い。バスは一律23ルーブル(約40円)、市電は16ルーブルと、タダみたいな料金なので気楽に乗りまくることができる。ただし、ICカード的なものはないので、やたらたくさん小銭が必要となるのが難点。
C-56潜水艦博物館
ウラジオストク・C-56潜水艦
ケーブルカーを降り、さらに階段を下って海沿いの道を歩いていると、公園に鎮座する潜水艦の姿が見えてくる。
第二次大戦中に活躍したC-56という潜水艦で、現在は内部が博物館に改装されている。
入場料を払い中に入ると、しばらくは展示物が陳列されている。説明がいろいろ書かれているのだが、ロシア語なので全くわからない。
おそらくエンジンなどの機関があったあたりが展示部屋になっており、それより前方の居住区の部分はかつての潜水艦の内部が保存されていて、往時の姿をとどめている。
思ったよりは広い空間で、艦長なんかはりっぱな個室が割り当てられている。とわいえ、深海の底で息をひそめて航行していたことを想像すると想像を絶する劣悪な環境だったのだろうね。
ウラジオストク・バブマシャ
潜水艦見物を終え、繁華街をぶらぶらと歩いたところで日も沈んできたので晩御飯タイム。
ホテルの近くの「ロシア料理」を看板に掲げた店・パブマシャに入ってみる。メニューはロシア語なのだが、インターネット上に英語版のメニューがあるということで、スマホでメニューを開き注文するのだが、そのメニューは古すぎて今では売っていないという謎の答えが返ってくる。
となると、おすすめを聞いて適当に注文するしかないのだが、出てきたものはビーフストロガノフとロシア風の餃子・ブリヌイが出てきた。
どちらもおいしかったのだが、ブリヌイはもう一味ほしくて、「味ぽん」をかけたらパーフェクトになるぞという味付け。ミツカンさんには、ぜひロシアでの味ぽんの販促に取り組んでいただきたく。
鷹ノ巣展望台からのウラジオストクの街を見下ろす
ウラジオストク市街地見学
(右上)要塞(よくわからんけど)
(左下)要塞の上に登ることができる
(右下)戦車が無造作に放置されている ウラジオストク駅の駅舎 (左上)内部の天井には天井画が描かれている
(左下)どこへ向かう列車だろうか?
(右)シベリア鉄道の終点・9288キロ標
ウラジオストク・要塞博物館
翌朝。あいにくの天気で雨がぱらついている。夕方にかけて雨脚が強まっていくらしい。ということで、雨が降り出す前に見たいところを見ておこうと街歩きを再開することにした。
まずはウラジオストクの西側の海辺に向かう。海辺の公園には屋台が並び、水族館や映画館などのエンターテインメントも充実している。この辺りはウラジオストクのレジャースポットとなっているようである。
その中に「要塞博物館」という魅力的なワードを見つけたので、行ってみることにした。
地図では場所が分かりにくいのだが、水族館の裏手の長い階段を上り切った丘の上に要塞博物館の入り口がある。
もともとの要塞を改築したのか移築したのか復元したのかよくわからないのだが、20世紀初頭まで使われていた要塞を復元し、博物館としてオープン場所なのだそうな。
魚雷とか砲台とかが放置されている(いや、多分展示されている)魅力だが、要塞の屋上に登れてしまうというのがおもしろい。日本だったら柵と手すりが作られ、なおかつバリアフリーのためのスロープができそうなものだが、ロシアの博物館にそんなものはなく、ただ単に屋根に繋がる階段があるのみ。なかなかワイルドでよい。
ウラジオストク・ウラジオストク駅
ウラジオストクは、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の先端からさらに突き出した小さな半島を囲むような場所にある。小さな半島はとても細く、幅は1キロもない。その小さな半島を横断し、ウラジオストクの港まで歩いていく。
このエリアでひと際目立つ建物がウラジオストク駅。モスクワから続く世界最大9000キロを超えるシベリア鉄道終点の駅である。
ウラジオストクからモスクワに向かうロシア号は隔日で運行されていて、モスクワまでは6泊7日の旅路となる。
駅舎は100年前の建物が今でも使われており、とても風格がある。入り口で荷物検査があるものの出入りは自由で、ホームに降りれば9288kmと書かれたシベリア鉄道終点のキロ標を見ることができる。
余談だが、おいらは戦前、飛行機網が発達していなかった頃の時刻表を再現した仮想乗り換え案内サイト・欧亜大陸鉄道を作成している。
この頃の路線網の中でもウラジオストクはユーラシア大陸の西の果てとしてとても重要な駅。一度この目で見てみたかったのだが、その夢がかなった。
ちなみに1938年のソ連の時刻表を見てみると、ウラジオストクからモスクワまでは9泊10日間となっている。蒸気機関車の時代から3日間早くなったのだが、3日も速くなったと考えるか、3日しか速くなっていないと考えるべきなのかよくわからない。
郊外の路面電車に乗りに行く
ウラジオストク・ボルチブナヤ
ウラジオストクにはかつて何路線かの路面電車網があったらしいのだが、現在は1路線のみが金角湾の奥に残っている。路面電車と聞いたら乗らないわけにはいかないので、バスに乗り郊外へ出かける。
バスを降りたらすぐ隣に線路を見つけたのだが、電停がどこにあるのかさっぱりわからない。線路に沿って歩いていき、いかにも電車を待ってます風の人が3人ほど待っている場所を見つけたので、そこで電車を待つことにする。
そこにやってきたのはなんとも年季の入った緑色の路面電車。料金は均一料金で後払いなのでとりあえず見様見真似で乗り込んでみる。
乗る前からなんとなく想像がついたのだが、路盤にも年季が入っていて車内は相当揺れる。日本でいえば小湊鉄道の15倍ぐらい揺れる。夕方近くなり、いよいよ雨が本降りになってきたのだが、どういうわけか僕が座った席の窓はきちんと閉めることができず、微妙に雨が降りこんでくる。
乗車してしばらくすると、齢90にはなろうかという腰の曲がったおばあちゃんがのっそりと前方から歩いてきた。危ないから座ればよいのにと思ったのだが、なんと乗客から料金を徴収し始めた。おばあちゃんは車掌さんだったようだ。
` よろよろはしているがテキパキと乗ってきた乗客から料金を回収している。既に料金回収済みの乗客は覚えているらしく、ちゃんと乗ってきた人だけをターゲットとしてロックオンする。ばあちゃん、まだまだバリバリの現役である。
終点まで乗った後、折り返しのループ線を見学し、戻っていくことにした。
しばらくすると、突然電車が動かなくなった。前を見ると電車が何台か止まっており、どうやら何両か前の車両が壊れてしまっているらしい。しばらく待っているうちに、後ろにも電車が溜まってきた。
10分ほど後、運転手と車掌がこの電車を降りて前の車両に乗れと伝えてきた。詳細はわからないのだが、詰まっていた車両を間引くため、乗客をいくつかの車両に集めているらしい。故障が治ったのか先頭から順に電車が動き始め、回送電車は車庫へ向かい、人が乗っている車両は運転再開するようだ。
なお、その後、反対側の終点まで向かって、折り返しの電車に乗ろうとしたのだが、そこでもトラブルが発生した。乗ろうとした電車の扉が閉まらなくなり、回送車両となって去って行ってしまったのだ。
ウラジオストクの市電、年代物だけに、なかなか故障が多いようだ。
ウラジオストク・キタイスキー市場
市電の乗り潰しが完了したところで、市電沿線の巨大市場・キタイスキー市場に足を延ばしてみることにした。
キタイスキー市場というのは通称らしく、いくつかのショッピングモールが集まった巨大マーケットというのが実態らしい。入り口近くの大きな建物や外で整然と並ぶ店で売られているのは、基本、服。
おそらくはバッタものなどを含む怪しげな服が数えきれないほどの店で売られている。
奥に進むと食料品の市場などもあるのだが、大量に積み上げられた服や靴がなによりも印象的。ウラジオストクそんなに大きな街に見えないし、人通りも多いわけではないのだが、なぜこんなに大量の服が売られているのかものすごく不思議である。
ゆっくり見て回りたいところだが、雨がますますひどくなってきたので、早々に退散することにした。
街に帰るバスにのっていたら、イースタンドリーム号に乗っていた日本人の乗客に再会した。その方は帰りもフェリーで帰国するらしいのだが、日本海には台風10号が近づいており、ウラジオストクから東海までは予定通り明日出港するものの東海で一日台風をやり過ごす予定なのだという。一日東海で過ごすのも大変だが、その翌日も台風が去った直後で、海はかなりの揺れが予想される。彼女が無事に日本に帰ることができたのかが気になる。
ウラジオストク市電終点のループ線
最終日の朝の悲劇
ウラジオストク・ルネサンスホテル
翌日はウラジオストク旅行の最終日。この日は朝から空港に移動し、日本に帰宅するだけの予定だったのだが、大トラブルが発生してしまった。
ウラジオストクは日本よりも西にあるのだが、なぜか時間は1時間進んでいる。2014年にロシアがサマータイムを廃止した際、時間を標準時に戻さずサマータイムのまま固定したためらしい。
そのことは知っていたのだが、この3日間、おいらはずっと日本時間で過ごしてしまっていた。通常、海外に行くとスマホの時計はその国のタイムゾーンが反映されて自動的に時計が調整されるのだが、どういうわけかウラジオストクの携帯の電波にはタイムゾーン情報が含まれていないらしく、時間が修正されなかったのだ。
夏場ということもあり、1時間のずれに気がつかずに3日間過ごし、いよいよ最終日にそのしわ寄せがやってきてしまったのだ。
朝、空港に行くためのアエロ・エクスプレスに乗るためには9時にウラジオストク駅に行かなかったのだが、気が付いた時にはとっくに9時を回っていた。
あわててタクシーで空港に向かったので事なきを得たのだが、危うく飛行機に乗り遅れるところだった。
ウラジオストクに着いた日にアエロ・エクスプレスのきっぷは購入していたのだが、これが紙くずとなってしまった...。
しかし、3日間も時計のずれに気が付かないものかね、おいら???
冷戦時代に生まれた身としては、なんて何があっても足を踏み入れることができない場所であった旧ソ連に、いとも簡単に上陸できたことは、実に感慨深かい。しかも当時はウラジオストクがロシア随一の軍事基地として町全体が閉鎖されていた。ロシア人ですら容易に入ることができなかった場所であったのである。
当時は、冷戦なんて永遠に続いて、終わることはないと思っていたものだが、あれから数十年で閉鎖都市ウラジオストクは、ヨーロッパの街並みを体感できる身近な観光地に変わっていた。
飛行機で移動すれば(普通は飛行機だと思うが...)、わずか2時間で到着する極東ロシアの街。来年からはANAもJALも直行便を就航させるらしいので、ますます気軽に行くことができるようになる。
日本から一番近いヨーロッパとして、ぜひお勧めしたい。
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