旧中山道と北国街道にそって上越と高崎を結ぶ国道18号線を辿る旅。
上越を出て、なんだかんだで2日が過ぎて3日目。軽井沢からゴールの高崎を目指す。
軽井沢・長倉
国道18号線は軽井沢の手前で、新旧2つの道路に別れる。南側が碓氷バイパスと呼ばれるかつての有料道路で、北側が古くからある道。
途中で、信越本線の跡地を利用した遊歩道・アプトの道に寄り道をしたいので、旧道の方を選択して、3日目のスタート。
しかし、さすがは軽井沢。朝だというのに早くも渋滞で、先に進めない。ちらっと観光でもしていこうかと思っていたのだが断念して先を急ぐ。
長野・群馬県境
長野から群馬に入った瞬間から碓氷峠が始まる。18号線の碓氷峠は、184のカーブがありカーブ1つ1つに番号が付いていて、看板が立てられている。
番号は麓から頂上に向かって振られているのでカウントダウンをしながら、峠を下ることになる。
だいたい30分かからずに、走り切ることができるので、10秒に1回はカーブを曲がるという、めんどくささで、運転しているだけでもなかなかしんどい。
碓氷峠の全カーブ
安中・旧熊ノ平駅
碓氷峠のカーブNo.84に、熊ノ平駐車場があり、そこから階段を登ると信越本線の廃線跡がある。この廃線跡は、アプトの道と名付けられた遊歩道として整備されていて、峠を下りきった約6キロ先の横川駅まで歩いていくことができる。
信越本線の廃線跡と言っても、1963年まで使用された旧線と新幹線が開通する1997年まで使われた新線がある。遊歩道になっているのは、旧線の方である。
ちなみに旧線は、その急斜度故、当時の蒸気機関車では登りきることができず、アプト式と呼ばれる特殊レールを使って登っていた。アプト式とは、のこぎりの歯のようなラックレールと呼ばれるレールを通常のレールの間に敷設し、そいつを機関車の下部に付けられた歯車状の車輪に噛まして登っていく鉄道のことである。(なお、大井川鉄道の井川線には、現在でもアプト式鉄道の区間がある)
で、熊ノ平駐車場の近くにある遊歩道の終点は、かつて熊ノ平駅という駅の跡地である。駅自体は、1966年に廃止となっているので、かろうじてホームの痕跡を見ることができる程度だが、線路や変電所は新線時代にも使われていたため、現役路線かと錯覚するほどきれいに残っている。
旧熊ノ平駅から横川方面には、新旧合わせて5本のトンネルが掘られているのだが、その内向かって右から2本目のトンネルがアプトの道。途中にある”めがね橋”として有名な碓氷第三橋梁まで歩いてみる。
安中・碓氷第三橋梁
旧熊ノ平駅から歩くこと20分ほど。5本のトンネルといくつかの橋を越えて、めがね橋へ到着。
道のりは一貫して下り坂で、延々と下り続けるのだが、大した角度の坂道ではなく、鉄道がどれだけ坂に弱いのかを改めて体感することができる。
トンネルはどれもレンガ造りで、最近のトンネルとは違って、職人が膨大な手作業の集積でトンネルが掘られたんだと実感する。
めがね橋の上に出ると、急に視界が開ける。線路の北側も南側も遠くの山までよく見えている。
そして、橋の下を覗き込むと、はるか下の方に国道18号線が見える。川底からの高さは31メートルとのこと。当然この橋もレンガ造りで、約200万個のレンガを積み上げて、この巨大な橋を完成させたのだそうな。スゲーわ。
ここから先もまだまだアプトの道は続くのだが、車を置いていくわけにはいかないので、引き返すことにする。行きは下った以上、帰れは当然上りで、地味な上り坂が、ずーっと最後まで続くことになる。
安中・碓氷第三橋梁
旧熊ノ平駅まで戻って、自動車で再度、碓氷第三橋梁に向かう。カーブNo.40にめがね橋駐車場があり、そこから数分で、めがね橋の真下まで歩いていくことができる。
めがね橋の造形全体を見るには、当然下から見た方がよく見える。とんでもない高さまで、よくレンガを積み上げたもんだと感動する。アーチの美しさは古代遺跡のような風格すら漂っていて、よくぞ、今まで残しておいてくれたもんだと先人に感謝したい。
安中・碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠を下り終え、少し先の横川駅の隣にあるのが、鉄道のテーマパーク碓氷峠鉄道文化むら。
横川-軽井沢間の信越本線が廃止になった際、不要となった車両基地の跡地に建てられている。
かつて、碓氷峠を登っていた電気機関車を始めとして、数多くの電気機関車が展示されているのが特徴。
最大の見所は、新幹線開通とともに廃止となった旧信越本線後を利用して運転されている、トロッコ列車・シェルパくんの乗車体験。
さっき通ったアプトの道は、横川駅まで続いているのだが、トロッコ列車はその横をゆっくりと走り抜けていく。途中、信越本線の碓氷峠区間が電化された時に建てられた、レンガ造りの丸山変電所跡前の”まるやま駅”で、5分ほど停車する。丸山変電所は、明治期の産業遺産として国の重要文化財に指定されているのだそうな。
トロッコ列車は、最終的には2.6キロ先の”とうげのゆ駅”に到着する。”とうげのゆ駅”は、その名の通り、駅の目の前に温泉施設・峠の湯があるのだが、2年前に火災が発生し営業停止中といことで、駅についてもやることは何もなく、そのまま折り返すことになる。
他にも、SLあぷとくんや鉄道展示館など様々な展示施設があるのだが。個人的に気に入ったのが、碓氷峠や電気機関車とは何にも関係ないのだが、手こぎトロッコの体験。100メートルほどの線路の上を、小さな恋のメロディのようなトロッコに乗って往復できるのだ。トロッコに乗ってみてわかってのだが、これは体力的に結構しんどい。多分、相当頑張っても平らな線路を1キロ進むのがやっと。とてもじゃないけど、これで逃げ出すことは出来まへん。
安中・横川駅
機関車を眺めた後は、遅い昼食を食べるため隣の横川駅へ。メニューはもちろん、横川駅名物・峠の釜飯。
横川駅の入り口のすぐ横で販売しており、買ってみたらなんとまだご飯がホカホカ。つくりたてなので、そりゃ美味しいですわ。
行き止まりとなってしまった横川駅の線路を眺めながら食べたのだが、碓氷峠を登る列車の中で食べたらもっと美味しかったんだろうね。
富岡・富岡製糸場
横川まで到達したら、ゴールの高崎はすぐそこなのだが、ちょっと南側に寄り道して、明治期の日本における産業革命を支えた富岡製糸場を見学する。
入場門の前は人だかりができていて、入場券を買うのに15分ぐらい並ぶほどの大盛況。
なんとか入場券を手に入れ、閉店間近の施設の見学を始める。
単に施設を保存しているだけでなく、博物館的になかなかよく整備されており、木枠でレンガを支えるという面白い建物の作りに驚き、生きた蚕を展示して生糸の精製方法をリアルに学ぶことが出来た。
特筆すべきなのは、博物館によくある音声ガイドがインターネット上に公開されていて、スマホさえあれば機械を借りなくても解説を聞けるということ。これは、全国の美術館や博物館に取り入れてほしいアイデア。実に素晴らしい。
解説によれば、富岡製糸場開業当初、なかなか働く工女が集まらなかったらしい。理由は、技師として招かれたフランス人に「生き血を吸われる」という噂が流れたからなんだそうな。笑い話にしかならない話だが、今持って風評被害にすぐに踊らされる国民性からすれば、さもありなんという気がする。
結局、初代工場長が14歳の娘を工女として差し出すことで、やっと人員が集まるようになったとのこと。ともすれば、神話のような話だよね。
富岡製糸場、お世辞じゃなく展示物が良く出来ていて、楽しめたんだけど、これが世界遺産ってのは疑問がある。
たかだか出来て100年ばかりの建物が、ローマの遺跡群や姫路城と横並びに列せられるってのは、あまりにも世界遺産の価値を下げているんじゃないだろうか。古ければ偉いとは思わないが、おいらには、富岡製糸場が世界挙げて保護するような設備にはとうてい思えないんだけどなぁ。
高崎・君が代橋東交差点
富岡製糸場から18号線に戻ったらあとは東に10キロほど進めばゴール。
烏川に架かる君が代橋ってのを渡ったら17号線とぶつかってそこが国道18号線の起点。なんだけど、立体インターチェンジで、車もろくに止められないような場所。写真も撮れやしない。
わりとありがちではあるけども、あっさり18号線の旅、終幕。
3日もかけて走った割に、何故か書くことが少ない18号線なんだが、どうも行く先々で渋滞にあって時間を取られたことが原因。
それだけ観光地の多い魅力的な国道ってことかもしれない。
ただ、最大の観光地軽井沢をすっ飛ばしちゃったのが心残りなんだけどね。
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