2015-01-16

日韓共同きっぷで板門店訪問 (#3 完結編)

 板門店ツアーを終えた韓国滞在2日目。帰国は翌日だが、明日はほぼ丸一日移動なので、実質今日が最終日。
 再び、ソウル市内の観光を始める。

全州中央会館の石焼ビビンバ Nソウルタワーのある南山に上るケーブルカー
ソウル・全州中央会館

 板門店ツアーの解散場所・ロッテホテルから南に向かい、明洞を歩いていく。
 ソウルで見ておきたいのが、NANTAという劇場エンタテイメント。日本でも公演が行われていて、結構面白いらしい。
 明洞のNANTA専用劇場で当日分のチケットを入手したが、開園までまだ時間がある。
 まずは、ちょっと早いが晩御飯にありつくとする。
 足を伸ばしたのは、明洞のビルの谷間に埋もれるようにひっそりと店を構える全州中央会館。なんでも、石焼ビビンバの元祖がこの店らしい。
 石焼ビビンバが日本で市民権を得ている故か、客は日本人ばかり。で、みんな石焼ビビンバを食べている。
 味としては、さすが"元祖"というか石焼ビビンバの祖先のような素朴な味。コチジャンは入っておらず、混ぜたキムチで辛さを引き出すスタイルのよう。
 本場の味ということかもしれないが、日本人の舌を基準にしてしまうと、なにか一工夫足りないような気がしなくもない。

ソウル・南大門

 満腹になったところで、次は高いところに登ろうと、ソウルの町並みを一望できるNソウルタワーに向かう。
 Nソウルタワーは、ソウルの中心部にある南山(ナムサン)の上にあり、そこまではケーブルカーで登る。Cable carと言うが、その姿は日本でいうところのロープウェイである。
(ちなみに、Cable carというのは、英語圏ではサンフランシスコにあるような、ケーブルを掴んで走行する鉄道システム、あるいは、ロープウェイやケーブルカーを含めたケーブルベースの乗り物の総称を言う。日本で言うところのケーブルカーは、Cable railwayあるいは、Funicular(特につるべ式のケーブルカーのこと。つまり、日本のほぼ全てのケーブルカー)と言うらしい。)
 で、ケーブルカー乗り場に行ってみたのだが、"1時間待ち"の長蛇の列。結局、ソウルタワーの足元にもたどり着けずに、あえなく撤退。
 ケーブルカー乗り場まで結構遠かったのだが、まあ、仕方がない。

開演前のNANTA劇場
ソウル・明洞NANTA劇場

 全くの無駄足を踏んで、NANTA劇場に戻ってくる。
NANTAはソウルで人気のあるミュージカル。ざっくり言ってしまえばレストランの厨房を舞台としたコントである。
 登場人物はわずか5人しかいないのだが、厨房の道具を楽器にして演奏を行ったり、踊ったり、歌ったり内容は盛りだくさんで、とにかく笑える。
 何がすごいって、おいらは韓国語は全く分からないのだが、全く問題ない。
 言葉に頼らず一舞台をやりきるというのは、かなりすごいことだと思う。世界各地で公演を行っているらしいが、これならローカライズなしでどこの国でも通用する。
 日本へもちょくちょく遠征しているみたいなので、日本に来た際は是非どうぞ。

興仁之門(通称・南大門)
ソウル・興仁之門

 NANTAを見終わって2日目終了。
 3日目は朝から帰国の途に着くわけだが、ソウル駅に行く前に東大門(トンデムン)こと、興仁之門(フンインジムン)に寄ってみた。
 李氏朝鮮時代、首都・漢陽府(ソウル)を囲んでいた4つの門のうちの一つ。もともとは14世紀の建造物だが、現存しているのは19世紀に建てられたものらしい。
 巨大な城壁都市を守り、またその入口にふさわしい立派な門構えである。
 ところで、この興仁之門は、大韓民国指定宝物第1号ということで、さぞかし重要な歴史的建造物なのだろうと思っていたのだが、あとで調べてみると"指定宝物"というのは、日本で言うところの"重要文化財"の位置付けで、それよりも上位に"国宝"というものがあるらしい。
 ちなみに、南大門とも呼ばれる崇礼門が国宝第1号で、こちらの方が格が高いそうな。(ただし、2008年に放火され、現在建っているのは2013年に復元されたもの)

(左)ソウル駅
(右上)ソウル 9:45発 KTX1号 釜山行 → 釜山 12:02着
(右下)ソウルではあんぱんが流行っているらしい 車窓はすっかり雪景色 (左)釜山駅に到着
(右上)ロッテリアのダブルプルコギバーガー
(右下)釜山の地下鉄のきっぷ
ソウル・ソウル駅

 そんなわけで、2泊3日のソウル観光も終了。いざ、日本へ。
 帰りも釜山まではKTXで移動する。乗車するのは、栄光の(?)KTX1号。ソウルから釜山までノンストップなので、行きよりも約30分早い2時間17分で釜山に到着する。
 ソウル駅港内でおいしそうなあんぱんがあったので、おやつに購入。
 ソウルの街中でもあちこちであんぱん屋さんを見かけたので、多分ブームなのではないかと思う。味は日本のそれとほぼ同じ。つぶ餡の粒がやや粗いのが気になったが、まあ、それは好みの問題のような気がする。

釜山・釜山駅

 釜山駅構内のロッテリアで昼食・プルコギダブルバーガーを食べ、釜山港へ移動。
 帰りは釜山港から高速水中翼船・ジョットフォイルに乗って、日本に帰国する。
 ジェットフォイルはボーイング社が開発した水中翼船(ボーイングの型式は929)で、船体の底にある翼が揚力を発生させることで、船体を浮かせて走るかっこいい乗り物。
 (ジェットフォイルに関しては、以前種子島に行ったときに詳しく記載している)
 水面を飛ぶように疾走するジェットフォイルに乗ることは結構楽しみにしていたのだが、本日の乗船には、一つ懸念事項がある。
 2014年の大晦日のこの日、日本海側は発達した低気圧による大荒れの天気で、高波が予想されていた。
 ジェットフォイルを運行するJR九州高速船のホームページには、運行情報として、本日の便は”条件付運航”と記載されている。
 条件付運航とは、「天候の急変によって、欠航、または、出港しても引き返すことがある」ということらしい。
 まあ、欠航も引き返すのも致し方ないが、恐ろしいのは”揺れる”という事態。
 本来ジェットフォイルは波に強いのだが、波高が2.5メートル以上となるとさすがに揺れるらしい。おいらは船に弱いので、これはとてつもない恐怖である。

(左)釜山港 14:15発 Kobee 248便 → 博多港 17:10着
(右)安全要員の指定座席と名誉安全要員 行動指針書 ほうほうの体で博多港に着岸 大晦日の博多駅
釜山・釜山港

 釜山港国際フェリーターミナルで、チェックインを行う。
 窓口のお姉さんに「条件付運航であること」の念を押される。窓口には、”本日の波高は、2.5メートルを超える見込みで、揺れが予想される”との張り紙も貼ってある。
 今回乗船する248便は、JR九州高速船(ビートル)と共同運航する韓国の未来高速の船である。日本のビートルは川崎重工製だが、今回乗る船は元祖・ボーイング社製。(現在は、ボーイングはジェットフォイルを新造していないので、必然的に船齢は古い)
 恐る恐る船に乗り込むが、とりあえず釜山港内の波は穏やか。
 指定された座席に座るとおいらの席の座席カバーにだけ"安全要員"という緑色の文字が記載されている。前方のシートポケットにもおいらの席にだけ"名誉安全要員 行動指針書"と書かれた紙が置かれている。
 どうやら、この席に座る人間は、非常時には脱出の手助けをしなくてはならないらしい。うむ、わかった、俺に任せておけ! (真っ先に逃げたら叩かれるのだろうか...?)

釜山・釜山港

 出航の時刻となり、ジェットフォイルが動き出す。釜山の港を出るとそれなりの揺れはあるものの、なんとか耐えられるレベル。
 船内のアナウンスで「揺れが予想されるのでシートベルトを締めて、座席を立たないように」と、何度も念を押される。
 船酔いする前に寝てしまおうと、目を閉じていたのだが、小一時間ほどたったところで目が覚める。
 このときは出発時と同程度の揺れだったのだが、この後、ぼちぼち「条件付運航」の真の姿が現れ始める。

 出航から1時間ほど経った頃、船の揺れが徐々に大きくなってきた。
 船に酔ってきたので、到着まで持ちこたえようと座席でうつむいて、時が過ぎるのをじっと待つ。
 そんなとき、2階のおいらの座席の窓に到達するほどの大きな波しぶきに船が覆われる。その直後、”ドン”という音と共に、つんのめるような衝撃が走った。
 実際何が起こったのかは最後までわからなかったのだが、船が何かに衝突したかのような衝撃だった。
 その後船が停止したのだが、そこから船の揺れが半端ないものになり、エチケット袋を手に持って、いつでも発射オーライの体勢をとらざる得なくなった。
 おいらの席からは死角になってよく見えなかったのだが、倒れて動けなくなった乗客もいる模様。シートベルトをしていなかったために、座席から吹き飛ばされたのかも知れない。
 しばらくして、船は再び動き出したのだが、揺れは全く収まらない。
 そして、ついにダブルプルコギバーガーのカムバック...。おいら以外にも船内のあちらこちらからリバースの気配が...。
 そこから博多港まで1時間余り、重さを増したエチケット袋を手に脂汗をかきながら耐え偲んだ。
 せっかく拝命した名誉安全要員のお役目ですが、果たせそうにありません...。無念です...。

福岡・博多港

 結局、定刻より15分遅れて辛くも日本に生還。
 博多港は嵐の中であり、桟橋ですらそうとうに揺れている。なんとか揺れていないフェリーターミナルに辿りつき、入国ゲートを抜けて到着待合室のベンチに座り込む。

 2014年、前厄の最後の日、とんでもない地獄をみたものである。

 戦前、日本から中国、ロシア、果てはヨーロッパまで、鉄道の国際連絡運輸が行われていた。日本国内の主要駅で、ヨーロッパ各都市行きの切符が購入できたのだという。
 日韓共同きっぷは、そんな鉄道全盛期の華やかな空気の名残を感じさせてくれる貴重な切符である。
 今となっては、国際運輸なんて需要の有無以前に日本からヨーロッパまでの間に北朝鮮という国交の樹立できない国家が立ちはだかっており、物理的に運行不可能な状況である。
 そんな朝鮮半島の緊張の最前線である板門店も非常に稀有な空間で、わざわざソウルまで足を運んだ甲斐のある体験だった。
 都羅山駅にも掲げられていたが、いつの日か、できればおいらが生きているうちに東アジアからヨーロッパまで鉄道が繋がる日が来ることを心から願いたい。

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