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2015/01/15

日韓共同きっぷで板門店訪問(#2 板門店編)

 ソウルの北約80キロ、南北朝鮮の軍事境界線上にある板門店。朝鮮戦争の休戦後、南北朝鮮の唯一の窓口として開設されれ両軍によって共同警備される、軍事上極めて特殊なエリアである。
 太平洋戦争終結後、日本の統治下から独立した朝鮮は、北緯38度線を境に北はソ連、南はアメリカの統治下に入った。
 その後、1948年に北朝鮮と韓国が成立、その2年後、北朝鮮による奇襲によって、朝鮮戦争が開戦した。
 緒戦は、軍備に勝る北朝鮮が戦況を優位に進め、韓国、アメリカを中心とした国連軍を釜山付近まで追い詰め、朝鮮半島統一を目前とすることに成功した。
 だが、その後、ソウル北方の仁川上陸作戦を契機に、国連軍が反攻に出ると形成は逆転し、1ヶ月で北朝鮮軍を中国国境周辺まで追い詰めることとなる。
 この事態に中国は義勇兵による中国人民志願軍を派兵、北朝鮮は再び反攻に転じることになる。
 その後、戦局は38度線付近で膠着。戦争の激化、長期化を恐れた米ソの思惑もあり、1953年7月、国連軍(韓国軍ではない)と北朝鮮は板門店にて休戦協定を結ぶ。
 この休戦協定で決定されたのが、現在も残る南北朝鮮の軍事境界線である。

 朝鮮半島を横断するように惹かれた250キロの軍事境界線。その南北2キロずつに、非武装中立地帯(DMZ)が設定されている。
 DMZは地雷原となっており、その中心部には軍事境界線を示す看板が数キロおきに設置されている。(看板の韓国側にはハングルと英語、北朝鮮側はハングルと中国語で、ここが軍事境界線である旨が記されている)
 また、軍事境界線の南側の韓国領内には、DMZに沿って民間人統制区域が設定され、有刺鉄線によって示された境界から内側には民間人が入れないようになっている。
 軍事境界線によって、双方の接触が遮断された南北朝鮮だが、板門店は唯一の双方の対話可能な例外的なエリアと位置づけられた。
 板門店は、国際的にはJoint Security Area(共同警備区域)と呼ばれている。エリア内は、南北の境界線上に向き合うように北朝鮮軍と国連軍が配され、両軍によって警備が行われている。
 中心部の南北境界線の真上には、軍事停戦委員会の会議場、朝鮮戦争において中立を宣言したスイス、スウェーデンによる中立国停戦監視委員会の会議場などが置かれている。

 DMZや板門店は、現在は南北双方から観光ツアーが可能な場所になっている。
 国連から指定された一部の国以外の国民であれば、パスポートさえ提示すればツアーに参加できる。
 ソウルの旅の2日目は、板門店とその周辺のDMZの見学ツアーに参加する。
 なお、この民間人統制区域内は原則撮影禁止のため、写真が少なくて、わかりにくい記事になっているがご理解願いたい。

2台のバスに分乗して板門店ツアーに出発
ソウル・ロッテホテル

 韓国側では、板門店ツアーを行っている旅行会社は4社あり、そのうちいずれかを経由してのみ板門店を訪れることができる。今回、そのうちの1社・板門店トラベルセンターの主催するツアーに参加した。
 早朝ロッテホテルの6階のツアーカウンターに集合すると、ソウル内の他の観光地ではあまり見ない数の西洋人の観光客が受付を行っていた。どうやら、このツアー西洋人に結構人気があるらしい。
 受付を済ますと一旦解散となり、指定時間にホテル裏手のバス乗り場に再集合する。
 ツアーはバス2台で開催されるようなので、参加者は約100名ほどとなるだろうか?
 1台のバスは英語圏の観光客が占有。2台目のバスは英語圏と日本語の観光客と相乗りとなる。おいらが乗った日英相乗りバスには、日本、英語双方のガイドが同行し、交互に説明を行うスタイルとなった。
 ツアーには、脱北者の方が同行し、脱北者の方の話を聞くことができる。
 我々のツアーに同行してくれたのは、中年の女性。北朝鮮とその体制を盲目的に支持する旦那を見切り、親戚を頼って、娘と脱北してきたそうである。
 現在、北朝鮮では、お金さえ払えれば比較的安全に脱北を行なうことができるようになっているらしい。中国国境に近い場所では、中国の携帯電波が届き、それを利用してブローカーが中国への脱北を斡旋しているのだそうな。
 ちなみに、北朝鮮では現在でもインターネットが自由に利用できる環境はなく、韓国を始めとする世界の情勢を気軽に知ることはできない。それでも、脱北者などのネットワークを通して、庶民でもなんとなくは南の情報は掴んでいるらしい。
 北朝鮮が置かれている世界的な微妙な立場とそれから予測できる末路をなんとなく理解している人々と、金正恩体制を盲目的に支持している人々、いろいろ理解した上で北朝鮮の中でうまく立ち回って栄華を極めている人が混在しているのが現在の北朝鮮なのだと言う。
 聞けば聞くほど、戦争末期のわが国を彷彿とさせるものがあり、一歩間違えば北朝鮮のような袋小路に入りかねない我が国の国民性を案じざるを得なくなる。

国連軍に提出する誓約書
坡州・統一大橋

 脱北者への質疑応答をしている間に、バスは民間人統制区域の境界に近づいてくる。
 道路の左側にそって有刺鉄線が張り巡らされ、その向こう側の川・臨津江から先が民間人統制区域となっている。
 民間人統制区域に入るためには、臨津江に架かる”統一大橋”を渡る必要がある。橋の手前の検問所でバスが止まり、韓国軍の軍人がバスに乗り込んできて、パスポートのチェックを行う。
 ジーンズ(北朝鮮の敵国であるアメリカの象徴)、迷彩服などを着ていると、この検問所を突破できないのだそうな。
 パスポートのチェックが終わると、橋を渡って民間人統制区域に入る。ここから先は、地雷原や対戦車用の爆破装置などが常設されたエリアとなる。
 統一大橋から板門店までは10キロ弱あり、標高が高いのか徐々にあたりが雪景色になっていく。

坡州・キャンプ ボニファス

 統一大橋から数十分。国連軍の基地であるキャンプ・ボニファスに到着する。ここでまた、パスポートのチェックが行われる。
 朝鮮戦争で北朝鮮と戦ったのは、韓国軍ではなく韓国を含めた国連軍であり、休戦協定を結んだのも北朝鮮と国連である。よって、板門店を警備する南側の軍隊は国連軍(実際は、アメリカと韓国の共同軍で。韓国兵が7割以上を占めるらしい)ということになる。
 ツアー客は、国連軍のゲストという立場で板門店を訪れるので、国連軍のゲストと書かれた黄色い名札をぶら下げて板門店に向かうことになる。
 キャンプ・ボニファスから先は、観光バスから国連軍のバスに乗り換えて板門店に向かう。警備のため、1名の軍人が武器を携えてバスに同行する。
 国連軍のバスに乗る前に、講堂で板門店に関するブリーフィングが行われる。
 また、ここで国連軍に対して「訪問者(見学者)誓約書」という「死んでも責任は負えんよ」ということが記された誓約書に署名することで、ようやく板門店に向かうことができる。

板門店の中心 南北境界線付近 軍事停戦委員会本会議場内
板門店(共同警備区域)

 キャンプ・ボニファスから10分ほどで板門店に到着する。その間に緑色のゲートがあり、その先が非武装中立地帯ということになる。
 板門店では滞在時間が20分ほどと決められており、なおかつ2列になって列を乱さずに歩くことが義務付けられている。板門店に着いてから、出るまでの間は結構慌しい。
 国連軍のバスは、韓国側の建物"自由の家"の前に止まり、ツアー客は"自由の家"の玄関に入っていく。建物内の階段を登って、反対側の出口から出ると、目の前に板門店の中心施設・軍事停戦委員会本会議場やその向こうに北朝鮮の建物"板門閣"が現れる。
 地面に数十センチの白いコンクリートブロックのようなものが置かれているが、これが南北の境界線を現す。(厳密には、板門店、すなわち共同警備区域内は、軍事境界線が引かれていないので、あくまでも両軍の警備担当区域の境界であり、両国の境界ではない。そもそも、軍事境界線も停戦協定で暫定的に引かれた線であって"国境"ではない)
 北朝鮮側の兵士は板門閣の前に一人いるだけだが、建物内などに兵士は配備されているはずなので、カメラなどで常時監視されているのだそうな。

 境界線上にいくつかの建物が建てられているが、その中の一つ、軍事停戦委員会本会議場の内部を見学することができる。
 国連軍の兵士に導かれて建物に入る。中央の机の上に国連の旗が置かれているが、この旗が南北の境界線を示している。
 建物の中は自由に歩く事ができ、北朝鮮側にも入ることができる。ただし、北朝鮮側へ抜ける扉の前は国連軍兵士がしっかりガードを固めていて亡命を防いでいる。
 この板門店のツアーは基本撮影禁止で、カメラを使える場所は限られているのだが、この中は撮影自由で軍人にカメラを向けてもいいらしい。(ただし、軍人は微動だにしない)
 また、窓の外も北朝鮮側は撮影可能とのこと。(韓国側はNG)
 部屋の中に滞在できる時間は10分ほどで、すぐに追い出されて、慌しくバスに戻ることになる。

映画JSAの舞台ともなった”帰らずの橋”
橋の向こうは北朝鮮領 キャンプ・ボニファスのお土産屋さんで買った北朝鮮のお札
板門店(共同警備区域)

 バスに戻り、今度はバスの車内から板門店の他の施設などを見学する。
 最初に訪れるのが、ポプラの木の跡。1976年、この木の伐採を巡って、南北の銃撃戦があり、2名のアメリカ兵が殺害された"ポプラの木事件"の舞台である。この事件の前までは、板門店は文字通りの"共同警備区域"として、南北両軍が混在して警備を行っていたのだが、以後、現在のように境界線を引いて警備を行うようになった。
 ちなみに、キャンプ・ボニファスの"ボニファス"は、この時殺害されたボニファス大尉の名に由来する。
 次に、"帰らずの橋"を見る。朝鮮戦争後、南北両軍はこの橋で捕虜の交換を行った。捕虜たちはここで南北どちらの国民となるか選択する自由が与えられた。ただし、一度橋を渡ってしまえばその後、戻ることはできないため"帰らずの橋"と呼ばれるようになった。
 ここが板門店の最果ての地で、バスはキャンプ・ボニファスへ引き返すわけだが、途中の道で南北両国の村を見ることができる。
 非武装中立地帯内は、本来両国とも居住することができないエリアとなっている。しかしながら、例外的に、板門店近くに南北1ヶ所づつ村が設けられた。
 北側は"平和の村"、南側には"自由の村"とよばれる村があり、共に巨大な国旗掲揚塔が設置され、巨大な国旗がたなびいている。特に北側の国旗掲揚塔は160メートルもの高さがあり、世界一の高さの国旗掲揚塔として知られている。
 なお、北側の"自由の村"は、実際には人は住んでおらず、実態は軍事用の拠点であると言われている。

坡州・キャンプ ボニファス

 キャンプ・ボニファスに戻り、再び元の観光バスに乗り換える。
 出発までのしばらくの間、キャンプ・ボニファスのおみやげ物屋で買い物をすることができる。
 そこで、"大変珍しい北朝鮮のお金"とやらを思わず約5,000円で買ってしまったのだが、あとでヤフオクを見たら、同じようなものが2,000円程度で取引されていた...。

川にかかる左側の橋が自由の橋
かつては複線分の2本の鉄道橋が架橋されており、右側はその橋脚跡 朝鮮戦争時に放棄された蒸気機関車 お昼御飯はプルコギ
坡州・臨津閣国民観光地

 板門店、非武装中立地帯、さらに民間人統制区域を後にして、自由の橋に向かう。
 臨津江という川にかかる鉄道橋が自由の橋である。もともと鉄道橋として建設されたのだが、その後道路に転用された。朝鮮戦争後、北朝鮮にとらわれていた捕虜が「自由万歳」と叫びながら渡ったことがその名の由来とのこと。
 現在は再度、南北朝鮮を結ぶ鉄道橋として架け替えられている。
 周辺は公園となっており、朝鮮戦争時に廃棄されボロボロになって蒸気機関車が展示されている。
 自由の橋の見学の跡は、昼食タイムで。近くのレストランでプルコギを食べる。ガイドさんがやたら「量が少ない」を強調していたが、普通の一人前で全く問題なし。
 プルコギは、要するに韓国風のすき焼きなのだが、日本のそれほど"くどく"なく、ご飯が進む。うまい!

(左上)都羅山駅外観
(右上)都羅山駅標識
(左下)稼働していないイミグレーション設備
(右下)ホームの北朝鮮寄りは韓国兵によって警備されている ソウルから大西洋までつながる大陸横断路線図
坡州・都羅山駅

 昼食を終えると、再び、統一大橋を渡って民間人統制区域に戻って、域内の見学ツアーに出発。
 最初に訪れたのは都羅山駅。
 先ほど訪れた自由の橋の先にある駅で、ソウルから北朝鮮へ向かう京義線の韓国側の境界駅である。
 2007年に南北朝鮮の鉄道が再連結され、両国間で貨物列車が運行されるようになった。
 その際、将来的な旅客列車の直通に備えて、この駅に出入境するための設備が備えられた(双方は互いの国を国家として承認していないため、名目的には出入国ではない)。
 しかしながら、貨物列車の運行は1年弱で停止され、現在は、ソウルから1日1往復観光列車(DMZ-train)が運行されるだけの駅になっており、駅としてはほとんど機能していない。
 入場券を購入すると、ホームに入ることができるのだが、広い駅構内にはやはり3両編成の小さなDMZ-trainが停車しているだけで乗客はいない。ホームの北端は、韓国兵が一人、所在なさげに警備をしている。
 駅に掲げられた案内図には、韓国から北朝鮮を通って、ロシアのシベリア鉄道や中国の鉄道に繋がる路線図が描かれているが、近い将来、この駅から北朝鮮側に列車が運行されることはないと思われる。

坡州・都羅山展望台

 都羅山駅見学の後は、近くの山の上にある都羅山展望台に向かう。
 展望台からは北朝鮮の平和の村や、北朝鮮内に作られた韓国企業の工場団地である開城(ケソン)工業地区を眺めることができる。
 展望台には日本の観光地でもよくある有料の双眼鏡が並べられていて、北朝鮮の町を眺めることができる。
 双眼鏡を覗くと、北朝鮮の街の中にある金日成の巨大な銅像を見ることができるとガイドに聞いたのだが、いまいち見つけることができない。
 2個目のコインでなんとか台座らしきものを見つけるも、いまいち確信が持てない。
 で、ガイドさんがやってきて、「銅像の位置に双眼鏡を合わせましょうか?」とおっしゃてくれたので、合わせてもらうと、やはりさっきの台座が銅像らしい。
 が、まあ、よく考えたら、銅像がそんなに見たいのかと言えば、そうでもないのだが...。

(上)第3トンネル断面図 左側が北朝鮮
(右下)どうもこの国にもゆるキャラがいるらしい
(右下)第3トンネル見学施設の外観
坡州・第3トンネル

 次は、このツアー最後の見学場所、第3トンネル。第3トンネルとは、1978年に発見された北朝鮮が南侵を行うために秘密裏に採掘していたトンネルのことである。
 トンネルは1600メートルの長さがあり、北朝鮮側から軍事境界線を超えて韓国側まで延びている。最南端の位置はソウルから52キロの地点で、このトンネルを通して北朝鮮は時間あたり3万人の兵士を送り込むことができるのだそうな。
 現在はトンネルの奥は北朝鮮との境界付近で封鎖されているのだが、そこまで歩いていくことができる。
 トンネルの深さ73メートルで、そこまではトロッコ電車で降りることができるようになっている。はずなのだが、なぜかこのツアーでは徒歩でトンネルまで降りることになっている。
 73メートルといえば、ビル20階に近い高さである。その高さを坂道で下ってくのだが、この坂がむちゃくちゃ急。行きはひざが痛くなるし、帰りは息が上がる。
 10分近い時間をかけてトンネルまで降りると、大人は少しかがまないと先に進めない程度の高さのトンネルが北朝鮮に向かってまっすぐ伸びている。
 小さなトンネルとは言え、これだけの長さを掘り進んだのだから、北朝鮮の南侵の本気度が伺える。
 なお、第3トンネルの3という数字は、3番目に発見された南侵トンネルという意味。その後80年代に第4のトンネルが見つかっており。北朝鮮は少なくとも4方向から南に侵攻できる手はずを整えていたことが分かっている。

ソウル・ロッテホテル

 第3トンネルの見学を終えたら、ツアー終了。バスでソウルに戻り明洞のロッテホテル前で解散。
 第3トンネルからロッテホテルまで1時間弱。改めて、ソウルという街が南北朝鮮の最前線である軍事境界線に程近い場所に位置していることを痛感する。
 北朝鮮は恐らく、今でも南北統一をあきらめてはいない。南侵に踏み切らないのは、現時点では軍事的に勝ち目がないためというだけであり、情勢が変わればいつでも攻めてくると思われる。
 一方、韓国側は南北統一を目指したいという思いはあるものの、本音で言えば、今、下手に北が崩壊して統一となったときに経済的な混乱をこうむるのは避けたいと思っている。
 韓国の人々は、北に対する複雑な思いを抱きながら、あるかもしれない北朝鮮の南侵を意識し、日々生活しているのだと想像する。
 そんな軍事境界線のある日常の一端を垣間見た一日だった。

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