大阪市内の港近くに8ヶ所の渡船が運行している。
大型船の航路で低い橋をかけることができない場所に、市が無料で渡し船を運航しているのだ。
で、その全8航路を一気に制覇しようとする”大阪市営渡船八艘飛び”の後編。
天保山、甚兵衛、千歳、船町の4渡船を制覇しながら大阪市大正区を南下し続けたおいらは、区境の5航路目・木津川渡船に向かっていた。
残り4航路は全て木津川を渡る渡船。木津川の両岸を船で渡りながら、大正区の縁を北上し、8航路完全制覇を目指す。
五番・木津川渡船
人っ子一人いない工場群の中を早足で駆け抜けて、なんとか定刻前に渡船場にたどり着いたのだが、待合室に、人の気配はない。
対岸を見ると、そこはすでに工場地帯ですらなく、ただの埋立地の空き地。航路に並行して、やはり橋桁のやたら高い橋があるのだが、その上を走る車もトラックばかり。
こんなところの渡船って、誰が利用するんだろう? と思っていたら、待合室にはこんな張り紙が貼ってあった。
往復でのご利用でも、遠慮なくご乗船ください
つまり、こういうことだ。
「どうせ、誰も利用しないので、港を眺める遊覧船替わりにでも、ご利用ください」っつーこと。
出航の時間になっても、やはり乗客はおいらのみ。
貸切状態で、船は対岸を目指して出航する。
ところで、大阪市のホームページによると、大阪市営渡船全8航路のうち、この木津川渡船のみが、他とは違って”大阪市港湾局”の管轄なのだそうな。(他7航路は、大阪市建設局の管轄)
役所名物縦割り行政で、なんか、他の航路との違いが見られるかと期待していたのだが、待合室や桟橋の様子、職員のOSAKA CITY STAFFジャンバーなどどれも同じ。
あえて、違いあげるとすると、他の船は青色の塗装がしてあったのだが、この路線だけはオレンジ色の塗装がしてある。
とはいえ、船の作りは他と全く同じで、船内は椅子のないフラットな空間(自転車で乗り降りしやすいようにかな?)となっている。ちょっと、拍子抜けですな。
”俺の船は、建設局のヤツらとは違うんだよ!”っつー、役人の縦割り行政魂を見せてもらいたかったのだが、残念。
木津川渡船の航路は長めの200メートル余りだが、それでも乗船時間が数分であることにかわりなく、すぐに対岸に到着。
対岸でもおいらみたいな暇そうなおっさんが一人乗り込んできただけで、やはり貸切状態でもとの桟橋に戻っていった。
さて、対岸についたのだが、そこはやはり空き地が広がる、埋立地。
大正区を出て、違う生活圏に入ってしまったせいか、近くには、次の千本松渡船に向かうのに都合のいいバス路線がない。
仕方が無いので、徒歩で1.5km進み、バスで1.5kmだけ進み、また徒歩で0.5km歩くという行程で、次の渡船場に向かう。
六番・千本松渡船
バスの時間が合わなかったこともあり、1時間以上かかって次の千本松渡船に到着。
待合室には子供連れの2家族が船を待っていた。
別に人類未踏の地から帰還したわけではないのだが、なんとなく、久しぶりに人を見た気がしてほっとする。
千本松渡船でも航路に並行して橋が渡っているが、ご多分にもれず、車がぐるぐる回らないと登れない高さを誇っている。
そんな橋を見上げながら、本日2度目の木津川渡りを敢行する。
七番・落合下渡船
千本松渡船から落合下渡船を結ぶ、1時間に1本しか走らないバスを、奇跡的なタイミングで捕まえることができたため、30分足らずで次の渡船場に到着。
上流に1キロほど進んで川幅が100メートル余りに縮まった木津川を3度渡る。
再び住宅地に近づき、乗客の数は10名弱に増えてきた。
八番・落合上渡船
落合下渡船から落合上渡船まではわずか700メートル。船からも隣の渡船場の桟橋を確認することができた。
なんだか雪もぱらついてきたので、最後の8番目の渡船に乗るべく、木津川沿いの細い道を急いで北上する。
10分ほど歩いて、ぼちぼち落合上渡船の入り口が見えそうだと思うのだが、それらしきものが見えない....、いや、あった!
うっかり見逃してもおかしくないぐらい細い路地の奥に、必要以上に遠慮がちに”落合上渡船場”の看板があった。電柱に半分隠れるという、昭和時代のアニメを思い出させるような淑女のお淑やかさが、何故看板に必要なのかはよくわからないが、路地の奥へ進むこと数分で、無事、渡船場にたどり着いた。
いよいよ最後の渡り船だが、まあ、景色や勝手はいつもと同じ。ぼちぼち夕方の通勤・通学ラッシュなのか、乗客の数は10名を超えている。
ところで、渡船場の先に大きな水門が見えていた。
アーチ型の鉄骨がどうやって水門になるんだろうと思い、渡船の職員に聞いてみたところ、アーチ部分が向こう側に倒れて、高潮を受け止めるのだそうな。あんな巨大なものが、動くのかと思うと、水門が動く姿をちょっと見てみたくなった。
さて、例のごとくあっという間に船旅は終わり、大阪市営渡船八艘飛びも終了。
なんだかんだで、よく歩いた旅でした。
(右上)川底にトンネルが沈んでいる
(右下)かつては自動車もエレベターで地下へ運んでいた (左上)地下へ潜る階段 結構深い
(右上)地下通路
(下)エレベター前では、左右を開けて整列乗車
安治川トンネル
大阪市営渡船八番勝負は、おいらの圧勝のうちに幕を閉じたのだが、もう一つ寄っておきたいポイントがある。
最初の渡船・天保山渡船の上流に安治川トンネルと言う海底ならぬ川底トンネルがある。
トンネルがある場所にもかつては、渡船が運行されていたのだが、戦前に渡船の代わりにトンネルが作られたのだ。
このトンネルは、自動車と歩行者の共用トンネルなのだが、珍しいのは、自動車が川底のトンネルに降りるために、エレベターに乗り込まなくてはならない構造になっているところ。
さすがに現在では自動車の利用は停止されているのだが、歩行者用としては今でも現役で、近くに橋がないこともあって、かなりの数の利用者がいる。
西九条の駅のすぐ近くに川底トンネルの入口があるのだが、戦前にできたというだけあって、なかなか風格のある建物となっていて、自動車用のエレベターの上には、”道隧川治安”(右から左に読む)という年季の入った看板が掲げられていた。
歩行者用のエレベーターの前には、十人前後の歩行者が次のエレベーターを待っている。
せっかくなので、おいらはエレベーターを使わず、階段でトンネルへと下ってみる。
地下3階分か4階分ぐらいはありそうな、結構な高さを降りると、対岸へ抜ける横穴が現れる。比較的最近改装したのか、中は意外と明るい。
かつて、同じようにエレベーターで地下に降りる関門トンネルの人道トンネルを通ったことがあるが、それよりはかなり道幅は狭い。
1分もかからず対岸のエレベーターにたどり着き、「上りはしんどいなぁ」ってことで、今度はエレベーターで地上に向かう。
両側の壁に沿ってエレベーターを待つのがここの流儀らしく、ぼぉーっとエレベーターの正面で待っていたら、警備員にこっぴどく怒られた。いや、知らなかったとはいえ、スマヌ...。
船場カリー
さて、大阪の港をさんざん散策しつくしたということで、ぼちぼち夕飯時。
帰る前に、近鉄難波駅の船場カリーで、カレーを食べることにした。
前から大阪に行く度にあちらこちらで看板を見かけて気になっていたのだが、イカ墨入りの黒いカレーが名物の店なのだそうな。
イカ墨がカレーのコクとなって、なかなか味わい深い。ちょっと甘めなのがおいら的にはイマイチだが、大阪名物としてもうちょっとメジャーになってもいい存在だと思うのだが、どうだろう?
ま、そんなわけで、ぼちぼち大阪をあとにして、名古屋に帰るとしましょうかね。
あ、その前に、お土産に551の肉まんを買わないと!
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